生きる軸となりうるもの『菜根譚コンプリート:本質を捉える「一文超訳」』野中根太郎

『菜根譚コンプリート:本質を捉える「一文超訳」』野中根太郎の書影と手描きアイキャッチ
  • あなたは、自分の人生の「軸」を持っていますか?
  • 何を大切にし、どう判断し、どう生きるのか。その基準が明確にあるでしょうか。
  • 実は、約400年前に中国で生まれた一冊の書物が、現代の日本でも経営者や政治家に愛読され続けています。それが『菜根譚』です。稲盛和夫さん、田中角栄さん、松下幸之助さんなど、日本を代表する実業家たちがこの古典から学んできました。不思議なことに、生まれた中国ではあまり読まれていないのに、日本では圧倒的に支持されているんです。
  • なぜなら、菜根譚が説く教えは、時代や場所を超えて通用する普遍的な摂理だからです。勤勉さ、誠実さ、思いやりの心——これらは単なる処世術ではなく、社会・経営・人生を貫く価値観なんです。
  • 本書は、野中根太郎さんによる「一文超訳」という独自の手法で、菜根譚の本質を現代に蘇らせています。現代語訳、書き下し文、原文に加えて、各章の核心を一文で捉えることで、古典初心者でも深い知恵にアクセスできるようになりました。
  • 本書を通じて、私は「世の中の普遍的な摂理をとらえることは、社会、経営、人生を貫く価値観として絶対的に必要なのだ」ということを強く感じました。

野中根太郎さんは、早稲田大学卒業後、海外ビジネスに携わった経験を持つ翻訳家・出版プロデューサーです。

海外で活動する中で、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことが、古典の翻訳と出版企画に力を注ぐきっかけとなりました。

野中さんの特筆すべき功績は、古典を現代に蘇らせる独自のアプローチにあります。

「一文超訳」という手法を用いることで、古典の本質を一文で捉え、読者の理解を飛躍的に向上させることに成功しています。

『論語コンプリート』『孫子コンプリート』『老子コンプリート』など、「コンプリートシリーズ」として数々のベストセラーを世に送り出してきました。

これらの作品では、現代語訳、書き下し文、原文に加えて、「一文超訳」を併記することで、古典初心者から研究者まで幅広い読者層に支持されています。

野中さんは単なる翻訳者ではなく、古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップしながら、日本の古典文化を現代に活かす橋渡し役を担っています。

本書『菜根譚コンプリート』もまた、約400年前に中国で誕生し、むしろ日本で愛されてきたこの処世の書を、現代人が実践的に活用できる形で提供する意欲作となっています。

なぜ菜根譚は日本で愛され、中国では読まれないのか

菜根譚について語るとき、まず驚くべき事実があります。

それは、この書が生まれた中国ではあまり読まれていないのに、日本では経営者や政治家に愛読され続けているという逆転現象なんです。

約400年前、明の時代末期に洪自誠という人物によって書かれた菜根譚は、儒教・仏教・道教という3つの思想を融合させた独特の処世の書でした。

洪自誠は、正しいと思った道を守り、身後の身を思い、いっときの自分の利益よりも死後を重んじるという生き方を重視した人物です。

つまり、目先の利益や評価ではなく、永遠の価値を見据えた生き方を説いたんですね。

この菜根譚が日本で圧倒的に支持される理由は、日本人の特質と驚くほど親和性が高いからだと思うんです。

本書で指摘されている菜根譚の6つの特徴を見ると、それがよくわかります。

第1は、日本人の最大の特徴である勤勉、誠実に仕事をし、勉強をすることによって、この社会に貢献していこうという姿勢です。

日本人は古来、コツコツと真面目に働くことを美徳としてきました。

菜根譚もまた、地道な努力と誠実さを重視しています。

第2に、道を守り、仁と義の人であれというところです。

道を守るということは、自分が正しいとする判断基準を持つということなんですね。

これは単なる規則の遵守ではなく、自分の内なる羅針盤を持つことを意味しています。

現代社会では、周りの空気を読むことばかりが重視されがちですが、菜根譚は「自分の正しさ」を持つことの重要性を説いているんです。

本書にこんな一節があります。

「正しい生き方をする者は永遠の価値を得る。人としての正しい道を守っていく者は、不遇になることがある。しかし、それは一時的なもので社会性の中で周りとうまくいかなくなるだけで、一般的にはうまくいくかもしれないが、いずれうまくいかなくなる。それは永遠の試しとなる」

