- とげとげしい言葉を誰かに投げつけたこと、ありませんか?あるいは、誰かからそんな言葉を受け取って、深く傷ついたことは?
- 実は、その言葉の正体は「さびしさ」なのかもしれません。
- なぜなら、私たちが発する攻撃的な言葉の多くは、自分の内側にある孤独や不安の投影だからです。相手を攻撃しているようで、実は自分自身の心の叫びを言葉にしているだけなのかもしれません。
- 本書は、精神科医として多くの人の心に寄り添いながら、同時にTwitterを通じて自分自身の心の動きを観察し続けてきたNさんによる、言葉と感情についての深いインサイトが詰まった1冊です。
- 本書を通じて、私たちは言葉の奥にある本当の感情と向き合い、自分自身を理解し、そして他者との関係性をより豊かにしていく方法を学ぶことができます。
精神科医Nさんは、その名の通り精神科医として臨床に携わりながら、Twitterを通じて人間の心の動きを観察し続けてきた方です。本書が生まれた背景には、1日に20〜30のツイートを投稿し、それを振り返るという独特の習慣がありました。この行為は、まるでカウンセリングセッションのように、自分自身の内側にある感情と向き合う時間だったのです。
精神科医という職業柄、多くの人の心の痛みに触れてきたNさんですが、同時に自分自身の心の動きにも誠実に向き合ってきました。
Nさんが本書で伝えようとしているのは、単なる感情のコントロール方法ではありません。むしろ、自分の中にある「とげとげしさ」や「攻撃性」の正体を見つめ、それがどこから来るのかを理解することの重要性です。
本書は、Twitterという現代的なツールを使いながら、人間の普遍的な孤独と、そこから生まれる言葉の本質に迫った一冊です。精神科医としての専門知識と、一人の人間としての内省が交差する場所に、この本は存在しています。
言葉は自分の内側を映す鏡
人は人に病み、人に癒やされる。この言葉を読んだとき、私は何か大きな真実に触れた気がしたんです。
私たちは毎日、無数の言葉を交わしながら生きています。
しかし重要なのは、言葉というものが単なるコミュニケーションツールではないということです。
言葉は私たち自身の内側にある感情の投影なんです。とげとげしい言葉を発するとき、私たちは何かに怒っているのではなく、実は自分の内側にある孤独や不安と戦っているのかもしれません。
Twitterという場を使って、1日に20〜30のツイートを投稿し、それを振り返る。この行為は単なる記録ではなく、自分自身とのカウンセリングセッションだったと言えます。
孤独な人は必ず、駄け引きをしてしまう。
この指摘は鋭いです。
孤独が苦しいのは、ひとりぼっちだからではなく、頭の中が他人の声でいっぱいになっているからだと。
私たちは一人でいるとき、実は最も多くの人々に囲まれているのかもしれません。
ただし、それは実在の人々ではなく、自分の頭の中で作り上げた「他者の視線」や「他者の評価」なんです。
素敵な人に会いに行き、そのそばに、失礼のない範囲で長くいるように。一方で、意地が悪く、あなたを尊敬してくれない人のそばからは、できるだけすみやかに、距離を取りましょう。
この対照的なアドバイスは、関係性の選択が人生において決定的に重要であることを示しています。
でも、ここで大切なのは、「悪い人」を避けるということではありません。
むしろ、自分の内側にある感情の動きを観察し、どの関係性が自分を成長させ、どの関係性が自分を消耗させるのかを見極めることなんです。
疲れた時にやってみてほしいこと。それは、目を閉じて自分の身体の奥の方に向かって、「ありがとう」と呟くこと。
この言葉には深い意味があります。
深い謝意を込めて、体の端にまで言葉が染みるように。
これは単なるリラクゼーション法ではなく、自分の身体という「もっとも近くにいる他者」との対話なんです。
私たちは自分の身体を所有物のように扱いがちですが、実は身体も一つの存在として、私たちと関係を結んでいます。
心の隙間を他人に埋めてもらおうとする試みは必ず失敗します。
この言葉は厳しく聞こえるかもしれませんが、これこそが人間関係の本質を突いています。心の明るさとは、視野が広がること。自分の内側を見つめることができれば、自然と他者への理解も深まっていくんです。
自分との対話とはなにか、については、こちらの1冊「【頭がいいは、視点で決まる!?】メタ思考~「頭のいい人」の思考法を身につける|澤円」も大変おすすめです。ぜひご覧ください。

本当の自分とは、自分ではないもの
心を晴れやかに、保つために必要なこと。
それは自分が少数派でい続ける勇気。
