心でものごとを見つめれば、“大いなるもの”と繋がれる!?『あるがままに生きる』足立幸子

あるがままに生きる
  • 生き方について、考える時、なにかヒントはないものでしょうか!?
  • 実は、世界との調和を検討してみることが良いかも。
  • なぜなら、私たちは一人ひとりが“生かされている存在”だからです。
  • 本書は、デザイナーとして活動された足立幸子さんの世界を見つめる1冊です。
  • 本書を通じて、自らの生き方や視点を再点検するきっかけを得られるかもしれません。
足立幸子
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調和とはなにか!?

足立幸子さんは、1948年、東京都に生まれました。もともとはグラフィックデザイナーとして活動していましたが、1985年に臨死体験をきっかけに、意識の変容を経験します。その体験を通じて、「すべては波動であり、現実は自分の発した波動が創り出している」という気づきを得ました。

以後は、スピリチュアルな観点から、人の“在り方”や“生き方”について語る活動を始め、多くの講演や著作を通じてメッセージを発信しました。

代表作『あるがままに生きる』は、その気づきを平易な言葉で綴った一冊として、口コミを中心に長く読み継がれています。スピリチュアルという枠にとどまらず、多くの読者の生き方に影響を与え続けています。

2000年に急逝されましたが、その思想は今なお静かな広がりを見せています。

デザイナーとして活動されていた時、「調和とは何か?」「調和を満たす絵とはどのようなものか?」を考えることがあったそうです。

そうした中において、「おおもと」から来る情報に従ってただただそれを素直に表現していくことへと思い立ったそうです。

こうした「おおもと」の感覚は、田坂広志さんの“大いなるもの”リンクするものです。

田坂広志さんも、足立幸子さんと同じように「臨死体験」に近い死生の境をさまようような体験のあったことを告白してくれています。

死を意識すると、生の本質が見えてくるというのは、非常に印象深いことです。

足立幸子さんは、意識は常に「おおもと」に通っていると言います。そして、その交信の結果として、「おおもと」からは、ひらめきやインスピレーションというかたちで、返答が返ってくると言います。

たしかに、人間の意識のうち、多くは無意識で、そしてそれらの領域がどのように働いているのかはブラックボックスらしいのですが、でも、確かにものごとをひらめいたり、突如として意識がつながったりと、そうした不思議と思われることを想像するに、「おおもと」やなにか魂に響くような大きな存在を感じることもできるのかもしれません。

感度を高めるために3つの条件を説いてくれています。

1.あらゆるこだわりを取り除くこと。
2.実際に行動に移すこと。
3.深い部分の本当の自分に気づくこと。

この3つの条件は、単にスピリチュアルな心得ではなく、現代を生きる私たちが直面する複雑な意思決定や、目に見えないストレスの根源を見つめ直すヒントでもあります。

まず、「こだわりを取り除くこと」。これは言うは易く、行うは難し。しかし足立さんは、「手放す」ことの本質を、何かを“諦める”のではなく、「本来の流れに還ること」だと語ります。

私たちは知らず知らずのうちに、「こうあるべき」「ねばならない」といった思考の枠に縛られています。それらを一つずつ見つめて、ゆるめていくことが、感性の通路を広げてくれるのです。

今までは、人の分まで奪っていたわけですよね。

そうした視点から、自我にとらわれない自分自身を高めていくことが大切であるとします。自分自身のことばかりを考えて、それらを手放せないでいると、失敗を過剰に恐れてしまったり、保身に走ってしまったり、自分のアピールばかりを行ってしまったりします。

でもそうではなくて、他者や全体のことを考えてその中で、互いに良くなっていく、その果実を互いに分けることを志向していく先に、よりよい世界観が広がっていくと想定できるのです。

次に、「実際に行動に移すこと」。これは、直感やひらめきをただの“気のせい”で終わらせず、現実に試してみるという姿勢です。「こう感じたけれど、恥ずかしいからやめておこう」といった日々の中の小さな抑圧こそが、感度を鈍らせる元なのだと、足立さんは指摘します。むしろ「なんとなく気になる」を信じて一歩踏み出すことこそが、「おおもと」との共鳴を深める鍵になるのです。

そして、「深い部分の本当の自分に気づくこと」。これは、表面的な理想像や社会的役割ではなく、もっと静かで、本源的な「わたし」に触れるということです。足立さんは、こうした“気づき”の先に、「いまここ」に安らぎを見出す生き方があると言います。そこでは、結果や成功を追い求めるのではなく、「ただ、あるがまま」に委ねる力が生まれてくるのです。

このようにして磨かれた感受性は、やがて、自分自身の選択や出会い、そして現実そのものに変化をもたらすようになります。すべては外から来るのではなく、自分の波動が引き寄せている。

そうした視点は、経営や組織の在り方にも新しい問いを投げかけてくれるのではないでしょうか。

ひらめきは波によってもたらされる!?