これは深い洞察だと思います。

正しい道を歩む人は、一時的には不遇に見えるかもしれない。

でも、それは永遠の価値を得るための試練なんです。

逆に、その場しのぎで周りに迎合する生き方は、一時的にはうまくいっても、いずれ行き詰まる。

だから、正しい生き方を知る達人は、「自己の正しい生き方より正しい真実を求め、死後の朽ちざる名を考えるものだ」と説かれています。

第3に、他人への思いやり、優しさを持つという人生態度のすすめです。

これは単なる親切心ではなく、もっと深い利他の精神を指しています。

菜根譚にはこう書かれています。

「人に役立つ生き方ができれば最高である。この世に生きている間は、心がまえとして、できるだけ心を広く開放しておきたい。そうして、まわりの人々が不平不満を嘆かなくてすむようにしたい」

この視点が素晴らしいんです。

自分が幸せになることだけを目指すのではなく、周りの人々が不平不満を持たないような環境をつくること。

これこそが本当の豊かさだと菜根譚は教えてくれます。

さらに、こんな具体的な教えもあります。

「他人に幸せを与えられる人は幸せに生きることができる。狭い小道において混み合うようであれば、自分が一歩下がって人に道を譲る。また、おいしいものをみんなで食べているときは、自分の分を三分くらい減らして人に譲る」

これは小さな行動のように見えますが、実は人生哲学そのものなんです。

一歩譲ること、三分減らすこと。

こうした日々の小さな選択の積み重ねが、「安心な人生を送る生き方の一つ」になるというんですね。

第4に、生活自体は質素であるのが良いとしつつも、活気のあるそしつつも楽しい生活をすすめています。

これは現代の消費社会に対する強烈なアンチテーゼだと思います。

物質的な豊かさを追求することよりも、心の豊かさを大切にする。

菜根譚にはこんな美しい一節があります。

「人生は毎日、喜びと楽しい気持ちがなければならない。強い風や激しい雨のときは、鳥さえも巣の中に閉じこもり、天地が晴れて大空に白い雲が吹いているときは、草や木も生き生きとしてうれしそうである」

自然のリズムと調和しながら、日々の中に喜びを見出す。

これこそが菜根譚が説く豊かな生き方なんです。

そして興味深いのは、「本物は目立たない」という教えです。

「味の濃い料理は、こまかし気がある。本物の料理とはいえない。本物は、うっとりとして食材本来の味を活かしている。これと同じく本物の人物は、他より目立つ才能があるように見える人ではない。本物の人物というのは、平凡で愚人のように見える」

