- はたらくことって、なんでしょうか。
- 実は、常に自分と向き合い続ける必要があることかもしれません。
- なぜなら、本当の働く魅力は、「自分」を出すことから見えてくるから。
- 本書は、糸井重里さん的「はたらき論」です。
- 本書を通じて、はたらくことについて、そもそもを考えるヒントを得ることができます。
はたらくってなんだろう!?
「コピーライター」と聞くと、広告の世界の人を思い浮かべるかもしれません。
しかし糸井重里さんは、その枠にとどまらず、もっと自由に、もっと広く、
“ことば”を通じて人と世界のあいだをつなぎ続けてきた稀有な表現者です。
1970年代にコピーライターとして頭角を現し、
「おいしい生活」(西武百貨店)、「想像力と数百円」(新潮文庫の100冊)など、
今なお語り継がれる名コピーを多数生み出しました。
ですが、彼の魅力は、コピーのうまさにとどまりません。
糸井さんは「問いを立てる人」なのです。
常識や慣習にただ従うのではなく、そこに“人としての気持ち”があるかどうか、
“やさしさ”や“たのしさ”が感じられるかどうかを問い直し、
それを自分の言葉で投げかけ、周囲の共感を引き出していく。
「ほぼ日」は、問いから始まるウェブのメディア。
そんな糸井さんが1998年に立ち上げたのが、「ほぼ日刊イトイ新聞」、通称「ほぼ日」です。
はじめは糸井さん一人のブログのようなかたちでスタートしましたが、
現在では毎月1,200万人以上が訪れる、老舗かつ進化し続けるウェブメディアとなっています。
扱うテーマは、インタビュー、エッセイ、料理、健康、スポーツ、教育、仕事……と幅広く、
そこには一貫して「人間って、けっこうおもしろいよね」というまなざしが通底しています。
また、企業としての「ほぼ日」もユニークです。
ウェブメディアにとどまらず、「ほぼ日手帳」「生活のたのしみ展」などのプロダクト・イベントを展開し、
“ことば”や“暮らし”を起点に新しい価値を提案しつづけています。
このような背景を持つ糸井重里さん、そして「ほぼ日」が、
若者の「はたらきたい」という想いにどう向き合い、何を語りかけたのか──。
次はその核心にあたる『ほぼ日の就職論。「はたらきたい。」』の中身へと入っていきましょう。
「公私混同」して働こう
一見すると、タブーのようにも聞こえるこの言葉。
でも、そこにはとても誠実な“実感”が込められています。
例えば、日常生活のなかで感じた小さな不便や不満。
普通の人なら「しょうがない」と流してしまうようなことに、
「だったら、自分がつくる側になろう」と飛び込んでいく。
そんなふうに、いち生活者としての違和感を起点に、いち生産者としての役割を引き受ける。
これこそが、糸井さんの言う「公私混同」の本質ではないでしょうか。
誠実な感度で!?
「あそび」と「しごと」の境界をなくすということ。
仕事と遊びをきっちり分ける。
これは従来の働き方の“正しさ”のようにも見えます。
でも、「しごと=つらいもの」「あそび=たのしいもの」という前提こそが、
私たちの創造性や手応えを奪っているとしたらどうでしょうか?
糸井さんは、それよりも、「自分の好きなこと」や「たのしいこと」を追いかけた先に、
ちゃんと仕事が生まれてくるという視点を大切にしています。
たとえば、「犬が好き」だから、犬と一緒に行ける旅の企画をつくる。
「ごはんが好き」だから、ほんとうにおいしいごはんを紹介するメディアを運営する。
それは、遊びのようでいて、誰かの役に立つ、まぎれもない“しごと”です。
「はたらく」は、“じぶんごと”になると楽しくなる。
結局のところ、仕事を「誰かから与えられたもの」としてではなく、
「じぶんの中から湧き上がったもの」として捉えなおすこと。
それができたとき、はたらくことは、
“誰かに評価されるため”ではなく、
“自分がつくりたい世界を形にするため”の営みへと変わっていきます。
そしてその営みには、たしかな手応えがあります。
疲れるけれど、満たされる。
迷うけれど、やめたくはならない。
そんな、「公私混同」のはたらき方が、いま、そしてこれからの時代にこそ求められているのではないでしょうか。
遊ぶように働き、働くように遊ぶ。
「あそぶように働く」には、自分との対話が必要なのではないでしょうか。
「仕事を遊びのようにしたい」
「好きなことを仕事にしたい」
──誰もが一度は思うことかもしれません。
けれど、それを実現するには、他の誰でもない“自分”との向き合いが不可欠なのです。
自分がどんなときに心が動いたのか。
なぜそれに違和感を覚えたのか。
何にワクワクして、何にフタをしてきたのか。
それらの感情を一つひとつ掘り起こし、見つめ、言葉にしていく。
「働くこと=自分を差し出すこと」であるならば、
そもそも「自分が何者で、何を感じ、何を望んでいるのか」がわからなければ、
その差し出しようも、軸も、見えてこないのです。
自分はそこにあるか!?
