私たちはすでに「仏」である!?『今、ここを生きる』ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェ

『今、ここを生きる』ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェの書影と手描きアイキャッチ
  • 心が本当に安らいでいる状態とは、どのようなものだと思いますか?
  • 実は、私たちが日常で感じる不安や苦しみの多くは、「心の本性」を見失っていることから生まれているんです。
  • なぜなら、私たちは自分自身や世界を「固定されたもの」として捉えすぎているから。本来、すべては条件によって変化し続けているのに、それを忘れて「こうあるべき」という枠に囚われてしまうんです。
  • 本書は、チベット仏教の伝統的な智慧と現代科学の知見を結びつけながら、心の本性を見極める方法を教えてくれます。著者のヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェは、仏教の修行者でありながら、量子物理学や脳科学との対話を通じて、古来の教えが持つ普遍性を検証し続けてきた人物です。
  • 本書を通じて、「空」という概念の本当の意味、心が凪いでいる状態の感覚、そして「相互依存(縁起)」という視点から見た日常の実践について、深く考えることができました。
ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェ
¥1,100 (2025/10/05 09:28時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント4倍セール!/
Rakutenで探す

ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェは、1975年、ネパールのヌブリ地方に生まれました。チベット仏教の伝統では、「リンポチェ」という称号は「大切な人」を意味し、悟りを得た師として認められた者に与えられます。

彼の人生は、仏教の伝統と現代科学の融合という、きわめてユニークな軌跡を辿っています。幼少期からチベット仏教の修行者として訓練を受ける一方で、世界各地の仏教センターで講演を行い、古来の伝統的な智慧を現代的な言葉で伝えることに情熱を注いできました。

特筆すべきは、仏教と現代科学・哲学の対話に深く関与してきたことです。彼は単なる宗教家ではなく、科学者たちとの対話を通じて、チベット仏教の教えが持つ普遍性を検証し続けてきました。

古来の瞑想法が脳科学や量子物理学の知見とどのように響き合うのか。そうした探求を続けることで、東洋の智慧を西洋の論理と統合するレベルにおいて、単なる比較を超えた実践可能な知恵を提示しています。

本書『今、ここを生きる』は、世界各地の仏教センターにおける彼の初期の講義を文章に起こし、編集したものです。チベット仏教の深遠な教えを、誰もが理解できる言葉で語りかける。

そんな彼の姿勢が、随所に感じられる一冊となっています。

「空」という可能性──心の本性を見極める

本書を読んで最初に驚かされるのは、「心をただ休めるときに経験する広々とした感覚」仏教では「空」と呼んでいるという指摘なんです。

「空」と聞くと、どうしても「何もない」「虚無」といったイメージを抱いてしまいがちですよね。でも、リンポチェが語る「空」は、まったく違うんです。

心の本質が「空」であるために、あなたは、潜在的には無限に種類の思考や感情、感覚を経験できるのです。「空」に対する誤解です。「空」から生み出されてくるこういうわけです。

空とは、存在することと存在しないことが同時に起こるような、すべての可能性なんです。

もし私たちの本性が「空」であるのでなければ、誰かが死んだとき、誰かが生まれたとは言えないはずです、とリンポチェは語ります。

私たちは日常生活の中で、あまりにも「固定されたもの」として世界を捉えすぎているのかもしれません。自分自身も、周囲の人々も、起こる出来事も、すべて「こういうもの」として固定化して認識してしまう。

でも実際には、すべてが条件によって変化し続けているんです。

すべてあなたが経験することは、刻々と移り変わる条件によって変化していきます。たった一つの条件が変化しても、あなたの経験の形は変化します。

ここで語られているのは、仏教における「縁起」の思想です。すべての現象は、互いに関係し合い、依存し合って成立している。独立して存在するものなど、何一つない。

リンポチェは、この概念を現代物理学の知見と結びつけます。

亜原子レベルになると、「物質」は物ということよりもエネルギーの「波」のような振る舞いをすることがわかってきたのです。この「粒子-波」は、位置や速度を同時に決めることができません。

量子力学が明らかにしてきたように、物質の最小単位は「粒子」でありながら「波」でもあるという、二重性を持っています。観察者が見る前には確定しておらず、観察することで初めて「決定」される。これは、ブッダが2500年以上前に語っていた「縁起」の教えと、驚くほど共鳴するんです。

物理学と幸福論を聞いて、どんな関係があるのかと思う人もいるかもしれません。でも、私たちは、もともと生きながら宇宙の一部なんです。私たち自身の姿の説明が不十分であることがわかります、とリンポチェは指摘します。

