- 何が、良い人生であるかどうかを決めるのでしょうか。
- 実は、幸福の持続性かもしれません。
- なぜなら、幸福とは、なかなか持続しないものだから。
- 本書は、経済評論家の山崎元さんががんを宣告されてから、死を意識して人生を積み重ねた記録です。
- 本書を通じて、終わりある人生をいかに自らより良くしていくかを共に考えることができます。

どうしたら自分の人生を設計できる?
人はいつか死ぬ。
頭ではわかっているつもりでも、実感を持つことはなかなか難しいものです。
でももし明日、医師から「がんです」と宣告されたら?
あなたは、何を考え、誰と話し、何をやめ、何に時間を使おうとするでしょうか。
『がんになってわかったお金と人生の本質』は、山崎元さんが自らのがん告知をきっかけに、お金・仕事・人生観を徹底的に見つめ直した末に記した一冊です。
「お金の専門家」であり、「がん患者」であるという、2つの顔を持つからこそ書けた、驚くほど率直で、どこまでも実用的な「死の準備」の書でもあります。
著者の山崎元(やまざき・はじめ)さんは、経済評論家・投資アドバイザーとして活躍してきた人物であり、多くの人がその明晰な投資論・金融リテラシー論に信頼を寄せてきました。
そんな彼が60代で直面したのが、末期のがんの診断。
死を覚悟するなかで、彼が何よりも優先したのは、「いま、生きていることをどう充実させるか」という視点でした。そしてそれは、同時に「どんなお金の使い方をすればいいか」「誰にどんな言葉を残すか」という問いにも直結していきます。
「いま、ここでの選択が、自分の人生の最終章になるとしたら?」
その問いに真正面から向き合った記録こそが、本書なのです。
オーストラリアの緩和ケア看護師ブロニー・ウェアさんが記録した、終末期患者たちの「5つの後悔」は、世界中で共感を呼びました。彼女が看取った多くの人々が、人生の最終章で語ったのは、以下のような言葉でした。
- 自分に正直な人生を生きればよかった
- あんなに働きすぎなければよかった
- 自分の感情をもっと表現すればよかった
- 友人と連絡を取り続ければよかった
- 自分をもっと幸せにしてあげればよかった
どれも、日常のなかでは、つい後回しにしてしまいがちなことばかりです。
けれど、命に限りがあることを突きつけられたとき、人はようやく「本当に大切なこと」に気づくのかもしれません。
同じように山崎さんも指摘します。
地位財競争から降りることが幸せへの道
私たちは、「もっと稼がなきゃ」「あの人より上にいきたい」「評価されたい」といった“地位財”の競争に、無意識のうちに巻き込まれてしまうのです。
経済学では、他人との比較で価値が決まる財のことを「地位財(positional goods)」と呼びます。
収入、学歴、役職、ブランド──それらは相対的な価値である以上、誰かに勝っても、また新たな競争が始まる。
しかもその競争に終わりはなく、満たされることも、心が本当に豊かになることもありません。
がんという「終わり」が見えた瞬間、人は、どれほど高い地位にいたか、どれだけ多く稼いだかよりも、
「どんなふうに時間を過ごし、誰と笑い合い、何に納得して死ねるか」を考え始めるのです。
山崎さんは、地位財競争を降りるとは、すなわち“自分で選び、自分で納得する人生”を送ることだと説きます。
そのためには、他人軸ではなく、自分軸でお金の使い方や時間の過ごし方を再設計しなければなりません。
自分会議を開こう!?
一方で、「非地位財」というものがあることに気づきます。
地位財とは、自分と他人を比較する中で価値が変動するもの。たとえば、高級車、肩書き、年収、学歴──これらは「誰かより上でありたい」という欲望と深く結びついています。
そして、私たちは気づかないうちに、この終わりなき競争に巻き込まれていきます。
けれど、がんという現実に直面したとき、山崎さんが見出したのはむしろ「非地位財」の重要性でした。
非地位財とは、他人と比較することなく、自分にとって価値があると感じられるもの。
- 健康
- 家族や友人との信頼関係
- 好きな人と過ごす時間
- 静かな読書のひととき
- 気に入ったカフェでのコーヒー一杯
- 心の平穏
これらは、誰かと比べて“上か下か”を測る必要がありません。
自分にとって「幸せだ」と感じられれば、それで十分なのです。
山崎さんは、限られた時間を生きる中で、「地位財」を追うのをやめ、「非地位財」に目を向けることの価値に気づいたといいます。
その結果、お金の使い方も、生き方そのものも、大きく変わっていったのです。
とても印象的なのが、「地位財」の楽しみと「非地位財」の確保について、思考を巡らせること、そして、10年に1度くらいは、自分の仕事やライフスタイルを棚卸ししてみることを、山崎さんがおすすめしていることです。
人生100年と言われますが、長い時間を経て、社会が変われば、自分も変わり、その結果、周囲の環境もどんどん変わっていきます。
ずっと同じことを続けていることが、“幸福感”を担保するということではなく、変化を積極的に見つめて、状況に寄り添った生活の再構築をしていくことが重要なのです。
その意味で、「10年に1度の棚卸し」は、人生のなかに定期的に設ける“自分会議”のようなものかもしれません。
キャリア、暮らし方、交友関係、そしてお金の使い方──それらをすべてひとまとめにして、「今の自分にとって、これは幸せに資するか?」と見つめ直してみる。
そしてもし、少しでもズレを感じたなら、勇気を持って手放してみる。
山崎さん自身、60代でがんと向き合いながら、「意外とあっさりやめられることが多い」と語っています。
例えば「行きたくない会合に行かない」「頼まれごとを断る」「嫌な人と会わない」といった選択は、人生の後半になればなるほど、“やめる自由”としての幸福感をもたらすようになるのです。
そしてその代わりに取り戻せるのが、「非地位財」の時間──
静かな時間、自分らしい趣味、家族との会話、目の前の一杯のコーヒーの味わい。
それは派手ではないけれど、じんわりと心を満たす“幸福の本質”でもあります。
山崎さんは、がんという宣告を受けてから、余命という“リミット”を現実的に意識するようになりました。
そのなかで改めて、自分は「何を大切にして生きてきたのか」「何を伝えていきたいのか」という内省に向き合います。
ある日、知人にこう問われたといいます。
「山崎さんは、いったいどのようなことがしたいのですか。モットーのようなものはありませんか?」
その問いに対して、彼は自然とこう言葉をつないでいきました。
「私は他人に何かを伝えたいのでしょう。伝える内容は、正しいことであったり、面白いことであったり……。できたら、なるべく多くの人に伝えたい」
これが、彼自身のミッション・ステートメントのかたちになりました。
(1)正しくて、(2)できれば面白いことを、(3)たくさんの人に伝えたい。
この一文に、山崎さんの生き方の本質が表れています。
「正しいと思うことを、面白く、たくさんの人に伝えたい」──
それは、まさに彼が経済評論家として、人生の後半で“書き続ける”というスタンスを選んだ理由でもあったのでしょう。

