クラウドに接続せよ!?『僕たちは言葉について何も知らない 孤独、誤解、もどかしさの言語学』小野純一

僕たちは言葉について何も知らない 孤独、誤解、もどかしさの言語学
  • どうしたらコミュニケーションがより良くなるでしょうか。
  • 実は、言葉を知り、心を交換することかもしれません。
  • なぜなら、人は心の交流を求め、そして、言葉はその力を持ちます。
  • 本書は、言葉とはなにか、そして私たちは言葉をどう使っているのかについて考える1冊です。
  • 本書を通じて、ごく普通に使っている言葉について、考える機会を得ます。

言葉とは何か!?

小野純一さんは、言語学者であり、慶應義塾大学文学部の教授です。専門は語用論、談話分析、そしてコミュニケーション論。とくに、私たちがふだん何気なく交わしている言葉のやりとりにひそむ「ずれ」や「誤解」に注目し、その背景にある構造や心理を丁寧にひもとく研究で知られています。

言葉とは、正しさや意味の一致を求める道具ではなく、「ずれること」を前提にして初めて使いこなせるものではないか。そんな逆説的でいて本質的な問題意識を、小野さんは一貫して持ち続けています。

また、研究者としての論文活動にとどまらず、一般向けの著作やメディア出演も行い、言語学の知見を社会に橋渡しする役割も担っています。本書『僕たちは言葉について何も知らない』は、そんな小野さんが、日常のことばの世界をやわらかく、そして鋭く解き明かす一冊となっています。

言葉を使っている時に、どうしてもズレや誤解で、モヤモヤとした気分になります。親しいはずの家族や友人が、旧に自分から離れてしまっていくような感覚を持つのは、言葉によるすれ違いのせいでしょう。

なぜそのような隔たりを感じてしまうのか?自分はわかってもらえていないんじゃないか?と、なんだか迷路に迷い込んだ気持ちになってしまうことも、時にはあるでしょう。

私たちは言葉を通じて、単に情報を交換しているのではなく、心と心を交換しています。

そして、その心の交流で、言葉は無くてはならないものです。

言葉ほど人の気持を心の底から揺さぶるものもないでしょう。心ない言葉を言われて、傷ついた経験のある人も少なくないでしょうし、誰かの言葉に救われた人も多いと思います。

同時に気づくのが、人は生まれながらにして、他者を必要とするということでしょう。

そしてその時、言葉(言語)が私たちの橋渡しになる。

厳密に言うと、言葉という橋渡しがあって、互いが必ずしも同じ意味合いや意図でその言葉を使っているわけではないのですが、私たちは心が伝わったと感じるのは、事実です。

その時、互いの中に何が芽生えているかと言うと、「新しい考えを獲得し、新しい世界に出会う楽しさや喜び」です。そうした心に浮かんだことを互いが持ち帰ることが、コミュニケーションということになります。

言葉を共有することの意味とは!?

単にうわべだけの世間話をするだけでも、人は多幸感を感じることができるといいます。

幸福感というのは、実は、心から仲がいいと思える親友や恋人、家族のみがもたらすことができるのではなく、まったく知らない人との何気ない会話が心を明るく暖かくしてくれることもあります。

話すことでお互いがここで生きることを確かめあう証になっている、と言って良いと思います。

言葉には、いくつかの見方があります。それを本書の中では、3つにわけて紹介されています。

1)言葉は記号である(論理的)
2)言葉には含みがある(心理的)
3)言葉は<場>である(相互作用的)

この三つの見方は、言葉をどのように捉えるかによって、私たちのコミュニケーションの前提がまったく異なってくることを示しています。

まず「1)言葉は記号である」という見方。これは言葉を、情報を正確に伝達するためのツール、つまり論理的な“コード”として捉える立場です。辞書に載っている定義に従い、発信者と受信者の間でズレなく意味をやり取りすることが理想とされます。多くのビジネス文書や法律文、あるいは学校教育で教えられる言葉の使い方は、ここに重きを置いています。

次に「2)言葉には含みがある」という見方。こちらは、話し手の感情や意図、微妙なニュアンスが込められているという、より心理的な側面に注目したものです。たとえば「大丈夫だよ」という言葉に、不安や悲しみがにじんでいるかもしれない。ここでは、文脈や語り口、間(ま)といった非言語的要素が大きな意味を持ちます。

そして小野さんが特に重視しているのが「3)言葉は<場>である」という捉え方です。これは、言葉が一人の中で完結するものではなく、人と人とのあいだで起きる相互作用そのものだという視点です。同じ言葉でも、誰が、どこで、どのように発したかによって、意味も受け取られ方もまったく変わってくる。つまり、言葉は“出来事”なのです。