現代社会では、自己アピールやブランディングが重視されますが、菜根譚は真逆のことを言っています。

本当に価値のあるものは、派手さではなく、本質にある。

素材の味を活かす料理のように、人も飾らない自然体こそが本物だというんです。

第5に、自然を愛し、教養文化を愛していこうとする姿勢です。

そして第6に、自分の人生は自分が主役であり、自分で決めていくようにすることです。

この6つの特徴を見ると、なぜ日本で菜根譚が愛されてきたかがわかります。

勤勉さ、誠実さ、思いやり、質素な中の豊かさ、教養、そして主体性。

これらはまさに日本人が理想としてきた生き方そのものなんです。

一方で、論語との違いも明確です。

論語が「仁」「義」といった高い倫理観を前面に押し出すのに対し、菜根譚はもっと実践的で、日々の生活の中でどう生きるかという処世術に焦点を当てています。

だからこそ、稲盛和夫さん、田中角栄さん、五島慶太さん、野村克也さん、松下幸之助さんといった、実社会で活躍した経営者や指導者たちに愛読されてきたんですね。

彼らは理想論ではなく、現実の中で結果を出さなければならない人たちでした。

菜根譚は、そんな彼らに実践的な知恵を与えてくれたんだと思います。

経営者が菜根譚に見出す「普遍的な摂理」

菜根譚を読んでいて、私が最も強く感じたのは、この書が単なる処世術を超えて、世の中の普遍的な摂理を捉えているということです。

普遍的な摂理とは何か。

それは時代や場所、状況が変わっても通用する、人間社会の根本原理のことです。

そして、こうした摂理をとらえることは、社会、経営、人生を貫く価値観として絶対的に必要なんだと思います。

経営者たちが菜根譚を愛読してきた理由も、まさにここにあるんじゃないでしょうか。

ビジネスの現場では、日々新しい課題が生まれ、状況は刻々と変化します。

そんな中で判断の軸となるのは、テクニックやノウハウではなく、普遍的な原理原則なんです。

菜根譚が教える最も重要な摂理の一つが、「ちょっと良いこと」を目指すという姿勢です。

本書では、菜根譚は「あちこちで、ちょっと良いこと(孔子の言う『中庸』にあたる)を目指すことを述べている」と指摘されています。

これは一見、消極的に聞こえるかもしれません。

でも、実は深い知恵が込められているんです。

「何事もほどほどにして、欲をかきすぎない。何事も手分ちのり少し控え目を心がけるという気持ちを失わなければ、造物者(天)も私を嫌って懲いを下したりしないし、神々も皆を譴すこともできない」

この教えは、現代の「もっと、もっと」という成長至上主義へのアンチテーゼだと思います。

続けてこう書かれています。

「不足のないものを望んで大欲を抱き、すべてにおいて、欲深く最後に行きつくまでの功績や成功を求めていると、内部から裂けて崩壊していくか、さもなければ必ず外部から切り崩される」

これは企業経営にも当てはまります。

急成長を追い求めすぎて崩壊した企業は数知れません。

持続可能な成長のためには、「ちょっと良い」くらいを目指す謙虚さが必要なんです。

そしてもう一つの重要な摂理が、物事の好転のサイクルです。

「うまくいかない後に物事は好転していくものだ。得意絶頂で運にも恵まれ人の尊厳も厚いようなときほど、用心深くしておかなくてはならないからだ。調子の良いことにこそ自分を戒めておくべきである」

これは経営者にとって極めて重要な教えです。

好調なときこそ危険が潜んでいる。

だから謙虚さを失ってはいけない。

そして逆に、こう続きます。

「逆に、失敗ばかりが続き何事もうまくいかない後にこそ、物事は好転して良くなっていく可能性が高いのだから、うまくいかないといってあきらめて仕事を放り投げてしまってはいけない」

この循環の理解こそが、長期的な成功の鍵なんです。

順境のときは慎重に、逆境のときは希望を持って。

この姿勢が、困難を乗り越える力になります。

稲盛和夫さんが京セラを創業し、KDDIを立ち上げ、JALを再建できたのも、こうした普遍的な摂理を理解していたからだと思います。

田中角栄さんが日本列島改造論を掲げながらも、最終的には挫折を経験したのも、「欲をかきすぎない」という教えを忘れたからかもしれません。

松下幸之助さんの「水道哲学」も、菜根譚の思想と通底しています。

豊かさを追求しながらも、それは独占するためではなく、社会全体に行き渡らせるため。

これはまさに、「できるだけ心を広く開放しておき、まわりの人々が不平不満を嘆かなくてすむようにしたい」という菜根譚の教えそのものです。

さらに、菜根譚は利他と自己実現のバランスについても、深い洞察を示しています。

「自分に厳しくあれ。人から恩恵や利を受けるときは控え目にして、他より先に取ろうとしてはならない。しかし、世の為め人の為めになるというようなことには、他に譲るようではいけない」

これは経営における重要な原則です。

自分の利益は控えめに、でも社会貢献においては積極的に。

そして興味深いのは、こう続く部分です。

「人から物を受け取るときは、分相応を超えないように気をつけるべきである。しかし、自分に厳しくあれ、人には寛容であるようにしての分を減らすなどと考えてはいけない(できる限り上を目指して努力すべきである)」