不安を避けずに、ちゃんと感じきることができるか・・・!?
この過程で、避けて通れないのが「不安」との向き合いです。
自分にとって大切なことを見つめようとすればするほど、
「これでいいのか」「誰かに否定されないか」「間違っていたらどうしよう」という気持ちが顔を出します。
でも糸井重里さんは、そんな不安を否定しません。
むしろ、それを“感度が高い証”として、大切にしているように見えます。
不安がなければ、未来のことは考えられない。
未来があるからこそ、不安がある。
不安があるから、私たちは思考し、問いを立て、誰かと対話しようとする。
不安があるから、「もっといいもの」をつくりたいと思える。
だから、「自分は不安を感じている」と、ただ認める。
その一点からしか、ほんとうの意味で“働くように遊び、遊ぶように働く”世界は始まらないのかもしれません。
実際に、糸井重里さんも「不安」と向き合ってきた子ども時代を過ごしています。
「考えてみれば、ぼくは就職することを怖れていた子どもでもあった。
学校だけでもこんなに怒られるんだから、給料をもらって仕事をする会社なんかに入ったら、
どれだけ失敗して、どれだけつらい思いをするか。」
──この言葉は、本書の中に出てくる、糸井さんご自身の回想です。
ここには、就職=評価される場所=怖い場所という感覚が、
まっすぐに表現されています。
学校という「まだ子どもでいられる」空間ですら怒られるのに、
大人として“お金をもらう”会社という場所では、
もっとシビアにジャッジされるのではないか──。
そんな根源的な「不安」との向き合いを、糸井さん自身がずっと続けてきたという事実が、
この本全体のトーンに深みを与えているように感じられます。
このような不安の記憶があるからこそ、
糸井さんの語り口は、どこまでもやさしく、押しつけがましくありません。
「こうすればうまくいくよ」なんて安易なことは言わない。
むしろ、「うまくいかなくても、だいじょうぶ」と背中をそっと押してくれるような温度感がある。
就職という名の「社会への入口」で立ちすくむ若者に対して、
糸井さんは、自分自身の不安や怖れを隠すことなく差し出します。
それが、本書に込められた一番の“やさしさ”であり、
読者の心に届く、普遍的な力になっているのではないでしょうか。
はたらくに、正解はありません。
いや、「正解を探そう」と思ってしまうことこそが、私たちを縛ってしまうのかもしれません。
だからこそ、糸井重里さんのメッセージは、私たちにとって灯台のような存在です。
「自分の感じた違和感を、ちゃんと信じていい」
「不安があるからこそ、未来に向かって考えられる」
「公私混同していい。それが本当の手応えになる」
こうした言葉のひとつひとつは、
社会に出ていく人、あるいはもう一度「働く意味」を問い直したいすべての人への
やわらかで力強い応援メッセージです。
「仕事」と「遊び」を分けるのではなく、
自分が感じたこと、見つけたこと、好きなこと、怒りを覚えたこと、
そうしたすべてを持ち寄って、“生活者としての自分”と“働く自分”をひとつにしていく。
それは簡単なことではありません。
だからこそ、不安や違和感を大切にすることから始めるのです。
「ちゃんと感じる」
「ちゃんと悩む」
「ちゃんと迷う」
そのすべてが、自分だけの“ゆたかなはたらく”を育てていくための土壌になるのです。
さあ、自分の中の“はたらきたい”という声に、耳を澄ませてみましょう。
違和感と不安を抱きしめながら、「公私混同」上等!の精神で、
わたしなりの働き方、そして、生き方をつくっていきませんか。
はたらくを見つめるには、こちらの写真集「みんなで働くのって、きっと楽しい!!『ニッポンのはたらく人たち』杉山雅彦」もおすすめです。“劇的写真”から、みんなで働くことの可能性が見えてくるようです。

まとめ
- はたらくってなんだろう!?――豊かなはたらくは、公私混同にあります。
- 誠実な感度で!?――不安も含めて抱きしめてあげればよいのです。
- 自分はそこにあるか!?――仕事に自分を持ち込んでいるでしょうか。その視点を忘れずに。
