この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】言語は世界を正確に写し取ることができない——この問いから竹田青嗣は、「意味」の成立条件を根本から問い直します。意味とは記号の中にあるのではなく、欲望する主体と他者との関係の中で生成される。この洞察は、対話・共創・ブランドの現場を深く照らします。
1.言語の限界を知る:言葉は世界を一義的に記述できない。この認識が、「正しく伝えれば動く」という幻想を解きます
2.現前意識という根拠:「世界がある」という確信の最後の根拠は、生きている私の意識そのものです。これは対話の出発点を問い直させます
3.二重の世界を生きる:人は「自分だけの実存世界」と「他者と共有する客観世界」を同時に生きています。この二重性を知ることが、共創の設計を変えます
- 「言葉にすれば伝わる」と思っていたのに、伝わらなかった経験はないでしょうか。
- 丁寧に説明したつもりなのに、相手には別の意味で届いていた。同じ言葉を使っているのに、なぜか話がかみ合わない。プレゼンの資料は完璧だったのに、場の空気が動かなかった。
- こういった経験は、単なるコミュニケーション不足で片付けられがちです。でも竹田青嗣は、この「伝わらなさ」には、言語そのものの本質的な問題が潜んでいると言います。
- 第1巻の後半は、その問題の核心に迫ります。言語とは何か、意味とはどこから生まれるのか、そして人間はどのようにして「同じ世界を生きている」という確信を持てるのか。難しそうに聞こえますが、その問いは対話・共創・ブランドの現場に直結しています。
- 本書を通じて、「言葉が人を動かす条件とは何か」を根本から考え直すきっかけにしていただければと思います。
竹田青嗣(たけだ・せいじ)は、1947年生まれの哲学者・文芸批評家です。早稲田大学国際教養学部名誉教授を務め、ニーチェおよびフッサール現象学の研究者として知られています。
哲学を「専門家のもの」ではなく、人間の生の現実に根ざした思想として捉え直す姿勢が一貫しており、『ニーチェ入門』『現象学入門』など平易な入門書も多数著しています。『欲望論』はその思索の集大成とも言える大著で、欲望・意味・価値という概念を哲学史全体を舞台に問い直し、現代思想の袋小路に突破口を開こうとしています。
言語は世界を一義的に記述できない
竹田が第1巻の後半で正面から取り上げるのは、言語哲学の根本問題です。
現代の言語哲学は、「意味」を語や記号の中に内在するものとして捉えてきました。言葉には意味が宿っていて、それを正確に使えば、現実を正確に記述できる——という考え方です。この前提があるから、「正しく言葉を選べば伝わる」「定義を明確にすれば議論が進む」という発想が生まれます。
しかし竹田はここに根本的な疑問を投げかけます。
現代哲学は「意味」を記号に内在する本体として捉え、したがって「記号‐情報」の一形態と捉える。だが意味は語と命題のうちには内在しない。
意味は記号の中にない。これは一体どういうことでしょうか。
ウィトゲンシュタインの反問を手がかりに考えてみましょう。
言語が世界を正しく記述できるとすれば、言語と世界の間に「正しい対応関係」がなければなりません。でも言語は、本性上、その意味を一義的に限定することができない。
もっとも単純な「名」ひとつとっても、個有名・指示語・一般概念・抽象概念・数など、さまざまな層が混在しています。
言語が世界=現実を正しく記述できるとすれば、そもそも言語と世界との正しい対応が存在しなければならず、もしそうであるならば、言語が世界=現実を表現する方式を完全に形式化して取り出すことができるはずである。しかし言語は、本性上その意味を一義的に限定しえない。
これは抽象的な議論に見えますが、経営の現場に置き換えると、かなりリアルな問題です。
「ビジョン」「パーパス」「共創」「価値」——こうした言葉は、組織の中でしばしば「言えばわかる」ものとして扱われます。でも実際には、同じ「ビジョン」という言葉が、部門によって、世代によって、立場によって、まったく違う意味として受け取られています。
言葉は乗り物にすぎない。
その言葉に何を乗せるか、受け取る側が何を読み取るか——そこには、語り手と聞き手のあいだの「関係」と「欲望の文脈」が深く関わっている。竹田はそこを問い直しているわけです。
意味は記号の中にあるのではなく、欲望する主体と他者との関係の中で生成される。このインサイトが、第1巻後半全体を貫く軸になっています。
現前意識が「世界確信」の最後の根拠である
言語が意味を一義的に伝えられないとすれば、私たちはどうやって「同じ世界を生きている」という確信を持つことができるのでしょうか。
竹田はここで「現前意識」という概念を提示します。
現前意識とは、今ここで「私は存在する」「世界がある」と感じる、生きた意識の地平のことです。難しい言葉ですが、要するに「今この瞬間、私が世界を経験しているというその直接の感覚」のことです。
竹田はここをかなり丁寧に論じています。まず、誰にとっても持続的な現前意識の地平は、世界意識の根本事実であるといいます。
第一に、誰にとっても持続的な現前意識の地平は、主体の世界意識の原事実であり、またその根底的根拠である。現前意識から定常的な現実確信を構成する基礎的な所与条件が失われれば、われわれの「私」は、世界性、対象性、自己意識についての安定した自転の基軸を失って倒壊する。
さらに重要なのは、この現前意識は「その背後に誰もまわってみることができない」という指摘です。
われわれは現前意識の生成の理由や由来を任意の仕方で事後的に推論し憶測することができるが、この推論、憶測自体が、現前意識に立ち戻ってその生成を内省することなしは、決して得られえないということ。