つまり、謙虚さと向上心は矛盾しないんです。

むしろ、謙虚だからこそ、健全な向上心が持てる。

この絶妙なバランス感覚が、菜根譚の真骨頂だと思います。

そして、こんな一節もあります。

「情けは人の為めならず。この世を生きていくには、恩情をもって人に接しなければならない。人に一歩を譲ることが、実は自分が一歩先に行く根本となるのである」

これは単なる道徳論ではなく、社会の仕組みの本質を突いています。

人に譲ることが、回り回って自分の利益になる。

短期的には損に見えても、長期的には得になる。

こうした時間軸の長い視点こそが、経営者に求められる資質なんです。

また、人材育成についても示唆に富んだ教えがあります。

「また、人に完全を求めるのはやめたい。二分ほど不完全を残すことこそ、この人の為めに利する行為が、将来の自分の為めの土台をつくってくれるのだ」

完璧を求めすぎないこと。

余白を残すこと。

これは部下を育てる上でも、組織を運営する上でも重要です。

人は不完全だからこそ成長できるし、組織も余裕があるからこそ柔軟性を保てる。

効率化を追求しすぎて余白をなくした組織は、脆くなります。

経営者たちが菜根譚から学んできたのは、こうした普遍的な原理原則だったんだと思います。

それは時代が変わっても、業種が変わっても、国が変わっても通用する、人間社会の根本的な法則です。

だからこそ、400年前に書かれた書物が、現代の経営者にも愛読され続けているんですね。

現代を生きる私たちにとっての菜根譚

さて、経営者だけでなく、私たち一般の人々にとって、菜根譚はどんな意味を持つのでしょうか。

私は、菜根譚が最も私たちに与えてくれるものは、「生きる軸」だと思います。

現代社会は情報過多で、価値観も多様化し、何を基準に生きればいいのかわからなくなりがちです。

SNSを見れば誰かの成功が目に入り、ニュースを見れば不安になる情報ばかり。

そんな中で、自分の人生の軸をどこに置くか。

菜根譚は、そのヒントをくれるんです。

まず、侠気と純粋さについての教えが印象的です。

「侠気のまったくない人、純粋さをすべて失くした人は魅力がない。友と交わるには、せめて三分の一くらいの侠気はあってもいいし、人に接するめには、少なくとも純粋な一点の本心はなくさないようにしたい」

