- どうしたら、この社会をうまいこと生きていくことができるでしょうか。
- 実は、価値の源泉、能力の発露について、もう少し正しい理解をしてみるということかも。
- なぜなら、私たちは想像以上に互いの相互作用の中で生きているからです。
- 本書は、あるべき姿を求めすぎて、鬱になってしまった書籍編集長の人と社会を考える1冊です。
- 本書を通じて、私たちがステレオタイプに導入している考え方に気づくことができます。

生きづらさは何のせい?
NewsPicksパブリッシングの元・編集長である井上慎平さんは、あるべき姿を追い求めすぎて、心を病んでしまいました。
会社に行くことも、当然、プロジェクトを率いていくことも難しくなってしまった彼は、苦しみの中で、自らと対話しながら、なぜこのような状況に自分が追い込まれてしまったのか・・・いや、もっというと、自分で自分を追い込んでしまったのか?そうした自分を作った社会というのは、何なのか?について、深く考えるきっかけをえました。
そして、誕生したのが本書です。
・僕たちは、いったいどんな社会を生きているのだろうか?
・社会は、経済はどんな原理で成り立っていて、僕たちの価値観にどんな影響を与えているのだろうか?
実際のところ、私たちはもしかすると「強くなろうとせずに穏やかに」暮らしていくことが難しい時代を生きてしまっているのかもしれません。
経済や会社は、なぜだか猛烈な成長を前提としているし、それを個人のレイヤーまで巧妙に落とし込んできて、自分を絶えず高め続けていないことは悪であるかのように指摘します。
こうした社会が共有している先入観は、私たちにとって空気のようなものです。
だから、気づかない。
でも確実に私たちの人生観を作り上げて、それを連綿と受けつぎ、そして、同じ時代を生きる者同士の共通言語にしているのです。
「『生きる』にとって経済とはなにか?」
なんだか息苦しいような、押し付けられているような、抑圧されているような感覚を覚えずにはいられない、この社会を駆動させている言語とは何か?について、本書では、深く切り込んでいきます。
本書のスタンスは、「社会を変えることではない」ということに触れておく必要があるでしょう。むしろ、そうした血気盛んな志とは一線を画し、むしろ俯瞰的に「世界を変えよう」「課題にぶつかったら、乗り越えよう」という強さの論理を解きほぐし、もう少しひとりひとりが自分の感覚を元に、社会や自分自身、そして人とのつながりを検討する機会を提供してくれるものです。
市場価値という呪縛から抜け出す?
強さ、弱さというキーワードが頻発する本書ですが、実際には、この強さや弱さという定義は非常に曖昧なものです。
何が強く、何が弱いのかは環境によって変わる。
本書の定義によると、絶対的な強弱ではなく、その程度を「自己コントロール」の問題として捉えます。
「社会に求められる人間像」のストライクゾーンに対して、「自分をコントロールして」おさめることが絶えずデキる人は、強いととらえて、そうではない人を弱いと捉えています。
なぜだか「社会に求められる人間像」というのは、結局は社会が作っているようで、実際のところは、自分が勝手に想定しているものに違いありません。
「人から見られた時に、こういう自分でいたいな!」「会社の年次からして、だいたいこんなことができていたいな!」「家族を持つってこういうことだよな!」とか、そういう社会との相対的に見出された感覚の中で、自分の理想像を作り上げて、それに自分を当てはめていくことで、安心感を得るようなそうした感覚です。
でも、この理想って、本当に自分自身にとっての理想かどうかっていうのは、なかなか考えどころです。
難しいのは、人は、相対的にものごとを捉えなければ、なかなかそのものごとに対して触れることが、難しいというのも事実だからです。
本書の定義の強弱において、さらに生きづらさを助長させているのがその理想像が非常に早く更新させられている時代であるという背景も大いにあるでしょう。
実際、これまでの時代において、これだけ人が職業を変える時代はありませんでした。
だいたいの時代において、自分仕事は、先祖代々のしごとであって、お父さんも、おじいさんも、そのまたおじいさんだって、ずっと同じ仕事をしてきたのです。
しかし、現代ではどうでしょう。
お父さん(お母さん)と同じ仕事をしている人もいれば、そうでない人も多いのでは?
これだけ目まぐるしく職業が流動的に変化されることが認められてさらに、それが1世代の中にまで浸透しています。
こうした環境の中で「いつまでも同じことをしてはいけない!」という強迫観念を知らず知らずに感じてしまう人だって少なくないはずです。
それが、新たな強い理想像を固めることに寄与し、結果的に、さらに無理をしてまでがんばる!という終わりなき(受け手によっては)苦しみのスパイラルが訪れるのです。
なんのために成長するのか。それは、ビジネス用語で言うところの「市場価値」を上げるためだ。
終わりのない成長のものがたりを語ること。
これが前提となっている社会の中で、生きづらさは払拭されないままです。

