本当のブランドとは!?『スロウ・ブランディング 記憶から価値をつくる』江上隆夫

『スロウ・ブランディング 記憶から価値をつくる これからのブランドの教科書』江上隆夫の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「ブランドとは集積した記憶である」——江上隆夫がブランドの原型に立ち返り、時間と一貫性を軸に再定義する。膨張ではなく真の成長を目指すすべての経営者に贈る、これからのブランドの教科書です。
 
1.ブランドの再定義:物理的存在ではなく「集積した記憶」という心理現象として捉え直す
2.土づくりの経営哲学:成長と膨張の違いを見極め、時間をかけた本質的な積み上げを実践する
3.存在論への転換:「他と比べてどこか」ではなく「自分は何のために存在するか」を問い直

  • 「うちにはブランドがない」「ブランド力を高めよう」——そんな言葉を会議室で何度聞いただろうか。でも、そもそもブランドとは何なのか。その問いに自信を持って答えられる経営者は、意外と少ないんです。
  • 実は、ブランドの定義があいまいなまま「ブランディング」に取り組んでいる企業がほとんどです。
  • なぜなら、ブランドは目に見えないからです。商品でも、ロゴでも、広告でもない。それらはすべてブランドを伝えるための手段に過ぎない。本当のブランドは、受け手の心の中にしか存在しない。
  • 本書は、ブランド戦略コンサルタントとして40年以上にわたり第一線で活動してきた江上隆夫が、「ブランドとは何か」という問いの原型に立ち返り、丁寧に再定義した一冊です。スロウ(Slow)というタイトルが示す通り、速さや効率とは真逆の場所に、ブランドの本質があると語りかけてきます。
  • 本書を通じて、ブランドという現象の正体と、それを育てるために何が本当に必要なのかが、腑に落ちるように理解できます。

江上隆夫(えがみ・たかお)は、1955年生まれのブランド戦略コンサルタント。広告会社勤務を経て独立し、40年以上にわたりブランドづくりの現場に関わってきました。

国内外の企業のブランド戦略立案・実行支援を手がけながら、多摩美術大学などで教鞭も執ってきた実践と理論の両方を兼ね備えた専門家です。

著書に『ブランドのすべて』などがあり、本書ではその集大成として、AI時代を見据えた「存在論的ブランディング」という新しい視座を提示しています。長年の実務経験から生まれた言葉は、抽象論に終わらず、具体的な問いと答えを読者に届けてくれます。

ブランドは「心理現象」である

ブランドを語ろうとするとき、多くの人がロゴやパッケージ、広告キャンペーンを思い浮かべる。でもそれは、ブランドそのものではないんです。

本書が最初に教えてくれるのは、ブランドは物理的な存在では一切ない、ということです。

ブランドは基本的に「物理的な存在」ではなく「心理的な現象」だということを覚えておいてください。たとえば天気のようなものです。毎日のお天気は「晴れ」「曇り」「雨」などとさまざまです。確かに、その天気はそこに存在しているように見えますが、実際は大気現象つまり大気の中での水の循環とそれに合わせて現れる変化を、私たち人間の都合に合わせて切り取って「晴れ」「曇り」「雨」などと名付けているにすぎません。ブランドも市場経済という大きな循環の中に現れる経済的側面と心理的側面を持つ「現象」なのです。

天気というメタファーが、実に的確です。「晴れ」という言葉は、大気の物理的な状態に人間が意味を与えたもの。ブランドも同じで、市場という大きな循環の中に現れる心理的な現象に、人間が意味を付与したものに過ぎない。

さらに本書は、ブランドを貨幣と比較します。

ブランドは貨幣と同様の「幻想性」の上に成り立っていると言えるでしょう。貨幣は「みんなが価値があると信じているから価値がある」という自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)の一種です。

一万円札の紙そのものには一万円の価値はない。でも、みんなが一万円の価値があると信じているから、一万円として機能する。ブランドもまったく同じ構造です。「みんなが価値があると思っているから価値がある」という幻想の上に成り立っている。

だからこそ、本書はブランドをこう定義します。

ブランドは「文化的な文脈の中」で「特定の意味が付与され」それを「多くの人が共有したときにだけ」姿を現します。

ここが、ブランドのもっとも本質的なところです。

どれほど優れた製品も、どれほど美しいデザインも、それだけではブランドにはなれない。多くの人が同じ文化的文脈の中で、同じ意味を共有したときにはじめて、ブランドという現象が生まれる。

そして本書は、ブランドの定義をシンプルにこう締めくくります。

ブランドとは:集積した記憶

この6文字に、すべてが凝縮されています。記憶は一瞬では積み上がらない。

時間をかけて、繰り返し、一貫した体験が積み重なってはじめて、記憶になる。

ブランドが「スロウ」でなければならない理由は、ここにあります。

経営者として考えると、これは深い示唆を含んでいます。消費者の記憶に何を刻み込もうとしているのか。その問いなしに、広告費をいくらかけても、デザインを刷新しても、本質的なブランドは生まれない。ブランドは外から作るものではなく、受け手の心の中に育てていくものなんです。