侠気とは、強きをくじき弱きを助ける心持ち、義侠心のことです。

現代風に言えば、正義感や他者への思いやりでしょうか。

計算高く、損得勘定だけで動く人は、確かに魅力に欠けます。

時には損をしても、正しいと思うことをする。

困っている人がいたら手を差し伸べる。

こうした「純粋な一点の本心」を持ち続けることが、人としての魅力につながるんです。

そして、菜根譚は「自分の人生は自分が主役である」という主体性を強調します。

これは現代社会で最も必要な姿勢だと思います。

他人の評価や、社会の期待に振り回されるのではなく、自分で自分の人生を決める。

でも、それは自己中心的に生きるということではありません。

菜根譚が教える主体性は、他者への配慮と両立するんです。

前述の「狭い小道で一歩下がって人に道を譲る」という行動も、実は主体的な選択なんですね。

誰かに言われて仕方なく譲るのではなく、自分の意志で、自分の価値観に基づいて譲る。

これこそが本当の主体性だと思います。

日々の生活の中で、菜根譚の教えをどう活かせるか考えてみます。

例えば、職場での人間関係。

競争が激しく、他人を蹴落としてでも成果を出そうとする雰囲気があるかもしれません。

でも、菜根譚は教えてくれます。

自分の分をすこし減らして人に譲ること。

人に一歩を譲ることが、実は自分が一歩先に行く根本となること。

この姿勢で接していれば、短期的には損に見えても、長期的には信頼を得て、より良い人間関係を築けるはずです。

あるいは、キャリアの選択。

もっと高い地位、もっと高い収入を求めて、焦りを感じることもあるでしょう。

でも、菜根譚は「何事もほどほどにして、欲をかきすぎない」と教えてくれます。

「不足のないものを望んで大欲を抱く」と、内部から崩壊するか、外部から切り崩される。

だから、今の自分に合った「ちょっと良い」目標を設定する。

そして着実に歩んでいく。

この方が、結果的には持続可能な成長につながるんです。

また、失敗したときの心の持ち方も変わります。

プロジェクトがうまくいかなかった。

人間関係でトラブルがあった。

そんなとき、「うまくいかない後に物事は好転していく」という言葉を思い出せば、希望を持てます。

今の失敗は、次の成功のための準備期間。

だから、あきらめて仕事を放り投げてしまってはいけないんです。

逆に、順調なときこそ、「調子の良いことにこそ自分を戒めておくべき」という教えを思い出す。

慢心せず、謙虚さを保つ。

この姿勢が、長期的な成功の鍵になります。

そして、日々の幸せの見つけ方も変わってきます。

「人生は毎日、喜びと楽しい気持ちがなければならない」

これは、特別なイベントや大きな成功がなければ幸せになれないという考え方への挑戦です。

草木が太陽の下で生き生きとしているように、私たちも日々の小さなことに喜びを見出せる。

朝のコーヒーの香り、通勤途中に見る空、同僚との何気ない会話。

そんな日常の中に、「喜びと楽しい気持ち」を見つける感性を持つこと。

これこそが菜根譚が説く豊かな生き方なんだと思います。

物質的な豊かさを追求するのではなく、心の豊かさを大切にする。

「味の濃い料理」ではなく、「素材本来の味を活かした料理」のような生き方。

派手さや見栄ではなく、本質を大切にする。

こうした価値観を持つことで、現代社会の消費主義的な圧力から自由になれるんです。

最後に、菜根譚が私たちに与えてくれる最大の贈り物は、「永遠の価値」への視点だと思います。

「正しい生き方をする者は永遠の価値を得る」

私たちは日々、目先の問題に追われています。

今日の仕事、今月の売上、今年の目標。

でも、菜根譚は問いかけます。

それは永遠の価値につながっているのか、と。

一時的な成功や評価ではなく、死後の朽ちざる名を考える。

これは大げさに聞こえるかもしれませんが、要するに「自分の人生の意味」を問うということです。

お金や地位は、死んだら持っていけません。

でも、人々の心に残る影響は、永遠に続きます。

だから、「この世に生きている間は、できるだけ心を広く開放しておき、まわりの人々が不平不満を嘆かなくてすむようにしたい」

「積極的な恵みを、死後にも長く残るようにしておきたい」

こうした視点で生きることが、本当の意味での成功なんだと思います。

菜根譚は、400年前に書かれた古典です。

でも、そこに書かれている教えは、驚くほど現代的です。

なぜなら、それは人間社会の普遍的な摂理を捉えているから。

時代が変わっても、技術が進歩しても、人間の本質は変わりません。

どう生きるべきか、何を大切にすべきか、どう他者と関わるべきか。

この根本的な問いに対する答えを、菜根譚は与えてくれるんです。

だから、日本の経営者たちはこの書を愛読してきたし、私たち一般の人々も、この書から生きる軸を見つけることができるんだと思います。

野中根太郎さんの「一文超訳」によって、菜根譚の本質がより明確に理解できるようになりました。

現代語訳、書き下し文、原文、そして一文超訳という多層的なアプローチによって、古典の知恵が私たちの生活に活かしやすくなったんです。

菜根譚から生きる軸を見つける。

それは、普遍的な摂理に基づいた、ブレない価値観を持つということ。

そして、その価値観に沿って、日々の小さな選択を積み重ねていくこと。

一歩譲ること、ちょっと減らすこと、道を守ること、喜びを見出すこと、謙虚であること、主体的であること。

こうした小さな実践の積み重ねが、やがて「永遠の価値」につながっていくんだと思います。

菜根譚については、こちらの1冊「【小事を丁寧に積み重ねよう!?】中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚|洪自誠」もぜひご覧ください。

まとめ

  • なぜ菜根譚は日本で愛され、中国では読まれないのか――菜根譚は、非常に実践的で、日々の生活の中でどう生きるかという処世術を提示してくれます。
  • 経営者が菜根譚に見出す「普遍的な摂理」――「ちょっと良い」くらいを目指す謙虚さをもとに、より良いスパイラルを目指す入口に立つことを勧めます。
  • 現代を生きる私たちにとっての菜根譚――一歩譲ること、ちょっと減らすこと、道を守ること、喜びを見出すこと、謙虚であること、主体的であること。それが本質へと導きます。
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