この言葉には、現代社会を生きる上での重要な示唆が含まれています。私たちは多数派に属することで安心を得ようとします。例えば、SNSの「いいね」の数に一喜一憂し、周囲の評価を気にしながら生きている。そんな人も少なくないのではないでしょうか。
でも、本当の安心は、自分が少数派であっても構わないという覚悟の中にあるんです。
人はよく、恐れと怒りとを取り逃べてしまう。恐れるがゆえに怒るのか、怒ることを恐れているのかを見極めてみましょう。
この洞察は驚くほど的確です。私たちが誰かに対して攻撃的になるとき、その奥には恐れがあります。
でも同時に、私たちは自分が怒ることを恐れてもいるんです。
怒りという感情そのものを認めることができないから、それが歪んだ形で表出してしまう。
弱いことは、悪いことではありません。自分の弱さを知り、生き弱さを持ったまま生きる。
ここに、この本の最も重要なメッセージがあると思います。
私たちは強くなろうとします。弱さを克服しようとします。でも、実は、弱さは克服すべきものではなく、抱えたまま生きていくものなんです。
文脈を強さ・弱さというのは、それ自体で絶対的に決定するものではなく、相対的な文脈の中で、規定されるものですね。
だからこそ、文脈をコントロールして、置きどころをケアしていく必要があるのです。
この視点に立てば悩まなくて済みます。
自信とは、どういうところに浮かび上がってくるものでしょうか。
それは、おそらく自分というものの本質を理解しているということ。だと思われます。
強さ・弱さという誰かが決めた論点ではなく、自分自身の文脈をもつことができるか。ということ。
そして、その上で、人と違う自分を、決して誰かに譲り渡さないで生きてみることを決心する。
それを日々繰り返すことが自信なのだと。
今日一日生きてみることを決心する。それを日々繰り返すことが自信。この言葉は、自信というものが一度獲得したら終わりではなく、毎日更新していく必要があるものだということを示しています。
創造する人に人は集まる
協力者がいなければ、人は何もやりとげることはできない。
この当たり前の事実を、私たちはときどき忘れてしまいます。孤独に頑張ることが美徳のように思えるときがある。でも、本当に大切なのは、協力者が現れるのは、自分ですでると決心した人間の前だけだのだという事実です。
自分のできる範囲でそれを心掛け、その理想に向けて決して諦めずに一歩一歩進むこと。
それが幸せになるコツ。幸せというのは、到達すべきゴールではなく、プロセスそのものなんですね。一歩一歩進むことそのものが幸せなんです。
大切なのは変化するということ。行動を始めることさえできれば、何かが必ず変わり始めます。
変化を恐れる必要はありません。むしろ、変化しないことの方が、実は大きなリスクなのかもしれません。停滞は安全に見えますが、実際には少しずつ生命力を失っていく過程なんです。
たとえどんなに落ち込んでいても、ゴミ屑のようにみじめであったとしても、創作意欲に満たされている時、あなたはまるで世界の王者のようだ。
この言葉には深い真実があります。創造するということは、単に何かを作り出すことではありません。それは、自分の内側にある生命力と繋がることなんです。
人には親切にしましょう。一番手っ取り早いのは、誰かが失敗した時に、その失敗を許すということです。
親切とは、単に優しい言葉をかけることではありません。相手の失敗を許し、その人が再び立ち上がる余地を与えることなんです。
人生の半分は、待つことに費やされる。それを意識すると、ほんの少し、人生に風が吹く。
私たちは結果をすぐに求めます。即座のフィードバック、即座の成功。でも、人生の多くの時間は、実は「待つ」ことで構成されています。種を蒔いてから芽が出るまで待つ。努力が実を結ぶまで待つ。その待つ時間を受け入れることができたとき、人生に対する焦りが少し和らぐんです。
関係性を考えるということは、つまり、生きることそのものを考えることだと思いました。
私たちは関係性の中でしか存在できません。完全に孤立した個人というものは、実は存在しないんです。
だからこそ、どんな関係性を選び、どんな関係性を育て、どんな関係性から距離を取るのか。
その選択が、そのまま人生の質を決めていくんだと思います。
まとめ
- 言葉は自分の内側を映す鏡――言葉は私たち自身の内側にある感情の投影です。その言葉に向き合うこと、丁寧に取り扱うことが、自分自身を理解する手助けをくれます。
- 本当の自分とは、自分ではないもの――本当の安心は、自分が少数派であっても構わないという覚悟の中にあるのです。
- 創造する人に人は集まる――どんな関係性を選び、どんな関係性を育て、どんな関係性から距離を取るのか、それが人生をそのまま定義していきます。
