仮説を用い、問いでアプローチせよ!?『ここでもなく、いまでもない』アンソニー・ダン

『ここでもなく、いまでもない』アンソニー・ダンの書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】スペキュラティブデザインとは、答えを出すためではなく「問い」をデザインするための思想です。アンソニー・ダンが提示する「ここでもなく、いまでもない」という視座は、現実の前提そのものを問い直す力を持っています。
 
1.「解く」から「問う」への転換:問題解決至上主義を超え、問い自体をデザインする思考法を提示する
2.不可能が現実を揺さぶる:あり得ない世界を物質化することで、現実の枠組みを根底から問い直す力を持つ
3.問いをデザインする組織へ:スペキュラティブ思考をビジョナリー・ブランディングと接続し、経営に実装する視点を得る

  • 経営の現場で、こんな問いを立てたことはありますか?「もし、私たちの業界が10年後に完全に消えていたとしたら、何が残るだろう?」この問いは、答えを求めているわけではありません。現在の前提を揺さぶるために、あえて「あり得ない未来」を想像する行為です。スペキュラティブデザインとは、まさにこういう問いをデザインする思想です。
  • 実は、多くの経営者やリーダーが「問題解決」には長けていても、「問題を発見し、問いを立てる」ことには意外なほど不慣れです。なぜなら、組織はどうしても「答えを出すこと」に最適化されていくからです。
  • なぜなら、問いを立てることは、現在の秩序への挑戦を意味します。既存の製品、市場、組織構造――その前提そのものを疑うことは、不安や抵抗を生みやすい。
  • 本書は、デザイナーのアンソニー・ダンが提示する「スペキュラティブデザイン」の進化版とも言える思想書です。「ここでもなく、いまでもない(Not Here, Not Now)」という概念を軸に、現実を少しだけ広げる想像の力と、その実践的な思想地図を描き出しています。
  • 本書を通じて、デザインや経営に携わるすべての人が「問い」を立てる力を取り戻すためのヒントが得られます。

アンソニー・ダン(Anthony Dunne)デザイナー・思想家。フィオナ・レイビー(Fiona Raby)とのユニット「ダン&レイビー」として、批判的デザイン、スペキュラティブデザインの実践と理論化において国際的に知られています。前著『スペキュラティヴ・デザイン――問題解決から、問題提起へ。』(ビー・エヌ・エヌ、2015年)は、デザイン思想の世界に大きな影響を与えました。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでの長年の教育実践を経て、現在はニュースクール(ニューヨーク)にてデザイン研究と教育を続けています。「答えを出すデザイン」ではなく「問いを生むデザイン」を一貫して追求してきた、現代デザイン思想の先駆者です。

「解く」から「問う」へ――スペキュラティブデザインが反転させる思考

ビジネスの現場では、「問題解決」という言葉が絶対的な価値を持ちます。課題を特定し、原因を分析し、解決策を実行する。このサイクルは経営の基本であり、多くの組織がこのプロセスを洗練させることに多大なエネルギーを注いできました。

でも、ダンはここで鋭い問いを立てます。「解くべき問題は、本当にその問題でいいのか?」と。

スペキュラティブデザインの出発点は、「Problem Solving(問題を解決する)」から「Problem Finding(問題を発見する)」への転換です。これはC/Dリストと呼ばれる本書の思想地図にも明確に示されています。(下記の表もぜひご覧ください)

左側(C=可能)の「What if?(もしも○○なら)」という問いかけに対して、右側(D=不可能)には「As if(○○かのように)」という姿勢が置かれています。

デザインにおいては、「もしも○○なら?」と問いかける代わりに、まるで何かが起きた(または真実である)「かのように」、デザインを行うことができる。そうすることで、「ここでもなく、いまでもない」世界を「いま、ここ」と結びつけるのだ。

「What if?」は可能性の探索です。
一方、「As if」は、すでにその世界が存在するかのように振る舞うことで、思考の枠組みそのものを動かします。

経営における仮説思考と、この「As if」の姿勢はとても近いと思います。

仮説思考とは、答えが出る前に「仮の答え」を立て、それを検証しながら進む思考法です。「もし市場がこう動くとしたら、私たちはどう動くべきか」という問いを立てることで、行動の方向性を先取りする。

ただし、ダンが提示するスペキュラティブ思考はさらに一歩踏み込みます。仮説思考が「あり得る未来」を扱うのに対し、スペキュラティブ思考は「あり得ないかもしれない未来」まで射程に収めます。