土づくりの哲学——成長と膨張の違い

本書の冒頭に、印象的な言葉があります。

ある時、私は、こうした状態を「成長ではなく膨張と呼ぶ」のだと教わりました。

売上が伸びている。市場シェアが拡大している。一見すれば成功に見える。

でも、なぜ伸びているのかが分からない。時代のタイミングなのか、製品の機能なのか、販売戦略なのか。

その答えが出ないまま「売れていればいい」で済ませてしまう。これが「膨張」です。

成長とはやるべきことを着実にやって積み上げていく作業があって初めてやってくる。

成長と膨張の違いは、基盤があるかどうかです。表面的な数字の拡大ではなく、地に足のついた積み上げがあってはじめて、それを「成長」と呼べる。

この思想を体現するメタファーとして、本書はワインの土づくりを持ち出します。

ワインづくりにおいては、葡萄品種の選定や栽培管理、醸造も重要ですが、土と気候にほとんどをゆだねると言ってもよいのではないでしょうか。気象現象を人間がいじることはできません。できるのは対応策を用意することだけです。とすると根幹部分で人が関われるのは「土」のみです。「土」を良いものにしていくには長い時間がかかります。とても促成ではできません。偉大なワインは数百年、一〇〇〇年という時間をかけて土づくりをされた畑の葡萄から醸されます。たとえばロマネ・コンティの畑は中世一三世紀頃に始まります。

ロマネ・コンティ。世界最高峰とされるワインの畑は、13世紀から続く土づくりの上に成り立っている。数百年をかけて育てた土から、はじめてあの味が生まれる。それを促成栽培で再現しようとしても、絶対にできない。

ブランドも同じです。本書が「スロウ」を冠している理由が、ここにある。

土を育てていくこと。もっとも面倒で、手間がかかり、なかなか儲けにはつながらないように見えます。ですが真剣にワインづくりに取り組む生産者であれば、当たり前のように土づくりに取り組んでいます。彼らは、そこを決して疎かにしない。一見無駄が多く、効率的でなく、経営者として無能に見える可能性だってある。でも、そんなことは百も承知で土づくりに取り組む。

「経営者として無能に見える可能性だってある」——この一文が、リアルです。短期的な収益を求める投資家や株主の目線からは、土づくりは「無駄」に映るかもしれない。でも、本当に良いワインを作ろうとする生産者は、そんな声に揺るがない。

ブランディングも、まったく同じ構造を持っています。

ブランドをつくることは体質改善に似ています。一貫した姿勢を長い間保つ必要があります。

体質改善は、1週間では変わらない。
半年、1年と続けてはじめて、体が変わる。

ブランドも同じです。

一貫した姿勢を、長い時間をかけて保ち続けることが、記憶を積み上げていく唯一の方法です。

そして本書は、ブランディングの本質をこう定義します。

ブランディングとは「記憶のマネジメント」なのです。

記憶をマネジメントする。つまり、受け手の心に何をどのように刻み込んでいくかを、意図を持って設計し、継続的に実行し続けること。それがブランディングです。

経営の現場では、短期的な施策に追われて、この「記憶のマネジメント」という視点が抜け落ちてしまいがちです。今期の売上、来期のキャンペーン。その連続の中で、自社のブランドがどんな記憶を積み上げているのかを問い直す機会は少ない。

でも、それこそが土づくりです。

今日の施策が、10年後の記憶になる。

その時間軸を持てるかどうかが、成長と膨張を分ける境界線なんです。

「関係論」から「存在論」へ——ブランドの地殻変動

本書の後半に差し掛かると、著者は現代ブランディングの大きな変化を語り始めます。

私はブランド戦略コンサルタントという職種名を掲げながら、ブランディングって本当に必要なのだろうか、と思うことがあります。それは近年、私自身がブランドづくりの大きな変化、地殻変動を感じているからに他なりません。では、それはどんな地殻変動なのか。ひと言で言えば「関係論のブランディング」から「存在論のブランディング」への移行です。

「関係論」から「存在論」へ。

この転換が、現代ブランディングを理解する鍵です。

関係論のブランディングとは、競合との位置取りを軸に考えるアプローチです。他社がこのポジションを取っているから、自社はあのポジションを取ろう。まわりからどう見られたいか、という問いからブランドを構築していく。

「関係論のブランディング」とは他がこの場所を取っているから、うちはここを取ろうという陣地取りの発想です。相手ありきで発想し、ブランドづくりのベクトルが外へと向かいます。

これはわかりやすい発想です。競合分析をして、差別化ポイントを探して、そこに位置取りする。マーケティングの教科書にも書いてあることです。

でも、この発想には根本的な問題がある。「他者基準」で自分を定義しているから、他者が変われば自分も変えなければならない。常に外を見続けなければならない。自分の軸がない。

