- 生きがいを感じながら、生きるために、できることは何でしょうか。
- 実は、スピリチュアルな世界を想像してみることに、ヒントがあるかも。
- なぜなら、人生がわたしたちに何を求めているのか、それを考えるガイドラインになるからです。
- 本書は、正否ではなく、信じる気持ちを大切にする可能性について触れる1冊です。
- 本書を通じて、人の心の機微と、創造する力について触れます。

私たちの課題は、学び!?
飯田史彦さんは、1953年生まれの日本の経営学者・著述家であり、元・福島大学経済学部の教授です。専門は経営哲学やモチベーション論に加え、人間の生き方・価値観に関する研究でも知られています。
ハーバード大学での研修経験を持ち、キャリアの初期には企業経営や組織論に関する実証的な研究を行っていましたが、その後、人生の意味や魂の存在、輪廻転生などを科学的に探究するようになりました。とりわけ『生きがいの創造』に代表される一連の著作は、国内外の臨死体験研究や退行催眠の記録などを参照しながら、“魂の存在”や“生まれてきた意味”といったテーマを扱う異色の学術的アプローチとして注目を集めました。
そのユニークな研究スタイルから、「スピリチュアル・サイエンティスト」と称されることもあります。宗教色を排しながらも、“人間はなぜ生まれてきたのか?”という普遍的な問いに科学的・論理的に迫ろうとする姿勢が、多くの読者の共感を呼んでいます。
飯田さんの論点は、「生きがい研究」において、スピリチュアルの世界観は、“使える・学べる・活かせる”ということです。それが本当かどうかということではなく、そうした「仮説」があった場合、あなたの感じ方は必ず変わっていくはず、その世界観の中でもう一度自分の生き方を見つめてみよう!というメッセージを多分に含みます。
それらの真理がどのようなものであれ、本書でご紹介するようなさまざまな研究成果が、多くの人々を元気づけるという「現象」に対して、「生きがい論」の研究者である私は、大いに価値を感じているのです。
本書は、スピリチュアルなテーマを題材にしているものですが、でも、その正否ではなく、そうしたストーリー、物語に触れた時に、私たちの心にどのような想いが生まれ、それが、わたしたちにどのような作用をすることによって、人生がどうなっていくのか、生きがいという論点で、わたしたちに与える影響について説くものであるのです。
私がみなさんに問いかけたいのは、本書でご紹介する研究成果をもとに、「スピリチュアルな観点を重視するとすれば、私たちの生き方がどのように変わっていくだろうか」ということです。
間違いなく言えるのは、慎重に選ぶか、無計画に選ぶかはさておき、この世の環境を選ぶのは、私自身であるのです。
人の道というのは、基本的に同じものであるでしょう。でも、その道で、多くを私たちは学ばなくてはならないのです。慈悲、希望、愛などです。
人はこれらの多くを学びながら、それらがいかにつながっているのかを知り、そして、それを実行しながら、人生を形作っていきます。
ストーリーが私たちを軽くする!?
本書におけるスピリチュアルな領域はいくつかのカテゴリーで語られれています。
たとえば、「臨死体験」「過去生の記憶」「魂の計画」「生まれ変わり」「守護存在との対話」などが挙げられます。それらはいずれも、著者・飯田史彦氏が世界中の研究者やセラピストによる膨大な臨床記録や事例に触れながら、独自に分類・解釈したものです。
重要なのは、これらの話が「本当かどうか?」という事実認定を主眼にしていないということです。むしろ本書は、それぞれの被験者が語るスピリチュアルな体験を、“ひとつのストーリー”として受けとめることの意義を示しています。
たとえば、「臨死体験」をしたある男性の語る、真っ白な光に包まれて「おまえはまだ戻れ」と告げられた話。あるいは、「過去生の記憶」を語る少女が、行ったこともない土地の歴史的事件を事細かに語りだす場面。それらは読み手に対して、現実と非現実、科学と感覚の境界を問い直すような感覚をもたらします。
こうしたエピソードの数々は、単なる興味本位の逸話にとどまりません。むしろ「人はなぜ生まれ、なぜ苦しみ、そしてどこへ還っていくのか?」という本質的な問いに対して、それぞれの“魂のストーリー”がひとつの仮説となって語られているのです。
本書に収められているスピリチュアルな体験の数々は、どれもが「人生とは何か」「苦しみの意味は何か」といった深い問いに寄り添うようなエピソードばかりです。
ここでは、特に印象的だった事例をいくつか取り上げてみましょう。
【事例①】事故で臨死状態となった青年の「光の存在」との邂逅
ある青年は交通事故により心肺停止となり、救急搬送の最中に“意識”だけが肉体を離れ、病院の屋上から自分の身体を見下ろしていたと語ります。彼は「まばゆいほどに美しい光」の存在と出会い、「すべては意味がある。あなたはまだやるべきことがある」と告げられたといいます。