不可能な問いを真剣に検討することで、私たちが当然視している前提そのものが可視化されるんです。

本書の巻末に収録された「C/Dリスト」を見ると、左側(現状肯定・可能の世界)右側(批判的・不可能の世界)の対比が鮮やかです。

C(可能・肯定)D(不可能・批判)
Here, Now(いま、ここ)Not Here, Not Now(ここでもなく、いまでもない)
What if(もしも○○なら)As if(○○かのように)
Science Fiction(科学フィクション)Philosophy Fiction(哲学フィクション)
Real World(現実世界)A Larger Reality(より大きな現実)
Prototype(プロトタイプ)Model(モデル)
Anthropocentric(人間中心)More than Human(人間以上)
Possible Objects(可能対象)Impossible Objects(不可能対象)
Dogma(教義)Doubt(懐疑)

この表を眺めると、私たちのビジネス思考がいかに左側の世界(C)に偏っているかが見えてきます。

「現実的に」「実現可能な範囲で」「リスクを抑えながら」――こうした言葉が会議室に溢れるとき、私たちは「問いを立てる力」を少しずつ手放していないでしょうか。

仮説思考については、こちらの1冊「人とAIを隔てるものとは!?『アブダクション 仮説と発見の論理』米盛裕二」もぜひご覧ください。

「ここでもなく、いまでもない」空間が現実を揺さぶる

本書のタイトルでもある「Not Here, Not Now(ここでもなく、いまでもない)」という概念は、単なる「未来志向」とは根本的に異なります。

ダンはこう述べています。

未来は「ここでもなく、いまでもない」世界を縁取るひとつの方法にすぎない。そして、未来はデザイナーの仕事にとって最も役立つ枠組みとも限らない。

つまり、「ここでもなく、いまでもない」とは、時間軸(未来)だけでなく、現実の前提そのものから逸脱した空間のことです。物理法則や常識、既存の論理を超えた場所に思考を連れていくことで、私たちが「当然」と思っていた前提が初めて見えてくる。

日本語版解説を担当した久保田晃弘は、本書の思想を4象限のマップとして整理しています。

A(肯定)B(批判)
D(不可能)第2象限:加速的拡張デザイン第1象限:ラディカル存在論的デザイン
C(可能)第3象限:肯定的未来デザイン第4象限:思索的フィクションデザイン

この4象限で最も重要なのが、第1象限「B×D(批判的×不可能)」です。これがダンの言う「ラディカル存在論的デザイン」であり、本書『ここでもなく、いまでもない』が切り拓こうとしている領域です。

第1象限:B×D(ラディカル存在論的デザイン):NHNNが切り拓こうとしている「現実そのものの再構築」を試みる。不可能なものをあえて物質化することで、現実の前提に衝撃を与え、意図的な裂け目を生じさせる。

「不可能なものを物質化する」というのは、一見、ビジネスとは遠い話に聞こえます。
でも、これはブランディングの本質と深く共鳴していると思います。

ブランドとは、まだ存在しない価値観を先行して可視化する行為です。「こんな世界があったらどうだろう」という問いを、プロダクトやコミュニケーションとして物質化することで、人々の想像力を動かし、現実を少しずつ変えていく。

Appleが「Think Different」を掲げたとき、それは技術仕様の説明ではなく、「別の現実」への招待でした。

本書の「環世界(Umwelt)」という概念も示唆的です。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱したこの概念は、あらゆる生命体が自分固有の感覚フィルターを通じて世界を経験しているという考え方です。

人間は世界が一つしかないと仮定し、すべての動物がその世界を共有していると思い込んでいる。しかし人間は、人間固有の感覚というフィルターを通した”現実”の編集版を体験することしかできない。

これは組織論にも直結します。同じ市場データを見ていても、CEOと現場担当者では全く異なる「現実」を見ています。それは能力の差ではなく、それぞれの「環世界」の差です。スペキュラティブ思考とは、自分の環世界に気づき、他者の環世界を想像し、「より大きな現実」へと視野を広げる実践とも言えます。

問いをデザインする組織へ――ビジョナリー・ブランディングへの示唆

スペキュラティブデザインの思想を、経営やブランディングに実装するとはどういうことでしょうか。

ひとつの鍵は「問いをデザインする力」です。

答えを出す組織は多い。
でも「良い問いを立てる組織」は稀です。

ダンが提示するC/Dリストの対比で言えば、多くの組織はC側(可能・肯定)に偏った問いしか立てません。「売上をどう増やすか」「コストをどう削減するか」「競合にどう勝つか」――これらはすべて、現状の前提を疑わない問いです。

スペキュラティブ思考が組織に問うのは、もっと根本的なことです。

「求めるべきは、考えを押しつけたり、解決策を提示したりするための代替案ではなく、問いを促し、インスピレーションを与え、別の想像に火をつけるための代替案だ。目的地ではなく、何かを生み出すきっかけとなる代替案なのだ。」