噛み砕くとこういうことです。
私たちは何かを疑ったり考えたりするとき、その疑いや考え自体が、すでに「今ここで経験している私」という地盤の上にある。
だから現前意識の背後に遡ることは、原理的にできない。これが「世界確信の最後の根拠」です。
これはデカルトの「我思う、ゆえに我あり」に近い着想ですが、竹田はそこから先をさらに進めます。
その現前意識は、孤立した個人のものではなく、他者との「要求‐応答」の関係の中で育まれるものだということです。
人間の「関係世界」は、根本的に他者との「要求‐応答」の関係として展開する。
つまり「私が世界を確信している」という感覚は、他者との関係の積み重ねによって支えられている。
対話や承認、ルールの共有——そういったものが積み重なることで、「同じ世界を生きている」という間主観的な確信が形成される。
組織の現場で言えば、これはとても重要な示唆です。
メンバーが「この組織で働くことに意味がある」と感じる確信は、論理やデータではなく、日々の「要求‐応答」の積み重ねの中に宿っています。上司の一言、同僚との対話、小さな承認——そういったものが現前意識の地盤を豊かにする。逆に言えば、その積み重ねが失われたとき、人は組織への現実感を失っていきます。
人間は「実存世界」と「客観世界」の二重性の中を生きる
竹田の議論はさらに展開します。人間は2種類の世界を同時に生きている、という指摘です。
ひとつは「実存世界」。これは、自分固有の経験・感覚・欲望・歴史から成る、その人だけの世界です。
もうひとつは「客観世界」。これは、他者と共有されている、間主観的な一般的世界です。
客観世界とは、多数の実存世界のうちで間主観化された一般性としての世界にほかならない。われわれはそれぞれの実存世界を生きるが、そのうちに、他者たちとともに「同一の世界」を生きているという暗黙の確信がたえず形成されている。
そしてこの2つは、どちらかが「真実」でどちらかが「幻想」ということではありません。
人間は、動物とは違って「世界」を言葉によって描出する。この言葉による世界の描出には二通りの仕方がある。他者との関係的意識に身を置く仕方と、自己の生意識に立ち戻る仕方と。それぞれの観点は、それぞれの合理性と必然性をもち、片方だけでは存立しえず支え合ってわれわれの「世界像」を構成しており、どちらかが「真実」であると主張することは馬鹿げている。
この二重性の視点は、共創やブランドの設計に直接つながります。
共創の現場でよく起きる困難のひとつは、「それぞれが違う世界を生きている」という事実を直視しないまま進めてしまうことです。企業の担当者、地域の住民、行政の職員——同じ言葉を使い、同じ場にいても、それぞれの「実存世界」は大きく異なります。
竹田的に言えば、共創とはこの実存世界の違いを消すことではなく、それぞれの実存世界を認めながら、間主観的な「客観世界」を丁寧に構築していく営みです。そのためには、言葉を一義的に定義して押しつけることではなく、「要求‐応答」の対話を積み重ねることが必要になる。
ブランドについても同じことが言えます。ブランドは「正しいメッセージを発信すれば伝わる」ものではなく、受け取る人それぞれの実存世界の中で意味を生成するものです。だからこそブランド設計には、人の欲望の構造への深い理解が必要になる。竹田の第1巻は、その問いへの哲学的な基盤を提供しています。
今回の内容を、できるだけシンプルに整理してみます。
第1巻の後半で竹田が言っていることは、突き詰めると3つです。
まず、言葉は「意味の入れ物」ではない。
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同じ言葉でも、受け取る人の文脈や欲望によって、まったく違う意味になります。
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「正しく言えば伝わる」は幻想で、意味は関係の中で生まれる。
次に、「世界がある」という確信の根拠は、今ここで生きている私の意識そのものです。
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そしてその意識は、他者との日々の「要求‐応答」の積み重ねによって支えられています。
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対話や承認の小さな積み重ねが、組織への現実感をつくっている。
そして人間は、「自分だけの実存世界」と「他者と共有する客観世界」を同時に生きています。
共創とは、その違いを消すことではなく、違いを認めながら共通の意味を丁寧につくっていく営みだということです。
まとめ
- 言語は世界を一義的に記述できない——意味は記号の中にあるのではなく、欲望する主体と他者との関係の中で生成されます。「正しく言えば伝わる」という前提を手放すところから、対話の本質が見えてきます。
- 現前意識が「世界確信」の最後の根拠——今ここで「私は存在する」「世界がある」と感じる生きた意識の地平が、すべての確信の底板です。そしてその地平は、他者との「要求‐応答」の積み重ねによって支えられています。日々の小さな対話が、組織の現実感をつくっている。
- 人間は「実存世界」と「客観世界」の二重性の中を生きる——それぞれが固有の実存世界を生きながら、同時に他者と共有する客観世界を構築しています。共創とはこの二重性を直視し、「要求‐応答」の対話を通じて間主観的な意味を丁寧に育てる営みです。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
