- どうしたら人として、もっと豊かに暮らしていくことができるでしょうか。
- 実は、もっと自然を取り入れた生活をしてみることかも?
- なぜなら、そうした方が、つながりを最適に考えるヒントが充実するからです。
- 本書は、都市やお金という人工的な環境だけで暮らすことについて改めて考える1冊です。
- 本書を通じて、人は何によって“生きる”のかを知ります。

多様性の重要性!?
新井和宏(あらい・かずひろ)さんは、元ファンドマネージャーという経歴を持ちながら、従来の金融のあり方に疑問を抱き、「お金に色をつける」ことを目指して活動されてきた実践者です。東京理科大学卒業後、国内外の金融機関で活躍。特に、鎌倉投信を共同設立し、同社では“いい会社”に投資するという哲学に基づいた投資信託の運用を手がけました。
資本市場において、数字のリターンばかりが重視される状況に違和感を持ち、利益よりも“人”や“志”を重んじる投資に転換。その後、独立して「eumo(ユーモ)」という共感を可視化し流通させるための仕組みを立ち上げ、共感を媒介とする経済圏の創出に挑んでいます。
一方の高橋博之(たかはし・ひろゆき)さんは、岩手県議会議員から農業ジャーナリズムの道に進み、のちに「東北食べる通信」の創刊や「ポケットマルシェ」の立ち上げなど、都市と地方、生産者と消費者をつなぐ仕組みづくりに奔走してきた方です。
彼のキーワードは「食」と「関係人口」。人と人とのつながりが分断される現代において、単なる物の交換ではなく、背景にある“物語”や“顔が見える関係性”を重視する経済活動を提唱。消費者が「誰から買うか」を重視する世界観の構築に挑んでいます。
そんな金融と食、資本と人間関係という異なる領域で活動してきたおふたりが、本書で交わるのです。
それは、「共感」という見えにくく、けれど確かに人の心を動かすエネルギーを、社会の“資本”として再定義しようという試みでもあります。
日本人は、単一のメジャーメントで測れることに慣れすぎています。
そのように警鐘を鳴らします。
ROE(自己資本利益率)、国単位ではGDP、個人の価値も年収◯◯万円などなど・・・こうした金銭換算が会ったからこそ、これまでの経済成長をモチベートしてこられたという側面もあるかもしれませんが、その成長も神話になりつつある今、それだけではどうしても生きづらい時代になりました。
むしろ、そうした単一のメジャーメントを持つことで、それを突き詰めるがあまり、「副作用」をもたらしています。副作用の方が大きいと言っても良い。
たとえば、ROEを高めようとすれば、内部留保を削って株主配当を優先したり、人件費を圧縮して短期的な利益率を上げようとするインセンティブが働きます。それは企業にとって合理的な判断かもしれませんが、そこで働く人々の幸福や持続可能な関係性はどうなるのでしょうか。
同様に、個人の年収で人を測れば、収入が多い人=価値があるという思い込みが社会に蔓延します。それが自己評価の物差しとなり、見えない競争と孤独を加速させてしまう。人間関係もまた、「いくら稼いでいるか」によって序列化されるような、居心地の悪い世界になってはいないでしょうか。
こうした“ひとつの物差し”だけで評価される社会に対して、「別のものさし」を提示するのが、本書の掲げる「共感資本」という考え方です。
お金や数字ではなく、「どれだけ共感されたか」「どれだけ心を動かしたか」を新たな価値指標とする。これまで見えにくかった“関係性”や“信頼”、あるいは“共にある”という感覚を資本とみなすことで、人と人とがつながる新しい経済が立ち上がるのではないか――そうした未来への問いが、本書の背景に込められています。
この視点は、もはや既存の資本主義の中の改善策ではなく、価値の転換そのものです。
では、「共感は、どのようにして“資本”たり得るのか?」
次に、共感資本という概念の紹介へ進めてまいりましょう。
共感資本とは、単に“気持ちが通じ合う”という感情的な側面だけではありません。
それは、私たちが「何を価値あるものと見なすのか」という“測り方”の再定義に他なりません。
従来の資本主義社会は、なるべく共通で、客観的で、定量化しやすいメジャーメントを追い求めてきました。売上、利益、成長率、視聴率、クリック数…。これらは便利ではありますが、同時に、無数にあるはずの価値のあり方を“ひとつのものさし”に押し込めてしまう働きもありました。
しかし、本当は、人の貢献にはいろんなかたちがあるはずです。
- 誰かを支え続けてきた日々
- 声にならない声を拾い上げる姿勢
- 地域や自然との関係性を守ろうとする営み
それぞれの個人やコミュニティが大切にしたい価値基準を大切にできる仕組みや社会ができた姿こそが、「共感資本社会」です。
こうしたものは、従来の会計帳簿には載らないかもしれませんが、確かに社会の持続性を支える「見えない価値」です。共感資本とは、こうした価値を可視化し、流通させるための“もうひとつの会計軸”だと考えられます。
つまり、「多様な価値を測るための多様なメジャーメントを持とう」という提案なのです。
お金とは!?