お金では測れない価値に気づくには!?
大切なのは、(これは経済評論家の山崎元さんが語るからこそ、とても印象的に響くのですが)「お金より大事なもの」にどうやって気づくか?ということです。
その時、山崎さんは、“怒り”に着目せよと、説きます。
お金の損得よりも大事なのものに気づくスイッチは「怒り」です。
「怒りに着目せよ」──この指摘は、合理主義の経済評論家として知られた山崎元さんだからこそ、深い説得力をもって響きます。
人は何かを失ったとき、損をしたときよりも、「これはおかしい」「許せない」と感じたときに、より強く感情を揺さぶられます。
それは、お金では測れない“価値”が、そこにあるということの証かもしれません。
たとえば、理不尽な権力行使に怒りを覚えたとき。
弱者が不当に扱われる現場に直面したとき。
あるいは、正当な努力が報われない仕組みに疑問を抱いたとき。
こうした「怒り」こそが、自分が本当に大切にしたい価値観の輪郭を浮かび上がらせてくれるのです。
しかし、山崎さんはこうも語ります。
怒りはそのままにしておいてはいけない。何らかの妥当な理由に変換する必要がある。
怒りを単なる感情の爆発で終わらせてはいけない。
それを「なぜ自分はそう感じるのか?」と問い直し、「何を大事にしたいのか?」と見つめ直し、「どう行動すべきか?」という道筋に変換すること。
それが、お金よりも大切なものを見極める“回路”になるのだと、彼は教えてくれます。
つまりは、怒りは人生の“バグ”ではなく、人生の“コンパス”になる。
そこに耳を傾けることができるかどうかが、私たちが真に自由で豊かな人生を築けるかどうかの分かれ道なのです。
本書を読んで、改めて思ったのですが、人生についてとっても受け身だったということです。こうしたい、ああしたいというイメージはあるけれど、それを具体的にどのようにつくり上げていくのかという発想や行動をしていくことができていなかった。
確かに人生というのは、外部からの要請で形作られていくことも大きいと思うのですが、そうではなくて、自分から挑戦して手にしていくことも相当に大きいのではないかと思ったんです。そのためには、比較からいかに卒業できるか・・・
もちろん、人生の多くは外部からの要請や偶然に左右されます。
仕事の配属、家族の事情、社会の構造──
そうした要素に押されるかたちで、いつのまにか“今の自分”ができあがっていたという感覚は、多くの人に共通するのではないでしょうか。
けれど、山崎元さんの言葉を通じて感じたのは、「人生は自分から手にしていくこともできる」ということでした。
しかもそれは、成功者や特別な人だけに許された特権ではない。
むしろ、自分の価値観に気づき、比較を手放し、「自分にとって大切なもの」を選び取っていくことによって、誰もが少しずつ実現できるのです。
そのためにはまず、「比較」の呪縛からの卒業が必要です。
隣の誰かと比べて、収入は?肩書は?家は?人生は?──
そうやって評価し続ける限り、自分の人生を“自分のもの”として生きることはできません。
死という期限を前に、自らの人生を真摯に検討された山崎さんの姿勢に今後も多くの視点をいただくことができると思っています。
山崎元さんのご著書は、こちらの1冊「【適度なリスクと、シンプルな管理!?】経済評論家の父から息子への手紙|山崎元」もぜひご覧ください。

山崎元さんがおすすめされていた1冊『DIE WITH ZERO』は、こちら「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール|ビル・パーキンス」からどうぞ!

「いつかやろう」は、「いつまでもできない」かもしれません。
だったら、今この瞬間に、小さな“自分会議”を開いてみるのも、悪くないかもしれませんね。
まとめ
- どうしたら自分の人生を設計できる?――地位財に惑わされないことかもしれません。
- 自分会議を開こう!?――変化を理解し、自らの方向性を10年に1度は再検討しましょう。
- お金では測れない価値に気づくには!?――自らの感情を認め、素直になりましょう。
