- ストーリー(物語)に人はかなり弱い生き物です。だから、それを活用することで、世界を自らを捉え直すことができます。
- ですが、本当に物語は万能でしょうか。
- もしかするとその物語によって、ステレオタイプが際立ってしまっているかも。
- 本書は、物語という枠組みを超えて、どのように生きていくのが豊かさに繋がっていくのかを知る1冊です。
- 本書を通じて、生き方の新しい論点を見出すことができます。
物語は万能か!?
難波優輝(なんば・ゆうき)さんは、1994年、兵庫県生まれ。
会社員として働く傍ら、立命館大学衣笠総合研究機構ゲーム研究センター客員研究員、慶應義塾大学SFセンター訪問研究員を務めるなど、アカデミアと現場の両方を横断する稀有な哲学研究者です。
神戸大学大学院人文学研究科博士課程前期課程修了。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。
「ポピュラー文化」を思考の対象とすることで、現代社会における“意味のつくり方”や“わたしの在り方”に鋭くメスを入れる論考を多数執筆しています。
著書に『SFプロトタイピング』(共著、早川書房)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(近刊、堀之内出版)など。
本書『物語化批判の哲学』では、人生を「語るべきもの」として捉える常識を疑い、“語らなさ”や“遊び”にこそ開かれる自由を模索しています。
「物語を信じすぎているのではないか?」
そんな疑いが、私たちの“生きづらさ”の正体を静かに照らし出してくれるかもしれません。
人生には、因果も意味もないただの出来事があるはずなのに――
気づけば私たちはそれをつなげ、意味を与え、「自分のストーリー」として語ろうとしてしまいます。
でも、本当にそれでよかったのでしょうか。
だが、最近、私は物語の力を疑うようになってきた。
ストーリーによって自分を理解しようとするたびに、逆に“わたしらしさ”に縛られてしまう。
物語が人を励ますどころか、かえって不調を招くことさえあるのではないか――
そんな問いから本書は始まります。
『物語化批判の哲学』は、「物語」の効用を否定するのではなく、
その“信仰”から一歩引いて、もっと自由に、もっと豊かに生きる道を探るための哲学的エッセイです。
ストーリーは、いつからこんなにも人を惹きつけるようになったのでしょうか。
著者の難波優輝さんは、その理由を、私たちのごく素朴な“願い”に見出します。
――他人を理解したい。そして、理解されたい。
――他人と同じ気持ちになりたい。そして、同じ気持ちになってほしい。
――自分が誰であるかを、はっきりさせたい。
これらの人間的な願望が、私たちを「物語」へと駆り立てているのです。
ストーリーとは、自己理解と他者理解、共感と共有、そしてアイデンティティの輪郭を与えてくれる装置。
だからこそ、現代においてストーリーはあらゆる場面で求められ、重宝され、
ときには“信仰”のようなかたちで消費されてしまうほどの力を持つに至ったのかもしれません。
けれど、そこにこそ、見落とされがちな“危うさ”が潜んでいる――
本書は、その構造をそっとほぐしていきます。
本書が光を当てるのは、「物語の力」そのものというよりも、それを無自覚に信じてしまう構造の危うさです。
たとえば――
「自分を語る」という行為は、一見すると誠実な自己開示のように思えるかもしれません。
しかし実際には、過去の出来事をある“目的”のもとに再構築し、物語として整えてしまうことで、
本来の感情や行動の偶然性、曖昧さが見えなくなってしまうのです。
このプロセスを著者は、歴史学の語りにたとえながら、
「物語によって“わたし”が歴史的に組み直される」ことの問題を丁寧に指摘していきます。
さらに重要なのは、「目的に沿った物語」こそが、
“自分らしさ”や“成功体験”といった言葉の裏にある、抑圧の源泉になっているという点です。
――私はこういう人生を歩んできた。
――だから今の私はこうあるべきだ。
――この挫折も、成長のストーリーに変えられる。
人生は物語ではない。目的などもたない。
不幸は単に不幸であり、幸福は単に幸福である。
そうした「成功ナラティブ」「克服ストーリー」の枠組みが、
いつの間にか私たち自身を“演出”し、縛っているのではないか?
本書はそう問いかけながら、物語という構造に取り込まれることなく、
「語れなさ」や「不定形なわたし」のあり方をこそ大切にする視点を提示します。
安易な安心に逃げない!?
人は、他者を「理解できた」と思えると、安心します。
その安心の多くは、物語化によって得られる“整った像”によって支えられています。
「なるほど、そういう人生だったんですね」
「つまり、これがきっかけで今のあなたがあるんですね」
――そのように“筋の通った物語”に変換して他者を把握することで、私たちは心地よくなる。
けれど、それは本当に理解と呼べるのでしょうか?
