成長とは!?『NHK「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝』土屋惠一郎

NHK「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝
  • これからの時代を生きていくとき、道を照らしてくれる古典は?
  • 実は、世阿弥の『風姿花伝』をまず読んでみると良いかも。
  • なぜなら、他者との関係性の中で、自らをいかに成長させるかを説く普遍的な内容だからです。
  • 本書は、世阿弥、秘伝の書である『風姿花伝』を極めて明快にご説明いただく1冊です。
  • 本書を通じて、人とともにいかにあるか、考えるヒントを頂けます。

変化を味方に!?

土屋惠一郎(つちや・けいいちろう)さんは、東京都墨田区向島のご出身。もともとは法学者としてキャリアを重ね、明治大学法学部を卒業後、同大学大学院法学研究科博士課程を修了(単位取得満期退学)し、その後は長年にわたり法哲学を探究してこられた方です。明治大学では教授として教鞭を執るのみならず、学長も務められました。

その一方で、演劇研究の「橋の会」に参加し、能楽を中心とした舞台芸術の批評・評論活動にも力を入れてこられたユニークな経歴の持ち主です。1990年には『能 現在の芸術のために』で芸術選奨新人賞を受賞。身体論、舞踏論、そして演劇の批評という軸が、土屋さんの“もうひとつの顔”でもあります。

法哲学の分野でも、ジェレミ・ベンサムやハンス・ケルゼンといった思想家を通して、現代の自由や正義を問い直す論考を重ねてきました。主流に迎合しない独自の論理展開は、時に「わかりにくい比喩で余計にわかりにくい」と評されることもあるほどですが、それは裏を返せば、常に“既存の見方”を問い直す姿勢の表れともいえるでしょう。

2022年には、かつて構想した「独身者の思想史」を博士論文としてまとめあげ、論文博士(法学)を取得。2024年には瑞宝重光章を受章し、学術界と芸術界の双方から高く評価されています。

『風姿花伝』(ふうしかでん)は、室町時代の能楽師・世阿弥(ぜあみ)によって書かれた芸道論の古典です。全七巻からなるこの書は、一見すると能楽の家元に伝えるための秘伝書に見えますが、その中身は実に多層的で、芸とは何か、人はどう成長し、どう衰え、それでもいかに「花」を咲かせ続けられるのか――という、人生そのものに通じる哲学が詰まっています。

そもそも世阿弥は、父・観阿弥のもとで能を学び、足利義満など当時の権力者の寵愛を受けながら能楽を芸術として昇華させた革新者です。しかしその人生は、順風満帆だったわけではありません。時代の支持を失えば芸の居場所も消える。「人気」に支えられる興行としての能と向き合いながら、彼は「時の流れに左右されない本質とは何か」を問い続けたのです。

本書で語られるのは、「初心忘るべからず」「時分の花」「離見の見」など、いずれも芸だけでなく、教育・リーダーシップ・人生設計にも応用できる普遍的なキーワードばかりです。特に印象的なのは、年齢や立場によって変化していく「花」の捉え方。若さによって咲く“時分の花”に固執するのではなく、年を重ねてもなお咲かせられる“まことの花”をどう育むか――これは、現代の私たちにとっても切実なテーマではないでしょうか。

まさに『風姿花伝』は、「芸とは、人気とは、人生とは何か?」をめぐる深い思索の書。世阿弥が記したこの一冊は、600年以上を経た今も、あらゆる“表現する人”の内面に、静かに問いを投げかけてきます。

現在では文庫や解説書も豊富に出版され、手軽に読むことができる『風姿花伝』ですが、実はこの書、長らく世に出ることのなかった“秘伝”の書でした。

そもそも『風姿花伝』は、世阿弥が自身の芸の到達点と、その伝承方法について書き残した文書であり、本来は観世家の後継者にのみ伝えられる「家伝中の家伝」でした。つまり、他流や門外の者はもちろんのこと、弟子であってもその内容に触れることは許されなかったのです。

世に知られるようになったのは、実は明治時代以降のこと。廃仏毀釈や維新後の混乱のなかで旧家の蔵から文書が発見され、ようやく研究が進められるようになりました。まるで現代に発掘された“古代の知恵”のように、その内容は驚きをもって迎えられ、能楽の秘奥を超えて、人生哲学としても読み直されるようになったのです。

つまり『風姿花伝』とは、もともと「選ばれし者」にのみ手渡される、きわめてクローズドな書だったのです。なぜそれほどまでに秘匿されたのか――それは、そこに書かれていることが単なる技法論ではなく、「芸というものの本質」にまで及ぶ、深い洞察を含んでいたからに他なりません。

600年の時を経て、私たちはいま、世阿弥の声に直接触れることができる。その“奇跡”のような文書を、土屋惠一郎さんは現代の知としてやさしく読み解き、誰もが手に取れるかたちで差し出してくれたのです。