ブッダの教えは、大きく2つに分けられます。一つは智慧に関する教え、もう一つは方便、つまり実践についての教えです。ブッダは、この2つを鳥の両翼にたとえています。

智慧だけでも飛べない、方便だけでも飛べない。

両方が揃って初めて、私たちは「知る必要がある知識」を得て、「知る必要のない錯覚」をしてしまわないようになれるんです。

「空」という概念は、まさにこの智慧の核心です。それは絶望的な虚無ではなく、無限の可能性を秘めた状態なんです。

心が安らいだ状態とは何か──凪の感覚を言語化する

では、「心が安らいだ状態」とは、具体的にどのような状態なのでしょうか。もっと深く考えてみましょう。

本書で繰り返し語られるのは、「本性を知れば、私たちは苦しみから解放される」という教えです。でも、これは感情がなくなるということではありません。

本性を知れば、私たちは苦しみから解放されるのです。本性を知れば、私たちは苦しみから解放されるわけです。人生の質も変わります。あなたが不可能と思っていたようなことが起こり始めるのです。

ここで重要なのは、「苦しみから解放される」ことと「感情を失う」ことは違う、ということなんです。

仏教において「幸福」とは、何かを理解する上でもとても重要な概念なのです。

それはさまざまな意味があり、まして仏教における「幸福」とは、単なる一時的な快楽や、達成感とは異なります。

仏教は、基本的に極めて現実に即したものです。それはやおらさ、幸福感、自信などを養い、守り、維持させ、発展させることを目的としたものを導きます。仏教の訓練とは、自分の思考や行動を変えてより良い人間になるというよりも、あなたの人生で謙虚なところであったとしても、あなたはすでに完全であり、あなたはすでに仏なのです。あなたはすでになるべきすべてのものに到達することなのです。これはあなたの心にもともと備わっている潜在的な力を認めることでもあります。

つまり、仏教における修行とは、「自己改善プログラム」ではないんです。

私たちはすでに完全であり、本質的に「仏」である。

ただ、それを認識していないだけ。修行とは、この本来備わっている力を「思い出す」プロセスなんです。

この視点は、現代の自己啓発文化とは根本的に異なっています。私たちは常に「もっと良くなろう」「成長しよう」と自分を駆り立てます。でも、そうした努力そのものが、実は緊張と苦しみを生み出しているのかもしれません。

心が安らいだ状態とは、おそらく波の中に漂い、力が入っていない状態なんだと思います。何かを「達成しよう」「掴もう」とする緊張から解放されたとき、私たちは初めて、世界と一体化している感覚を味わえるのではないでしょうか。

仏教者として最初に教わったのは、一切衆生──人間だけでなく基本的な意識の感覚を備えているもの──は、幸福を求め苦しみを避けたいと思っているということです。それは身体であり、言葉であり、心です。

心とはいわば人形遣いのようなもので、身体やさまざまなコミュニケーションの手段は、その道具なのだということです、とリンポチェは説明します。

そして、修行者の修行とは、絶えず記される思考や感覚、感覚にありのままに気づき、そこに心をただ休めることができるかどうかにかかっています。

仏教の伝統では、この悟りかな「気づき」の意識を「止」と呼びます。「心の充実(マインドフルネス)」とも呼ばれています。心に本来備わる「明晰性」のなかにただやすらぐこともと言えます。

凪いだ状態──それは決して「何も感じない」状態ではありません。むしろ、思考や感情が生まれては消えていくのを、ただ静かに見守っている状態です。波は立ちます。でも、その波に翻弄されることなく、深い海の底で静かに在る感覚。

あなたの経験、つまり思考や感情、感覚は、見かけほど固定したものでもなく、変えられないものでもありません。あなたの知覚は、事物の「本性」の、非常に大きな近似値に過ぎません。実際、あなたが今その中にいる宇宙と、あなたの心の中の宇宙とは、統合されたーつの全体なのです。

この「統合されたーつの全体」という感覚こそが、心が安らいだ状態の本質なのかもしれません。

ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェ
¥1,100 (2025/10/05 09:28時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント4倍セール!/
Rakutenで探す

「相互依存(縁起)」と日常の実践

ブッダが信じたのは、人間の「本性」のもつ完全な、潜在的な力です。この潜在力は、それまではいわゆる二元論によって限定されていました、とリンポチェは語ります。

二元論──つまり、明らかなあなた自身と、明らかなあなた自身以外の何かを、それぞれに実在する「自己」は、同じく明白なかたちで先天的に実在する「他者」とは区別されねばならない、という誤った信念を意味しています。

私たちが日常で経験する苦しみの多くは、この二元論から生まれているんです。

「自分」と「他者」、「内側」と「外側」、「良い」と「悪い」──こうした区別を絶対的なものとして捉えてしまうことで、私たちは分離感を味わい、不安や恐れを抱くようになります。

