この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】〈私〉の体験を起点に置くことで、「人それぞれ」で終わらない対話が初めて可能になります。フッサールの現象学を実践に接続した本質観取は、言葉を丁寧に重ねることで「共通了解」を生み出す思考と対話のアートです。
1.〈私〉の体験が出発点:辞書的な定義ではなく、〈私〉が感じ・考える体験から意味の本質を問い直す
2.エポケーという作法:判断を保留し、自分の「確信」の構造を見つめ直すことで対話が動き出す
3.AI時代の対話基盤:AIが「答え」を示す時代だからこそ、〈私〉の不可疑な体験から紡ぐ言葉が人間の対話の根拠になる
- 対話とは何のためにあるんだろう?と、ふと立ち止まることがあります。
- 実は、この問いに正面から向き合っている本があります。
- なぜなら、「言いっぱなし」でも「論破!」でもない対話——誰もが深くうなずけるような共通了解に向かっていく対話——には、明確な思考の作法があるからです。
- 本書は、哲学者フッサールが用いた「本質観取(ほんしつかんしゅ)」という概念を実践に接続し、誰もが使える対話の技法として体系化した一冊です。苫野一徳・岩内章太郎・稲垣みどりの3人の哲学者が、それぞれの実践と理論を持ち寄り、保育園から企業まで、のべ何千人もの対話の場で磨き上げてきたノウハウを惜しみなく開示しています。
- 本書を通じて、「正義とは何か」「友情とは何か」といった問いに辞書的な定義ではなく、〈私〉たちの体験から共同で答えをつくっていくことができるようになります。
苫野一徳(とまのいっとく)は、熊本大学大学院教育学研究科准教授。哲学的思考と教育実践の橋渡し役として知られ、『はじめての哲学的思考』『愛』など幅広い著作を持ちます。「よい教育とは何か」を生涯のテーマに据え、哲学の知を日常に届けようとする姿勢が一貫しています。
岩内章太郎(いわうちしょうたろう)は、豊橋技術科学大学准教授。現象学を専門とし、「〈私〉とは何か」という問いを探求してきた哲学者です。『〈私〉を取り戻す哲学』は、そのタイトル自体が本書のテーマと深く共鳴しています。「普遍性をつくる哲学」を社会実装するため、全国各地で哲学対話を実施してきた実践者でもあります。
稲垣みどり(いながきみどり)は、順天堂大学国際教養学部准教授。言語教育と共生社会の接点を探り、『共生社会のためのことばの教育』を著しています。「ことばを育てることは、共に生きることを育てること」という視点は、本書全体を貫くテーマとも重なります。
3人の専門——哲学・教育・言語——が交差することで、本書は単なる哲学の入門書を超えた、対話の実践書となっています。
言葉は〈私〉の体験から生まれる
「正義」という言葉を辞書で引くと、「人の道にかなっていて正しいこと」と出てきます。でも、これを読んで「なるほど、正義とはそういうことか」と納得できる人は、あまりいないと思います。「人の道にかなう」とはどういうことか、「正しい」とはいったい何か——結局、同じ問いが繰り返されるだけです。
本書が提案する本質観取は、辞書的な言い換えではなく、〈私〉の意識体験に向かっていくことで、本質を探ろうとします。
本質観取とは、さまざまな概念や事柄が〈私〉——そして〈私〉たち——の生にとって持っている中心的な意味を取り出す作業です。
ここで言う〈私〉は、鏡に映った外見としての私ではありません。何かが見えてしまっている、感じてしまっている、そのゆえにさまざまな確信を持ってしまっている——その意識体験そのものを指しています。
これはデカルトが「コギト(我思う、ゆえに我あり)」で示した洞察と地続きです。私がこの本を見ているとき、「そこに本が客観的に存在しているのか」は疑えても、「いま本が見えてしまっているという体験そのもの」は疑えない。その疑えなさ——不可疑性——が、本質観取の出発点になります。
中小企業の経営者と対話する場面で、私はしばしば似た経験をします。「売上が大事」「ブランドが大事」「人が大事」と、それぞれの言葉は出てきます。
でもその言葉が何を指しているのか、その人の体験から引き出さなければ、表面的な言葉の交換で終わってしまう。
「あなたにとって、それはどんな体験ですか?」と問い返すことが、対話の実質的な始まりになるんです。
本質観取が「〈私〉の体験から始める」と言うとき、それは単に個人の感想を語ることではありません。その体験の奥にある、より深い意味の構造を取り出そうとすることです。
それぞれの〈私〉の体験は、どんな懐疑にも耐えうる強度を持つ。本質観取は、そこから始発して、およそ想像されうるすべての〈私〉の体験に共通する本質を見定めようとするのです。
「すべての〈私〉の体験に共通する本質」——これが本質観取の目指すところです。〈私〉の体験は有限で偏っています。だからこそ、複数の〈私〉が体験を持ち寄り、言葉を交わすことで、より広い共通性を持つ本質が浮かび上がってくる。
本質は、プラトンが考えたような「世界の彼方に存在するイデア」ではありません。
それぞれの〈私〉が体験を交換しながら編まれていくもの——複数の〈私〉の体験の糸でつくられる共同作品なのです。
エポケーが対話を動かす
対話が行き詰まるとき、そこには2つのパターンがある気がします。
ひとつは「絶対の答えを探す」対話。
もうひとつは「どうせ人それぞれ」と早々に諦める対話。
どちらも、本当の意味で言葉が交わされていません。
本書は、この2つのパターンを同時に乗り越える鍵として、フッサールの「エポケー(判断保留)」という概念を提示します。
(自然な判断を保留する操作を)「エポケー」と言います。