間(ま)を意識せよ?
本書がそうした中で突破口を見出すのは、著者・井上慎平さんが、湯治でおとずれた旅館で、とある1冊との出会いからです。それがこちらの1冊『時間についての十二章:哲学における時間の問題』です。
在野の哲学者・内山節さんによる時間論です。
この中で、内山節さんは、「1日24時間」という当たり前を否定します。そして時間というものは、「分配」(「消費」)されているものではなく、「生成」(「創造」)されるものであると説きました。
時間を自分がつくり出すなんて考えてみたことすらなかった。
村で生きる内山節さんによると、「自分とお隣さん」「自分と川」「自分と畑」など、ことなる者同士の中で、それぞれの関係性の中で、時間というものは、はじめて生成されるものであるというのです。
関係性によって、生成される時間。
「分配された時間」を生きてしまうと、とたんに「この時間をいかに効率的に使うか」という競争に巻き込まれてしまい、とてつもない強迫観念に瞬間瞬間襲われることになります。
しかし一方で「時間は、与えられたものとしてすでにあるのではなく、関係性の中で生み出していくもの」だとすると、どうでしょうか。
一人に閉じた世界ではなく、他者や他の多様なものごととの関係性の中に、自分を見出すことができ始めてくるように感じます。
あまりにも便利になった社会の中で、テクノロジーのおかげで、確実に私たちの可処分時間は増えています。でも、そのかわり、私たちはさらなる「効率化」を求めて、時間を有意義に“処分”することに躍起です。
すると、有り余っているはずの時間がさらに消費、処分されていき、さらに忙しくなっているというスパイラルを生きてしまっています。
見立てを180度変える必要がどうやらありそうです。
この「時間」感覚だけではなく、井上慎平さんは「能力」についても同じことを説きます。
能力という言葉は、メタファーです。
それは、皮膚の内側にある「筋肉の収縮」によってもたらされる「力」を想起させ、自分ひとりで生み出す、あるいは、自分ひとりの内在する力として測られるような感覚を共有します。
でも実際には、人の成果というのは、よく考えてみれば、他者やほかのものごととの間、つまり関係性の中に生まれてくるものなのです。
成果は、誰かの「内部」にあるものが「外部」にあるものと融合し、生成する。能力は個人の内部にある「モノ」じゃない。外部(状況・環境)との関係性の中でつど生成する「コト」、つまりは相互作用であり、現象だ。
人間の認知能力、つまり世界を認識する能力は限界がすぐ来ます。だからこそ、人は成果をひとりや、特定の個人にしか結びつけて理解することにはしります。
でもそれは本質とは、別の次元でのものごとの捉え方です。
本当は、社会の間、人間と人間の間、そして人間とものごとの間にこそあるものなのです。
価値というのはそういう見立てをして、初めて理解できるものであるというのが、本書の主張です。
僕は「触媒的能力」という考え方を提案してみたい。 触媒とは、化学反応が起きるときに、そのもの自体は変化しないけれど、周囲の反応を促進する物質のこと。触媒的能力とはつまり、「その人が何をなしたか」じゃなく、「その人が周囲の人に『何をなさせたか』」に注目する考え方だ。誰かに「外部リソース」を提供する人を評価することを、明確にするための言葉だ。
重要なのは、生きづらさを感じて、どうしても個人(自分)に向かって、自分を苦しめてしまうスパイラルを無防備に採用するのではなく、ふと、価値、関係性、触媒という概念を思い出してみることではないでしょうか。
たとえば、そうした世界観から見てみると組織のあり方、存在意義というのも非常に多様なものになります。
「能力の合計値を最大化しようという」発想をやめて、「内部リソースと外部リソースの相互作用を最大化させよう」と考えて、組織に、あるいは、時に、自分に、他者に、向かっていくと、きっといいことがあるし、その世界は、もっと安心できるものであるはずです。
そうした視点に立てば、価値というのは、有限ではなく、かぎりなく、無限に膨れ上がり、私たちの心持ちをさらに穏やかにして、他者との関係性へ向かう気持ちをさらに向上させてくれるのです。
能力主義については、ぜひこちらの1冊「【人は、なぜ共に働くのか?】働くということ 「能力主義」を超えて|勅使川原真衣」も合わせてご覧ください。大変おすすめです。

まとめ
- 生きづらさは何のせい?――ずっと埋まることない、理想と現実のギャップです。
- 市場価値という呪縛から抜け出す?――自分ひとりを測る負のスパイラルから抜け出しましょう。
- 間(ま)を意識せよ?――そこにこそ、価値の源泉があるのです。