彼が語る“光”は、宗教的な神ではなく、どこまでも穏やかで、愛に満ちた「理解そのもの」として描写されており、この体験によって彼は「生き直し」を決意。後年、医療福祉の道へ進んでいます。
【事例②】過去生で「戦争に加担した記憶」をもつ女性のセッション
退行催眠療法のセッションに参加した女性が、催眠下で語り出したのは、自分が“別の時代、別の国で、戦争を支持する政治家の妻だった”という過去生の記憶です。彼女は、自らが戦争を正当化し、結果的に多くの命を奪ったと涙ながらに語り、その罪の意識が現世の「理由もない罪悪感」とつながっていたと自覚します。
彼女はこの体験を通じて、今世では「どんな立場の人にも理解と共感をもって接する」という生き方を選ぶようになったと語られています。
【事例③】幼児期から“前世の家”を語った少女
アメリカのある地方で記録された事例では、3歳の少女が突然「私は海辺の赤い家に住んでいた。でも津波が来て、みんな死んじゃった」と語り出します。家族は初めは空想だと受け取っていたものの、少女が語る地名や家の位置、家族構成が、実際に1940年代に起きた大津波の被災記録と一致していたことで注目を集めました。
この少女のように、ごく幼い年齢で“前世の記憶”を語る子どもたちは世界中に存在し、飯田氏もその統計的共通点に着目しています。
【事例④】難病の子どもが「自分で選んで生まれてきた」と語る
本書の中でも特に読者の涙を誘うのが、先天性の重い障がいを持って生まれた少年のケースです。彼は家族との会話の中で、ふとこう語ったといいます。
「ぼくね、この体を選んできたんだよ。これでパパとママに出会うために、生まれてきたの」
両親は最初、理解できずに戸惑いますが、少年は穏やかに、静かに続けます。
「ぼくの役目は、この体で、まわりの人に優しさを思い出してもらうことなんだって」
このエピソードは、飯田氏が提唱する“魂の計画”という考え方──すなわち、私たちは人生のある課題を“自ら選んで”生まれてきたという仮説──を象徴するものとして紹介されています。
これらのストーリーをどう捉えるか?
いかがでしょうか。これらの個別の体験を知る時、私たちの中に芽生えてくるイメージが有るのではないでしょうか。それは、この肉体を持った人生が「もしかすると仮の姿」なのかもしれない・・・ということかもしれませんし、人生は死ぬと終わると解釈されているけれど、実はその続きが、絶え間なく循環しているのではないか、ということです。
こうしたストーリーに触れる時、私たちは、新しい視野・視界を獲得することができるのです。
これは自分自身を客観視、つまり新しい仮説を持ってメタ認知することにつながります。
もう一人の自分から自分を見つめてみるということです。
それはつまり、以下のような大きなストーリー(仮説)の中に自分自身を位置づけるということになるでしょう。
人間として生きる、自分の「人生」とは、人間として修行をすることを選んだ「自分という意識」が、効率よく学びを積むために計画した試練の組み合わせ、つまり「問題集」です。この「人生という問題集」は、神様や仏様のような「光の存在」が助言をくださることはあるかもしれませんが、基本的には、自分で設計しなければなりません。
私たちは、“大きな流転するサイクル”の中で、今回の「人生」をこうやって生きながら、特定の課題に応えるために生まれてきた。と、思うことで、全て自分で自分に与えた試練なのであると、その責任を引き受けることができるようになります。
私たちが、「もう誰も恨まなくてもすむようになる」ということであり、「誰かを恨む」という、人間の宿業(根本的な苦しみ)から、完全に解放されることを意味します。
こうして、私たちは、ひとつ生きやすさを手に入れることができるようになります。
このような視点に立ったとき、苦しみの只中にある人ほど、本書から深い癒しと示唆を得られるのではないでしょうか。
なぜこんなにも理不尽なことが起こるのか。なぜ自分だけがうまくいかないのか。そうした問いに対して、「偶然」や「不条理」ではなく、「課題」として向き合ってみる。すると、人生の見え方がほんの少し変わってくるのです。
「この状況は、自分が自分に与えたレッスンなのだ」と考えることで、人は被害者の立場から、創造者の立場へと、少しずつ歩みを進めていくことができます。
もちろん、こうした世界観をすぐに信じる必要はありません。本書が勧めるのは、“信仰”ではなく“仮説”として受け入れるスタンスです。
「信じなくてもいい。ただ、こういう見方もあると“知っている”だけで、人は驚くほど自由になれる」
という飯田氏のメッセージは、私たちが今の自分をどう生きるか、他者とどう関わるかということに、静かに、しかし力強く響いてきます。
そして何より、本書の最大の価値は、「生きがいとは、与えられるものではなく、自分の魂が設計した課題に取り組む過程で見つけ出すものなのだ」という、主体的な人生観を提示してくれていることにあるのではないでしょうか。

人生とは!?