エポケーとは、「物事が客観的に存在している」という自然な判断を、いったん保留することです。「正義は絶対にこうだ」という確信も、「どうせ人それぞれだ」という諦観も、どちらも保留する。そして代わりに、「〈私〉には正義がこのように確信されているが、それはどうしてなのだろう」と問い直す。
これは懐疑ではありません。むしろ懐疑の内側から突き崩す作業です。デカルトの言葉を借りれば、懐疑主義に対してイデアや常識で対抗するのではなく、その懐疑を内側から無効化しようとする試みです。
現象学的還元は哲学に新しい展望を開きます。それは、「(絶対の)答えを探すゲーム(営み)」でも、「そのすべてを相対化するゲーム(営み)」でもなく、「共に答えをつくっていくゲーム(営み)」です。
「共に答えをつくっていくゲーム」——この一文は、対話の目的を鮮やかに言い直しています。私がコンサルティングの場で心がけているのも、まさにこれです。経営者の「こうすべきだ」という確信と、私の外部視点とをぶつけ合うのではなく、両者の確信を持ち寄って、「では、ここで何が本当に問われているのか」を一緒に問い直す。
エポケーは、単なる態度の変更ではなく、思考の形を抜本的に変える操作です。
「どこかに絶対的な正義があるはずだから、それを見つけなくてはならない」と考えるのをやめ、「〈私〉にとって正義はどのように確信されていて、それはどうしてなのだろう」と問う。
「結局〝人それぞれ〟なのだから、他者と対話するのはナンセンスだ」と言うのではなく、
「どういう条件があれば共通了解をつくっていけるのだろうか」と考えてみる。
判断を保留することは、弱さではありません。
むしろそれが、対話を動かす力になる。
エポケーとは、対話の「ハーフステップ後退」——一歩引くことで、より深く踏み込める思考の作法なんです。
〈私〉の体験がAI時代の対話基盤になる
AIが瞬時に「正解」を示してくれる時代に、私たちはなぜ対話するのでしょうか?
この問いは今、じわじわと重要性を増しているように思います。情報の検索や比較、さらにはある種の提案や意思決定のサポートまで、AIが担える領域は急速に広がっています。「正義とは何か?」と問えば、AIはたちどころに定義を並べてくれます。では、私たちの対話は何をするべきなのか。
本書が示すのは、AIには根本的にできないことがある、という一点です。それは、〈私〉の体験から言葉を紡ぐこと、そしてその体験と体験が触れ合うことで「共通了解」が生まれる——その不可疑なプロセスを引き受けることです。
AIは膨大な言語パターンから「確からしい」答えを生成します。でも、「〈私〉にとってこれはこのように感じられる」という体験の重みを持てないし、その体験から言葉を選ぶプロセスも持てません。
デカルトが示したように、「いま見えてしまっているという意識体験そのもの」は疑えない——その不可疑性こそが、〈私〉の言葉に、AIの生成した言葉とは異なる質の重みを与えます。
言葉を聴き合うこと、そして、意を尽くして表現し合うこと。その経験を重ねることを通して、私たちの思考力、言語力、対話力は、格段に鍛えられていくはずです。
「意を尽くして表現し合う」——この動詞の重みを、AI時代はかえって浮き彫りにします。AIが情報を効率的に整理してくれるからこそ、人間が向き合うべきは「〈私〉は何を確信しているのか」「その確信の源泉はどこにあるのか」という、より根源的な問いになっていく。
私がコンサルティングの現場で感じるのも、この逆説です。情報が氾濫し、AIが答えを提示してくれる時代ほど、経営者は「自分はそもそも何を大切にしているのか」という問いを言語化できていないことが多い。言葉を持っていないのではなく、言葉が〈私〉の体験から切り離れてしまっている。
本質観取は、その切り離れを修復する作業でもあります。
哲学対話の真髄は、さまざまに異なる立場の人びとが、互いの違いについては〝相互承認〟し、その上で誰もが確かめて納得できる〝共通了解〟に向かっていくことにある。
「相互承認」と「共通了解」——この2つの概念は、AI時代の対話設計においても、核心的な指針になります。AIに問えば答えは出る。でも、その答えに誰もが深くうなずけるかどうかは別の問題です。うなずきを生み出すのは、〈私〉たちが体験を持ち寄り、言葉を交わし、確信の構造を確かめ合うプロセスそのものだから。
これはまさに、AI時代にとても必要な論点だと思います。
対話の論点については、こちらの1冊「ポジで行こう!?『チームは未来志向の対話でうまくいく』ジャッキー・スタブロス,シェリ・トレス」も大変おすすめです。ぜひご覧ください。

まとめ
- 言葉は〈私〉の体験から生まれる——辞書的な定義では本質は掴めません。「〈私〉にとってそれはどのように感じられるか」という体験を出発点にすることで、対話は表面的な言葉の交換を超えていきます。本質は世界の彼方にあるイデアではなく、複数の〈私〉が体験を交換しながら編んでいく共同作品です。
- エポケーが対話を動かす——「絶対の答えを探す」でも「人それぞれで終わる」でもなく、判断をいったん保留し、〈私〉の確信の構造を問い直す。このハーフステップ後退が、対話を「共に答えをつくっていくゲーム」として動かす力になります。
- 〈私〉の体験がAI時代の対話基盤になる——AIが答えを示せる時代だからこそ、〈私〉の不可疑な体験から言葉を紡ぐことの固有の意味が際立ちます。相互承認と共通了解に向かう対話は、情報処理では代替できない、人間固有の思考と言語のアートです。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