でも、仏教が教える「縁起」の視点から見れば、すべては相互に依存し合って存在しているんです。

互いに異なる条件が同時に存在するさまを、仏教では「相互依存」(縁起)と呼びます。

チベットには、「急いだからラサには着けない、ゆっくり歩けばやがて着く」ということわざがあります。東チベットの人がラサまで巡礼していた当時にできたことわざです、とリンポチェは紹介します。

これは単なる比喩ではなく、「縁起」という真理を端的に表現しています。

急げば急ぐほど、私たちは目的地から遠ざかってしまう。
力を抜いて、ゆっくりと歩むことで、初めて本当に進むことができる。

この教えは、現代社会を生きる私たちにとって、きわめて重要な示唆を含んでいます。

私たちは常に「効率」を求め、「結果」を急ぎます。でも、その焦りこそが、実は私たちを目的から遠ざけているのかもしれません。

すでに人生とはこういうものと決めつけている人にとってはよい知らせです。あなたの経験、つまり思考や感情、感覚は、見かけほど固定したものでもなく、変えられないものでもありません。

日常の実践において、リンポチェが強調するのは「あるべき姿を定義すること」の重要性なのではないかと感じます。

仏教における修行は、特別な場所や時間に行う儀式ではありません。
むしろ、日常生活のあらゆる瞬間が、修行の場なんです。

それは「本性」と呼ばれるのは、だれがそれをつくったわけではないからだ。──チャンドラキールティ

と、その言葉をリンポチェは引用します。

私たちの本性は、誰かが作ったものではありません。それは元々そこにあるものです。ただ、私たちがそれを認識していないだけ。

現代の科学と仏教を学んでいて、最もすばらしいと思ったのは、仏教では、人々が幸福を実現するための完全な力を持っていることをまず認めたうえで、それをどのように掘り起こせばよいのか、その方法を教えます、という一節です。

西洋的な方法では、自分たちの理屈がなぜ、どのように有効であるかを確認するために、より客観的な方法がとられます。人は何が真実であるかを理解する方法を備えているのです。

つまり、仏教は「内側からの確認」を重視し、科学は「外側からの検証」を重視する。この両方のアプローチを統合することで、私たちはより深い理解に到達できるのではないでしょうか。

量子力学が、古典物理学から次第に発展してきたように、ブッダの経験を引き継ぎ、それを聞いた人の理解力にしたがって、次第に発展していきました、とリンポチェは説明します。

物理学と幸福論を聞いて、どんな関係があるのかと思う人もいるかもしれません。でも、私たちは、もともと生きながら宇宙の一部なのです。こうした私たち自身の姿の説明は不十分であることがわかります。

ブッダの教えは、大きく2つに分けられます。

一つは智慧に関する教え、もう一つは方便、すなわち実践についての教えです。

ブッダは、この2つを鳥の両翼にたとえています。智慧だけでも飛べない、方便だけでも飛べない。

この両翼を持って初めて、私たちは「知る必要がある知識」を得て、「知る必要のない錯覚」をしてしまわないようになれるんです。

本書が示してくれるのは、「心の持ち方」や「病は気から」といった表現の背後にある、もっと深い真実です。これらの常套句に真を置える人はそうあるまい、とリンポチェは指摘します。

でも、心の本性を理解し、それを日々の生活の中で実践していくことで、私たちは本当に人生の質を変えることができる。それは単なる気休めではなく、強い意志を持ってすれば(そうしたい場合と比べると)何となく快い方に向かいそうである、という程度のものでもありません。

それは科学的にも検証可能な、実践的な智慧なんです。

本書を読んで痛感したのは、「心は持ちよう」とか「病は気から」という表現だけでは、この深遠な教えを十分に伝えきれないということです。もちろん、これらの常套句に真を置える人はそうあるまい、とリンポチェも認めています。

でも、本書はこれらの常套句によって意味される内容を、(チベット)仏教の、そして現代科学の、双方の立場から実証的かつ理論的に裏付けをしています。

この俯瞰的な視点こそが、本書の最大の魅力だと思います。

仏教の考え方やキーワードは、こちらの1冊「【仏教の教えを一言でいうと!?】完全版 仏教「超」入門|白取春彦」もぜひご覧ください。

まとめ

  • 「空」という可能性──心の本性を見極める――智慧と方便の2つを用いて、私たちは「知る必要がある知識」を得て、「知る必要のない錯覚」をしてしまわないようになれるのです。
  • 心が安らいだ状態とは何か──凪の感覚を言語化する――私たちはすでに完全であり、本質的に「仏」でなのです、それを思い出すために修行をするのです。
  • 「相互依存(縁起)」と日常の実践――心の本性を理解し、それを日々の生活の中で実践していくことで、私たちは本当に人生の質を変えることができるのです。
ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェ
¥1,100 (2025/10/05 09:28時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント4倍セール!/
Rakutenで探す
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!