ここでもう一歩踏み込みたいのは、「お金」そのものへの見立ての多様性です。
新井和宏さんが指摘するように、お金は本来、“価値と価値を媒介するツール”であり、「信頼をかたちにしたもの」に過ぎません。それは使い方次第で、人を傷つけることもあれば、つなげることもできる。
しかし現代社会では、お金が目的化しすぎて、「お金=価値そのもの」という思い込みが定着してしまいました。
この時、重要なのは、お金にどんな“意味”を見出すかです。
- 投資家が「共感できる会社」に出資するとき
- 消費者が「好きな生産者」から買うとき
- 寄付者が「共感した活動」にお金を託すとき
そこには、数値では測れない“心の動き”があります。つまり、お金とは「心を動かした証拠」であり、「誰かへの共鳴の痕跡」とも言えるのです。
eumoの「有効期限付き通貨」などはその一例です。お金に“流動性”と“温度”を持たせることで、共感の輪を次の誰かにつなぐ仕組み。こうした「お金の見立て直し」こそが、共感資本社会の根幹にあるのではないでしょうか。
人間はひとりでは生きていけない。
でも、お金は人を「分断」してしまうのですね。だから、お金が目的になってしまうと、ひたすらに「個」に切り刻まれてしまうのが、副作用としてあるということを知るということです。
GDPは、もはや豊かさを測れない。その事実に向き合う時、改めてお金の定義を改めていくことが重要であると思われます。
「お金は手段であって、目的ではなかったはず。」
本書で繰り返し語られるこの言葉には、資本主義の中であまりにも忘れられてしまった視点への静かな怒りが込められています。特に印象的なのは、「貯められる行為」を目的化することへの警鐘です。
お金を“貯めること”が偉い、賢い、安全だ――そんな無意識の価値観にとらわれたままでは、私たちの生き方もまた、その価値観に縛られてしまいます。
本来は、もっと多様な欲望があっていい。
もっと多様な幸福の形があっていい。
「みんなが同じようにならなければならなかった」時代の延長線上に、お金の単一的な見方があったのだとすれば、それを見直すことこそが、新しい生き方の入口になるはずです。
ハーバード・メディカル・スクールの研究を引いて語られるように、75年にもわたる追跡調査の結果、人を幸せにする最も重要な因子は「良好な人間関係」であることが明らかになっています。
つまり、経済的成功よりも、“どんな関係の中で生きているか”が、人生の質を左右する。
であれば、私たちはもっと「関係性にお金をどう使うか」「自分らしいお金との関わり方とは何か」にフォーカスすべき時代にいるのではないでしょうか。
- 応援したい人に投じるお金
- 感謝の気持ちとして渡すお金
- 居場所や関係を育てるための出費
ハーバードの追いかけ調査については、こちら「【人間関係こそ、最大の人生投資!?】グッド・ライフ|ロバート・ウォールディンガー,マーク・シュルツ」もぜひご覧ください。

こうした使い方を通じて、お金は再び“生きた手段”として、多様な生き方を支える力になる。共感資本という考え方は、「どうお金を貯めるか」ではなく、「どうお金を使うか」、そして「どんな関係性を育むか」という問いを、私たち一人ひとりに投げかけているのです。

間にこそ真価がある!?