いまのブランディングは「私は何をもって世界に存在しているのか?」という「存在論のブランディング」に変化してきているからだと私は考えます。

存在論のブランディングは、ベクトルが真逆です。

外を見るのではなく、内側を深く掘り下げる。

自分は何者で、何のためにこの世界に存在しているのか。その問いからブランドを構築していく。

乱暴に言ってしまえば「他人はぜんぜん気にしない。他はどうだっていい」ということです。重要なのは「自分が何をしたいか、お客様に何を与えたいか」だけだということなのです。

「他はどうだっていい」——これは傲慢さではなく、自己への深い問いの結果です。

本書は、存在論的なブランドが答えるべき問いを3つ示します。

あなたのブランドは次の3つの問いに答えられるでしょうか。
Who are you?  あなたは誰ですか?
Why are you doing it?  なぜそれをしているのですか?
Where are you going?  あなたはどこへ行くのですか?

この3つの問いは、ブランドに限らず、組織そのものの根拠を問うています。誰であるか、なぜやっているか、どこへ向かうか。これに答えられない組織が、どれほど洗練されたブランディングを施しても、記憶の積み上げにはならない。

そして本書の最後近くに、AI時代のブランドについての洞察が現れます。

私たちの「間違い」や「勘違い」「単なる思い付き」がどれほど私たちの文明や文化を進めてきたかに気づけば、AIが完璧であればあるほど「人の不完全さ」が祝福すべきものであることが明らかになるのではないかと考えます。私たち人間の真の豊かさは「間違う」ことの中にあると。

AIが完璧であるほど、人間の不完全さが価値になる。この視点は、経営者にとって深く考えさせられるものがあります。

生成AIがコンテンツを量産し、ブランドのコミュニケーションを自動化できる時代に、何が「人間らしさ」の証明になるのか。それは、失敗の歴史であり、試行錯誤の軌跡であり、迷いながらも選び続けた時間の積み重ねです。

それもまた、「集積した記憶」です。

AI時代だからこそ、スロウであることが、最大の差別化になるのかもしれない。

ブランドづくりには、時間が必要ですね。ところで、時間ってなんなんでしょうね。こちらの1冊「【ただあるのは、ネットワークである!?】時間は存在しない|カルロ・ロヴェッリ,冨永星」もおすすめです。

時間術も大切ですね。こちらの1冊「自分貧乏にならないために・・!?『豊かな人だけが知っていること――時間貧困にならない51の習慣』長倉顕太」もおすすめです。

まとめ

  • ブランドは「集積した記憶」である――ロゴでも製品でもなく、受け手の心に積み上がった心理現象がブランドの正体です。貨幣と同じく「多くの人が価値を共有する幻想」として成り立つこの現象を正確に理解することが、すべてのブランディングの出発点になります。
  • 土づくりの哲学——成長と膨張の違い――売上の拡大と本質的な成長は別物です。ワインの土づくりのように、一見非効率に見えても一貫した積み上げを続けること。ブランディングとは「記憶のマネジメント」であり、体質改善のように長い時間をかけて育てていくものです。
  • 「関係論」から「存在論」へ――競合との位置取りを軸にする「関係論のブランディング」から、「私は何のために存在するか」を問う「存在論のブランディング」へ。Who are you? Why? Where?という3つの問いに答えられない組織は、どれほど施策を重ねても本物のブランドは育たない。AI時代に「人の不完全さ」こそが価値になるからこそ、スロウであることが最大の強みになります。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

ブランドと商品の品質改善、どちらを先に取り組むべきか?

本書は明確に「製品・サービスの質」を先に置いています。ブランディングでもっとも大切なことは、顧客に提供するものが本当に良いものであると自信を持って言い切れるかどうかです。質の伴わないブランディングは、空虚な記憶しか積み上げません。まず「良いもの」を追求する姿勢が、ブランドの土台になります。

小規模な企業や個人でも、存在論的ブランディングは実践できるか?

むしろ小規模であるほど実践しやすいと言えます。大企業は組織の慣性が大きく、Who are you?という問いに答えるのが難しい。

一方、個人や中小企業は創業者の思想が直接ブランドに反映されやすい。Who are you? Why are you doing it? Where are you going?という3つの問いに、経営者自身が真剣に向き合うことからはじめてください。

ブランディングの効果が出るまでの時間をどう経営的に正当化するか?

本書の「成長と膨張」の概念が、ここで力を発揮します。短期的な数字の膨張を追うのか、時間をかけた真の成長を選ぶのか。経営者がその違いを腹落ちして説明できるかどうかが鍵です。

ロマネ・コンティが13世紀から土づくりを続けているように、ブランドへの投資は「いつ効果が出るか」ではなく「何を積み上げているか」で評価する時間軸の転換が必要です。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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