人生は、いろいろあります。それはこの肉体が限りある存在だから、どうしようもないことを、受け入れていかなければ、ならず、その時に、私たちは感情的に苦しみを覚えてしまうのです。
無意識に理想とすることから、かけ離れた条件を所与として与えられているのですから、絶えず辻褄を合わせていかないと、どうしようもないという考えに陥るからでしょう。
でも、そもそもの所与の条件は変わらないとしても、その全体の捉え方を変えることで、人生がわたしたちに求める意義や意味を再解釈して、積極的に生きていくことだって可能なはずです。
2つの問いを自分自身に突き詰めてみると、世界観を広げながら、いまを確かに生きていくヒントを得ることができると思います。
①生まれる前に「意識体」(魂)として存在する時には経験できなかったが、
「肉体を持つ人間」としてこの物質世界に生まれてきて、初めて経験できることは何だろうか?
②人間である限り、いつの時代のどの場所に生まれても、避けることのできない苦悩は何だろうか?
これらの問いに向き合っていく時、私たちの人生が、わたしたちに課していることに気づくのです。
- 「死」を通じて学ばなければならないことがあった。
- 「病気・ハンディキャップ」を通じて学ぶことがあった。
- 「人間関係」を通じて学ぶことがあった。
だからこそ、私たちは、いまここに肉体を持って生まれてきた、しかも、安寧を一時停止して、わざわざ生まれてきた、という仮説にたどり着くことができるのです。
私たちは、なぜ生まれてくるのか……それは、生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのであり、その機会、つまり「死」や「病気」や「人間関係」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう。
本書『生きがいの創造』は、私たち一人ひとりの人生に、「仮説としての物語」を授けてくれます。
それは、「自分が生きている意味は何か?」という問いに対し、「たまたま」「偶然」「理不尽」と片付けてしまうのではなく、「自分が自分に課した学びの旅なのかもしれない」という新しい視座をもたらしてくれるのです。
この物語を手にしたとき、私たちはようやく人生を“読み直す”ことができるのではないでしょうか。
失ったもの、受け入れがたい出来事、繰り返す苦しみ──それらを「なぜこんな目に」と切り捨てるのではなく、「この経験を通じて、何を学ぼうとしているのか」と問うことができる。
その問いこそが、人生における“生きがいの創造”の第一歩なのだと思います。
あなたはどんな「問題集」を自分に課したのでしょうか?
いま目の前にある「思い通りにならないこと」は、どんな学びを求めてやってきたのでしょうか?
本書を通して、そんな問いを抱く勇気を持てた時、きっと私たちは、自分自身の人生を少しだけやさしく、そして誇らしく感じることができるはずです。
自分の人生を生ききるために大切にしたいヒントを飯田さんが提供してくれています。最後に、こちらをご紹介したいと思います。
1.自分らしく生きること。
2.両親と家族を大切にし、人と生物と自然を愛すること。
3.試練と逆境に立ち向かう勇気を持ち、失敗を貴重な経験に変えること。
まとめ
- 私たちの課題は、学び!?――人生において何を学ぶのか、自分自身で設定したはずとの仮説を持ってみると、世界観を変えてみることができるかもしれません。
- ストーリーが私たちを軽くする!?――自分を新しい角度から、見つめる視点を提供してくれます。
- 人生とは!?――かけがえのない、学びの機会であると、捉えてみましょう。