難波さんはそこに鋭くメスを入れます。
物語的理解は、しばしば他者の複雑さや混沌を“整理しすぎてしまう”ことで、本来の声や存在のままを損ねてしまう。
だからこそ著者は、「語らない」「わからない」を尊重する態度――“物語的徳(narrative virtue)”の必要性を提案します。
この「徳」とは、他者を理解しようとするその前に、まず「自分の理解したがる衝動」に立ち止まること。
そして、理解できないことを無理に解釈せず、そのままの“わからなさ”として受け取る、想像的な寛容さのことです。
これは、現代におけるコミュニケーションの美学を更新する、極めてラディカルな倫理観だといえるでしょう。
難波優輝さんが提案するのは、「物語をやめよ」という過激な拒絶ではありません。
むしろ、物語を“あまりにも信じすぎない”こと。
そして、物語以外のモードで生を感じ、応答していく可能性に目を向けることです。
私たちは、物語を通して自分や他者を理解しようとするあまり、
「わかりやすさ」や「一貫性」に強く引っ張られてきました。
けれど、世界とはもっと複雑で、感情とはもっと不定形で、
衝動は、物語に変換する前にすでに私たちを突き動かしているものです。
衝動については、こちらの1冊「【自分を「型」から解放するには!?】人生のレールを外れる衝動のみつけかた|谷川嘉浩」もあわせてご覧ください。大変おすすめな1冊です。

衝動とは、私たちが習慣によって身につけるものなのだから、どのような衝動が適切かについて、反省し、習慣を変えることもできる。
物語を「語る」のではなく、物語に“変換せずに感じる”こと。
そこからこそ、世界は新たな姿で立ち上がってくるのかもしれません。
大切なのは、「正しい物語」を求めることではなく、
自分の内に芽生えた感情や衝動に、どのように応答するかを選び取る力なのです。
遊びの可能性とは!?
本書の最終章で語られるのは、「おもちゃ」という媒介を通じた、“遊びの可能性”です。
おもちゃの特徴は、目的がないこと。
過去も未来も背負わず、ただその瞬間に“なる”ことに開かれていること。
そこでは、「私が遊んでいる」だけでなく、「おもちゃが私を遊んでいる」という逆転も起こります。
この関係性の中には、物語とは異なる自由さがあります。
成功も成長もいらない。ただそのとき、ただその場所で、一緒に浮遊する関係がある。
そしてその関係には、「裏切られない」という安心感さえ備わっています。
だから著者は、物語の代わりに「遊びなおす」ことを提案するのです。
私たちは、自分という存在を「わかりやすく語る」ことで安心しようとします。
けれど実は、語れなさや不定形さの中にこそ、豊かさは宿っている。
それを回復するには、物語ではなく、遊びの倫理が必要なのかもしれません。
私たちは、つい他者や自分を“説明可能なもの”にしたくなってしまいます。
けれど、説明や理解がすべてではありません。
大切なのは、「わからなさ」を怖れずに受け入れる心の柔らかさ。
そして、「おもちゃ遊び」のように、世界に対して開かれていることです。
それには“遊び心(playfulness)”が欠かせません。
あなたはどの生き方を選ぶだろうか。どの遊び方を好むだろうか。
遊び心とは、いつもの見方を一時的に解体し、相手や状況をまるごと受け入れてみること。
自分の論理や目的に合うかどうかで判断するのではなく、
そのままの「世界」に身を投じてみること。
たとえば…
- わからない相手の話を、すぐに分類・判断せずに、いったんそのまま聴いてみる
- 答えが見えない状態を、不安ではなく「探索の余白」として楽しんでみる
- 自分の感情や衝動に、ストーリーで意味づけせず、ただ反応してみる
- 正しさよりも、今ここで何を感じているかに目を向けてみる
こうした些細な行動の積み重ねが、
私たちを「物語の強迫」から少しずつ解き放ち、
世界との関係をもっとしなやかにしてくれるはずです。
本書『物語化批判の哲学』は、
私たちが「物語らずに生きる」ことの困難と可能性を、丁寧に、そして誠実にひらいてくれます。
物語を離れて、他者と出会いなおすために。
私たちは、今日も遊び心を携えて、「世界を旅する」ことができるのです。
『遊び方』一覧表(難波優輝『物語化批判の哲学』より)
| 遊び方 | 時間のあり方 | 遊びの構造 | カテゴリ例 | 美的特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 物語 | 通時的(時間が流れる) | 理由と関係 | 小説、演劇、エッセイ、映画、悲劇、喜劇 | 理解と情動 |
| ゲーム | ゲーム毎の反復と連なり | 課題と挑戦 | RPG、格闘ゲーム、育成ゲーム、恋愛シミュ | 達成と成長 |
| パズル | 止まった時間 | 謎解き | クロスワード、ジグソーパズル、謎解き、探偵小説 | じりじりと「わかる」 |
| ギャンブル | 賭け以前/以後の断絶 | 賭け | くじ、競馬、パチンコ、丁半 | 不明性の幕前と(現実) |
| おもちゃ遊び | 時間のない現在 | 遊動 | 世界のあらゆるものを用いた遊び | 軽やかさ |
まとめ
- 物語は万能か!?――決めは、可能性を閉じます。
- 安易な安心に逃げない!?――解釈という枠組みは重要ですが、それには功罪両局面があるのです。
- 遊びの可能性とは!?――目的から離れて、自らの衝動のままに、目の前のものとを取り扱ってみて、その中からただただ喜びを味わうということも重要なのです。