この視点に立つと、「伝える」こととは、何かを届ける行為ではなく、「意味をともにつくる」行為へと変容します。そしてそこには、必然的にズレやもどかしさがつきまといます。

それは、コミュニケーションの失敗ではなく、むしろ“ことばを使うという営みの本質”なのだ——

このような問題意識が、本書全体に一貫して流れています。

相互作用によって、互いの心が動いたり、その場が特定の意味を持つことについては、価値や能力と同じような考え方として見立てることができます。

これらについては、こちらの1冊「【人は、なぜ共に働くのか?】働くということ 「能力主義」を超えて|勅使川原真衣」やこちら「間(ま)を意識せよ!?『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』井上慎平」もぜひご覧いただければと思います。

言葉というのは、完全に自らの中だけから沸き起こるものではないのです。それは他者から受ける刺激(言葉や、態度、姿勢など)によって誘引されていくものでもあります。

そう捉えてみると、心というのも、それは他者との相互作用の中において生み出されてくるものであるとも捉えることができるようです。

言葉クラウドからダウンロードせよ!?

中身=情報、つまり上述の言葉の定義の1つめ、だけで人のコミュニケーションは完結しません。むしろ、それ以外の領域の方が圧倒的に多いと感じます。

心が動くということは、言葉が含んでいる意味と、それから連想される心情、そして、その場を共有して互いに創発したという事実があるからなのです。

日常会話のほとんどの部分で、私たちは相手の「思考」に働きかけています。

例えば、「あいさつ」です。

「おはよう!」という言葉、これは単に「今は時間がはやい」ということを伝え得ているのではありません。

自分が相手の存在を認めていることを伝えて、相手にもこちらの存在を認めようと、促す働きかけがあります。そして、それは相手との関係性を意識している人ならではの行動でもあると捉えることができるでしょう。

あいさつというプリミティブな状況を見つめていくと、言葉の持つ機能を具体的に実感することができるのです。

日常会話は情報伝達よりも<情動への効果>に重点が置かれます。

社会も、言葉も、人と人の間で出来上がってくるものであるというのが事実かもしれません。

そうして見つめてみると、言葉が<クラウド>のように思えてきます。

自分と他者が<場>として共有して、言葉を共有しながらかたちにした心情や概念を、共有物としてアップロードしたもの、それを相手と相手が見ながら、相互交流を重ねていきながら、<あいだ>の解像度を豊かにしていくことができます。

実はそれが「この世」「世の中」「世間」「現世」をかたちにしながら、社会を構成していくものとなります。

言葉を<クラウド>と捉える比喩は、現代的でありながら、古くから人間の営みとして続いてきた「共感」や「合意形成」の本質を捉えているように思います。

つまり、言葉とは、固定された「意味」を持つのではなく、相手とのやり取りの中で、都度、仮に置かれ、揺れ動きながら、仮設的に共有されていくもの。まさに、誰かが心情をアップロードし、別の誰かがそれをダウンロードして受け取り、時に上書きし、編集して再びアップロードし直す――そんなクラウド上のやりとりのように。

この「言葉のクラウド空間」こそが、いわば“世間”という場の正体なのかもしれません。

日本語における「世間」という言葉は、「社会」や「世界」とはまた異なる、情緒と文脈を含んだ集合体を意味しています。それは、法律や制度によって規定されたものではなく、言外の理解や、空気、遠慮、気配といった、目に見えない“あいだ”の文化から成り立つものです。

そう考えると、私たちがふだん何気なく使っている言葉は、単なる伝達手段ではなく、この“世間というクラウド”における更新の操作そのものとも言えます。

そして、小野さんはこのような“言葉の操作”が、誤解やもどかしさ、時には沈黙を通じてなされていくことを、言語学の知見から丁寧にほどいていきます。

言葉は一方通行ではなく、共に作るもの。そのプロセスの中で、私たちは他者と「つながる」だけでなく、自分自身の内面とも向き合っているのです。

そういえば、この<クラウド>の切り口って、なんだかAIにも近いかもしれませんね?

まとめ

  • 言葉とは何か!?――曖昧なものであるが、そこに社会の成り立ちの真実があります。
  • 言葉を共有することの意味とは!?――情報だけではなく、心と場の共有ができます。
  • 言葉クラウドからダウンロードせよ!?――共有概念をベースから情報を引き出しましょう。
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