この一節は、ビジョナリー・ブランディングの本質そのものだと思います。

ブランドとは「答え」ではなく「問い」です。「私たちは何者か」「なぜここにいるのか」「どんな世界を作りたいのか」――これらの問いに向き合い続けることが、ブランドの核心を形成します。

では、スペキュラティブ思考を組織に実装するために、具体的に何ができるでしょうか。

1.「不可能対象」を会議室に持ち込む

スペキュラティブデザインでは「Impossible Objects(不可能対象)」という手法があります。物理的・論理的に「あり得ない」モノをあえてデザインし、それを会議室に置くことで、参加者の思考の前提を崩すんです。

経営の現場でも同様のことができます。「もし私たちの会社が存在しなかったら、世界に何が欠けているか?」「もし競合が明日消えたら、私たちは何を失うか?」こうした「不可能な問い」を真剣に議論することで、自社のパーパスが鮮明になります。

2.「哲学フィクション」として未来を語る

C/Dリストでは「Science Fiction(科学フィクション)」に対して「Philosophy Fiction(哲学フィクション)」という概念が置かれています。科学フィクションが技術の延長線上に未来を描くのに対し、哲学フィクションは価値観や存在そのものを問い直す物語を描きます。

組織のビジョン策定においても、「技術トレンドの外挿」から「価値観の物語」へと発想を転換することが重要です。「AIが進化したら私たちの仕事はどう変わるか」という問いより、「人間にとって仕事とは何かが問い直されるとき、私たちはどこに立つか」という問いの方が、はるかに深い思考を生みます。

3.「ポストノーマル」を組織の常態にする

本書が提唱する「Post Normal(ポストノーマル)」という概念は、「新しい普通」ではなく「普通を問い直す姿勢の常態化」を意味します。変化を所与として受け入れるのではなく、変化の前提にある価値観の転換を問い続ける組織文化です。

これはミドルマネジャーにとっても重要な視点です。現場のオペレーションを回しながら、「そもそもこれは正しい問いか」と問い続けられるリーダーの存在が、組織のスペキュラティブ能力を支えます。

外部の枠組みに気づくことで、想像する場自体を動かせるかもしれない。理性で遊んだり、偶然を真剣に検討したりすることは、大切な操作になるだろう。

「理性で遊ぶ」という表現が好きです。遊びとは、目的のための手段ではなく、それ自体が目的である行為です。組織の中に「理性で遊ぶ時間」を意図的に作ること――それが「問いをデザインする組織」への第一歩だと思います。

まとめ

  • 「解く」から「問う」への転換――スペキュラティブデザインは問題解決至上主義を問い直す。「What if?」から「As if」へ、仮説思考をさらに一歩進めることで、私たちが当然と思っていた前提が初めて可視化されます。
  • 「ここでもなく、いまでもない」空間が現実を揺さぶる――4象限のマップが示す通り、「不可能なものを物質化する」ことで現実の前提に裂け目が生まれます。環世界の概念は、組織の中に複数の「現実」が共存していることを教えてくれます。
  • 問いをデザインする組織へ――「不可能対象」を会議に持ち込み、「哲学フィクション」として未来を語り、「ポストノーマル」を組織の常態にする。これがビジョナリー・ブランディングと接続するスペキュラティブ思考の実装です。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

スペキュラティブ思考を経営会議に取り入れるには、どこから始めればいいですか?

まず「不可能な問い」をひとつ会議のアジェンダに加えることから始めるのをお勧めします。「もし私たちの会社が明日消えたら、誰が最も困るか?」といったシンプルな問いが、自社のパーパスや存在意義を鮮明にするきっかけになります。答えを求めるのではなく、議論を生み出すことが目的です。

「問いをデザインする組織」と「答えを出す組織」は、両立できますか?

十分に両立できます。重要なのはモードの切り替えです。日常の業務では「答えを出すモード」が必要ですが、戦略策定や新規事業の場面では意図的に「問いを立てるモード」に切り替えることが大切です。スペキュラティブ思考は日常業務の代替ではなく、組織の思考の幅を広げるための補完的な実践です。

ビジョンやパーパスの策定に、スペキュラティブデザインの手法はどう活かせますか?

ビジョン策定においてよくある落とし穴は、現状のトレンドを外挿した「予測の物語」になってしまうことです。

スペキュラティブ思考を活かすなら、「哲学フィクション」として「あり得ない世界」を先に描き、そこから逆算して「いま、ここ」に問いを持ち帰る手法が有効です。技術予測よりも価値観の問い直しを起点にすることで、より固有性の高いビジョンが生まれます。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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