世阿弥の言葉は、現代の競争社会を生きる私たちにとっても有効なメッセージを伝えてくれる。私はそう感じています。

実際に世阿弥が生きた時代、室町時代も、のちに戦国時代へと突入していく不安定な時代でした。しかも能を取り巻く環境も激変しています。

父・観阿弥の時代には、能はあくまで芸能の一ジャンルであり、世襲の座付き職人によって伝承されるものでした。ところが、室町幕府の三代将軍・足利義満の登場により、能は“パトロン制度”によって一気に政治の中枢へと引き上げられていきます。

義満は、観阿弥・世阿弥親子の芸に強い関心を示し、彼らを保護し、後援しました。これは世阿弥にとって飛躍のきっかけとなると同時に、能の世界に「人気」という概念を決定的に導入した瞬間でもあります。武士階級や貴族、そして政治のトップに「気に入られる」ことが、芸の存続に直結する時代となったのです。

こうして、能は“世襲された芸”から、“選ばれる芸”、“見られる芸”へと大きく方向転換を余儀なくされました。言い換えれば、能役者は家柄や血筋だけではなく、観客の心を惹きつける「タレント性」が求められる存在となっていったのです。

この文脈で見ると、『風姿花伝』で語られる「花を咲かせるとは何か」「どうすれば花を保てるか」といった命題は、単なる芸の奥義ではなく、「いかに時代の変化に応じ、自らの存在価値を保ち続けるか」という、きわめて実践的かつ切実な問いとして浮かび上がってきます。

つまり、世阿弥は人気の時代において、タレントの本質とは何かを考え抜いた最初の芸能哲学者だったのかもしれません。

型としての能!?

父・観阿弥が見出した能の本質を、子どもである世阿弥が「言葉」として形式化し、残しました。これは、想像ですが、おそらく言葉にする中で、父の語るニュアンスや言葉にならない内容も含めて、型を見出し、さらに明快に考え方を固着させることができたのではないかと思います。

言葉にならないものも、伝統を背景にして心より心に伝えようとするものであるので、『風姿花伝』と名づけたのだ。

この“名づけ”こそが、世阿弥の画期的な仕事ぶりの象徴ではないでしょうか。

父・観阿弥が生きた芸の現場は、感覚と思索が交錯しながらも、あくまで身体を通じて、直接的に“見せる”世界でした。それは、言葉に頼ることなく、即興性や現場の空気感に根ざしたものだったはずです。けれども、世阿弥はそこに「言葉」という知的メディアを導入し、芸を“語れるもの”へと変換したのです。

この営みは単なる記録や伝承の手段にとどまりません。言葉にすることによって、曖昧だったニュアンスに輪郭が与えられ、経験のみに頼っていた技術が体系化され、普遍化されていきます。それによって、芸の世界は“再現可能なもの”へと進化しました。つまり、言葉の力で「芸の可搬性」を高めたのです。

しかも世阿弥は、単に「型」や「技術」のマニュアルを書き残したのではありません。

「老いとは何か」「成長とはどのように遂げるのか」「花とはどのように変化していくものか」といった、芸を超えた人間存在の根源にまで踏み込んだのです。彼は芸能者であると同時に、きわめて深い思索を重ねた哲人でもあったといえるでしょう。

そしてそれを、漢語調の格調高い文体で、かつ詩的な余白をもって記したことが、何百年を経た今もなお、読者に「味読」され続ける理由です。

いま私たちが『風姿花伝』を読むことは、ただ芸について知ることではありません。そこには、“言葉では言い尽くせぬものを、あえて言葉で編む”という、表現という営みの深い挑戦が刻まれているのです。

時代の転換によって、能は、守られていたポジションから離れて、競争環境にさらされていきます。「人気」という指標の中で、埋没しないようにいかに立ち居振る舞いを決めていくかは、能を営む芸能一家にとって死活問題となっていったのです。

社会もさらに複雑に村落共同体から、都市の文化が花開き、交流関係もより複雑になっていったと考えられます。

そうした中で、世阿弥は、戦略的に思想を言語化し、明確に残すことを選んだ。

それは単なる“記録”ではなく、時代を生き抜くための“戦略”でした。

観阿弥が切り開き、世阿弥が継承・発展させた能は、単なる芸能の枠を超えて、「思想としての芸術」へと昇華されています。その中には、現代の創造的活動や経営にも通じるような、先見性あるイノベーションがいくつも散りばめられているのです。

世阿弥が起こしたイノベーション

たとえば、「二つ切りの能」という形式の確立は、物語構造の洗練に他なりません。前段で現実世界の“ワキ”が登場し、後段で亡霊や神などの“シテ”が本性を明かすという二幕構成は、今日の演劇や映画の「伏線→回収」や「どんでん返し」の原型ともいえる仕掛けです。観客の記憶と予感を同時に操作するこの構造は、まさにストーリーテリングの進化系でした。