ひらめきのもと、入ってきた情報は、自分自身で活動として結実させてみることがなによりも重要です。

「こんなことをやったらみんなに笑われる」とか「こんなことができるわけがない」とか「自分らしくない」とか、そのように防衛線を張るのではなく、とにかくトライしてみる。

もしかしたら、続かなかったり、うまくいかないこともあるかもしれませんが、そうした活動の連続の中に、自分自身を新しく見出していくことが可能になります。

閃いたら即行動に移して下さい。

前提として、「できること」がひらめくものです。「おおもと」はそのように私たちを適切に促してくれているのであると思ってみることも、自信につながっていくのかもしれません。

また、足立幸子さんは、頭で考えずに、心、つまりハートで考えることの重要性を説きます。頭で考えるのは、論理的で計算的で、それはそれで必要なときもあるのですが、それよりも重要なのは、心で感じることであるとします。

心で感じるとは、それはつまり「おおもと」のインスピレーションを受け取る準備をするということです。

心はあるがままに受け入れられるところでもあります。あれこれ想定したり考えずに、自分自身のあるがままの状態をやわらかく包んでくれるのは、心であることを忘れないようにしましょう。

世界は自分自身が映し出しているものです。

自分が良い状態にあれば、世界は明るくなり、その反対も可能です。

世界とは、認知のことであり、それには自分自身のコンディション次第ということに気づいてみましょう。

絶対に正しいことや絶対に間違っていることなどはなく、状態次第で、ものごとというのは様々な色に変化し続けています。

そうした認知や変化を前提とした、柔軟なものごとの見立てによって、実はこの世界を生きていくヒントも磨かれてきます。

すべての現象はあなたが出している波動に同調して来る。

基本的には、すべてのものは「波動」を出しているといいます。

波動は波であり、それには固有のゆらぎがあります。また、そのゆらぎは時間とともに変化していきます。

互いのゆらぎ同士がマッチするものごとと都度、出会い、そして分かれを繰り返しながら、時間は流れていくものであると認識されます。

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身体で感じ、そして生きよ!?

AIでははく、私たちは身体を持ちます。身体を持っているからこそ、私たちの人生には確実に終わりが訪れます。

なぜ生きるのか?なぜ身体を持って生きるのかについて検討する時、足立幸子さんの言葉が響きます。

では何のために肉体を持って地球に来たのかと言いますと、〔味わうため〕なのです。
肉体を持つことによって、感覚も感情も持ちます。

五感を通じて、心で感じることこそが、私たちが人間、生物として生を得られた特権であると言うことができるかもしれません。

身体を通じて、感じ、そして心をもって、現状を捉えていくことで、さまざまな状況について、それらは私に何を期待しているのだろうか?という発想を強めていくことができるようになるでしょう。

例えば、トラブルは、自分を成長させるために来るのですね。<深い部分の自分>が、「そろそろ成長させてやろう」ということで、問題を与えるのです。

そう考えてみると、トラブルとは一概にトラブルではなく、可能性をはらんだ機会として見出すこともできるのです。

仮に良いこと、悪いことがあったとしても、それは仮の姿です。常に「どうぞ、どうぞ」とという感じで、絶えず受け入れていくと怖いものがなく、自分の可能性をさらに高めていくことが可能になる生き方が可能です。

そうしたOPENな状態を貫く「あるがままに生きる時代」がこれからであると捉えることができるかもしれません。

あるがままとわがままというのは異なる概念です。

あるがままというのは、自分自身もあるがままに生きるが、あなたもあるがままに生きていこうとというインクルーシブな考え方を含有しますが、わがままというのは、自分自身はあるがままに生きるが、あなたはだめ!という発想です。

ここから考えられるのは、互いのあるがままを尊重する状態こそが、多様で、誰もが包括された生き方をしていくヒントであるということです。

人というのはそもそもいろいろな側面を持っています。上述のようにものごとと一緒で、さまざまな見方ができてしまうのが人でもあるということです。

「こういう面は、良いが、こういう面は悪い」とか「好き」とか「嫌い」とかそういうことで判断しがちです。それを辞めてみるということがあるがままを受け入れるには不可欠です。

「あの人はこういう面と、こういう面と、こういう面を持っている人なのだ」とフラットに事実を受け取ってみる、そこに判断やジャッジをしないということが、あるがままにものごとを見るということの出発点です。

直観の〔観=観る〕というのは、目で見るのではなく、〔心の目〕で見るわけですね。

目に見えないものほどに、大切なものがあると感じさせてくれる1冊でした。ありがとうございます。

こちらの田坂広志さんの1冊「意義意味を見出せ!?『人生で起こること すべて良きこと 逆境を越える「こころの技法」』田坂広志」もおすすめです。ぜひあわせてご覧ください。

まとめ

  • 調和とはなにか!?――“大いなるもの”と接続される感覚です。
  • ひらめきは波によってもたらされる!?――“大いなるもの”との交信によって得られます。
  • 身体で感じ、そして生きよ!?――互いの「あるがまま」を尊重しましょう。
足立幸子
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