素敵な関係を創ることが、人にとって究極的な幸せを目指すためのポイントだとした時に、その視点から見ると、「共感資本」というあり方がさらに解像度をあげて眼の前に可能性として立ち上がってきます。
だから本当に人生を幸せにしてくれるものって、やっぱり素晴らしい人と出会うことだと思う。
素敵な関係を創ることが、人にとって究極的な幸せを目指すためのポイントだとした時に――
その視点から改めて社会を見ると、「共感資本」という考え方が、まるでぼんやりとした風景にピントが合うように、はっきりと私たちの眼の前に可能性として立ち上がってきます。
共感資本とは、単に共感を“数値化する”仕組みではありません。
それは、人と人とのつながりに宿るあたたかさ、相互理解、信頼といった、経済においては見過ごされがちな価値を、きちんと資本と見なす“思想”です。
私たちはこれまで、「どれだけ儲けたか」「どれだけ効率的か」で判断される社会の中で、“素敵な関係”を築くことの価値を、どこかで切り捨ててきたのかもしれません。
でも、共感資本の世界では逆です。
むしろ、どれだけ他者を思い、つながり、支え合い、感謝や信頼を積み重ねてきたかが、目に見えない資本として可視化され、評価されていく。
それは、マネーでは買えない価値――
けれど、たしかに人の心を動かす価値――
そんな「関係の中に宿る力」を、改めて社会の中心に据えようという試みです。
そして、それを体現するのが、eumoの通貨設計であり、ポケットマルシェの「顔が見える経済圏」であり、新しい共感コミュニティのあり方です。
一人ひとりが、自分の“共感の使い方”を自覚し、それを通じてどんな関係性を築きたいのかを選び取る時代。
そこにおいて、「共感資本」は、単なる経済論ではなく、生き方の指針となるのです。
何はともあれ経験、体験することが、人生をより豊かにすることにつながる。
その重要なファクターこそが、重要な出会いです。
つまりは、人と人とつながるための金融であるべきなんですね。
本来、お金とは「信頼」の象徴であり、未来への約束をやり取りするための仕組みでした。
貨幣の誕生も、見知らぬ者どうしが信頼を預け合うための“共通言語”だったはずです。
しかし現代において、金融はいつのまにか“つなぐ”ことを忘れ、“ふやす”“奪う”“囲い込む”ためのゲームへと姿を変えてしまいました。
その中で、「共感資本」という概念は、原点回帰のようでいて、実は未来を先取りするものです。
「誰と、どんな気持ちで、お金をやり取りするのか」という問いに向き合うこと。
そこに、金融の倫理が再び宿り始めます。
たとえば、eumoの仕組みのように、共感を伴ったお金には“有効期限”がある。
それは「いま・ここ」で生まれた信頼を、時間を超えて次に渡していくバトンでもあります。
もはや、お金は数字ではなく、関係性の血流。
人が人と出会い、共鳴し、共に生きていくための“媒体”として、金融はもう一度、つながりの器となる必要があるのです。
本書を通じて、私たちはひとつの重要な気づきを得ることができます。
それは、人と人の「間(あいだ)」にこそ、真の価値が宿るということです。
人は、自分ひとりでは存在し得ません。
誰かとのやりとりの中でしか、自分の輪郭を知ることができず、
誰かとの関係の中でしか、本当の意味で「幸せ」を感じることはできないのです。
新井さんと高橋さんが繰り返し語るのは、まさにその“あいだ”の重要性です。
自分と他者、自分と社会、自分と自然――
そうした“あいだ”をどう育てるかが、これからの時代を生きる上での鍵になります。
そして、共感資本とは、この「間」に流れるエネルギー――
つまり、共感・信頼・関係性といった“非貨幣的な価値”を、
ちゃんと社会の中で循環させていくための新たな設計図なのです。
SNSでの即時的なやりとりや、効率と成果だけを追う日々の中で、
いつしか私たちは“あいだ”を失いかけているかもしれません。
けれど、もう一度その“あいだ”に立ち返り、
他者と響き合いながら、「共に生きる」を実感する社会をつくること――
それが、共感資本社会の本質であり、
そして、誰もが自分らしく、多様なままに生きられる未来への道標なのではないでしょうか。
まとめ
- 多様性の重要性!?――実は、メジャーメントの重要性でもあるのです。
- お金とは!?――間を考えるための機会なのかもしれません。
- 間にこそ真価がある!?――人は人との間にこそ、実は価値を見出すものです。