さらに、「夢」という装置の導入。これは、物理的な舞台空間に“心理”や“記憶”を投影するための、極めて現代的なメディア設計です。時間と空間を自在に飛び越えられる夢の中で、亡霊が語り、過去が再演される。この「夢=メディア」としての発明によって、能は一層深い精神世界を描けるようになったのです。スクリーンのない時代に、舞台をスクリーンに変えたと言ってもよいでしょう。

そしてなにより、世阿弥が繰り返し強調するのが、「花とは、珍しきなり」という発想です。これは、芸とは常に新しさを要するものだという明快なメッセージです。「型」に固執するのではなく、型を踏まえた上で、常に“珍しき”=目新しさ・驚き・ずらし・意外性を生み出さなければ、観客の心には届かない。この考えは、今日のイノベーションやブランディングの本質そのものです。

人気に左右される芸能の世界で勝つために、世阿弥が至った核心です。
常に新しいもの、珍しいものをつくり出していくことがたいせつだということです。

つまり、世阿弥は芸を「変わり続けるもの」と捉えていました。そして、それを“一子相伝”の範囲にとどめず、あえて言語化し、未来へと手渡そうとした。その背景には、単なる芸の伝承を超えた、時代に抗う強い意志があったのだと思います。

競争が激化し、観客の関心も移ろい、支持されなければ淘汰される時代――。
そんな変化の時代において、思想を“かたち”に残すことこそが、芸能一家が生き残るための最大の戦略だったのです。

老いていくこととは!?

『風姿花伝』の中でも、特に有名な一節が「初心忘るべからず」という言葉です。あまりにも広く知られているために、「最初の志を大切に」という意味で理解されることが多いかもしれません。

しかし、世阿弥が本当に伝えたかった「初心」とは、もっと繊細で多層的なものです。

彼は、「初心」とは一度きりのものではなく、人生や芸の段階ごとに“何度も”訪れるものであると説いています。若い頃に抱いた初心。中年期に差しかかったときの初心。そして、老いを迎えてからの初心。それぞれの段階において、改めて自分の位置を見つめなおし、初心に立ち返ることが必要なのだと。

たとえば、若き日の「時分の花」──年齢ゆえの勢いや魅力によって観客の心を掴んでいた頃、その“花”はやがて失われていきます。けれども、そこから新たな学びを重ね、技を磨き、成熟した演者としての「まことの花」を咲かせることができる。そのためには、慢心せず、あの頃の“未熟だった自分”を振り返る目を持たなければならない。つまり、「昔の初心を忘れるな」という意味だけでなく、「今、この段階の初心を忘れるな」という、自覚的な自己更新のメッセージなのです。

ですから「初心忘るべからず」とは、現在広く使われているような「若い時の気持ちに戻って」という意味では決してありません。

世阿弥はこうして、「初心を何度も思い出すこと」こそが、芸を続ける者にとっての最大の武器であり、人生を長く歩んでいく者にとっての知恵だと説きました。

この思想は、まさに現代に通じるものではないでしょうか。人生100年時代、私たちは何度も学びなおし、キャリアや価値観を変化させながら生きていきます。その中で、“かつての自分”に戻ること、そして“今の自分”を再定義すること。その繰り返しの中に、真の成長があるのかもしれません。

「初心忘るべからず」は、決して懐古主義ではありません。それは、自己更新を続けるための“哲学”であり、“姿勢”であり、そして何よりも、“未来への態度”なのです。

土屋惠一郎さんは『風姿花伝』を読み解くなかで、こう語っています。

芸術の完成は老いた先にある

この一文は、単に芸道の奥義を表しているのではなく、人生そのものへの深い洞察に通じているのではないでしょうか。

世阿弥が『風姿花伝』で繰り返し説いたのは、「時分の花」では終わらないということです。若さゆえの魅力は、やがて消えていく。しかし、その先にこそ、「まことの花」がある――それは経験と学びを積み重ねた先に咲く、静かで力強い花です。

この考え方は、現代を生きる私たちにとっても、大きな示唆を与えてくれます。

社会が激しく変化し、価値観やキャリアが何度も塗り替えられる時代。そんな中で、何を信じて生きていくか。どうすれば、自分の人生に実感を持てるのか。

その答えのひとつが、「成長し続けること」にあるのだと思います。

自らの人生が、どこかで自分に問いかけている――
「あなたは、まだ成長しようとしているか?」

その問いに、小さくでも「はい」と応えられたとき、人はほんの少し、自分を肯定できるのかもしれません。そして、その小さな手応えが、日々を生きていく実感へとつながっていく。

芸とは人生の鏡であり、人生は芸のように重ねることができる。
世阿弥が600年前に言葉にしたその知恵を、今、私たちは新しいかたちで受け継ぐことができるのです。

老いは衰えではない。
老いは、深まりであり、完成への入り口なのだ――。

まとめ

  • 変化を味方に!?――変化を機会として、口伝のノウハウを言語化し、形にしました。
  • 型としての能!?――イノベーションを言葉として、後世に伝えるのが世阿弥のアプローチでした。
  • 老いていくこととは!?――絶え間ない学びの中で、完成へと向かっていく成長なのです。
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