- どうしたらよりよい子どもとの関係の中で、互いに学んでいくことができるでしょうか。
- 実は、キーポイントは、言葉にあります。
- なぜなら、言葉によって、人はものごとを認識し、考えるからです。
- 本書は、犯罪心理学者である出口保行さんが多くの子どもと向き合って学んだ、言葉の使い方です。
- 本書を通じて、言葉の重要性を知り、自らを知る機会を見つめます。

信頼関係を築けるか?
出口保行さんは、1万人を超える犯罪者・非行少年の心理を分析してこられた方です。
そうした接点の中で、少年がひとりで勝手に悪くなったわけではないという、論点を知ったといいます。
一見何の問題もないように見る家庭で、保護者としても「よかれと思って」していることが子どもにとってはそうではないという「ボタンのかけ違い」が問題化している場合も多いのです。
子どもは、親の言葉を通じて、自分を知るヒントを得たり、あるいは、社会全体を俯瞰する力を養っていくためのタネとしていきます。
多感な時期には、そうした言葉のちからは絶大であり、一生を左右するようなマインドセットを作りかねません。
「ああしなさい」「こうしなさい」「これをしてはダメ」といった社会性を身につけるために言ったはずの言葉が、もしかしたらその子をがんじがらめにして、非行に向かわせてしまうこともあります。
親は罪悪感はなく、むしろ、子どものためを思って真剣に考えた末にそうした対応をしていることが多いといいます。
「よかれと思って」
非行少年の保護者から何度聞いたかわかりません。
人はみな確証バイアスを持っています。これは、自分の既存の信念や仮説に合う情報を重視し、それに反する情報を軽視したり無視したりする傾向を指します。
- 自分の考えを支持する情報を積極的に探し求める
- 反証となる情報を意図的または無意識に避ける
- あいまいな情報を自分の信念に都合よく解釈する
などなど・・・、こうした考えにとらわれがちです。
ましてや正解がわからない、そして手応えも難しい子育てにおいては、何かを明確に頼りにしたい気持ちは強いのが、こうしたバイアスを優先的に強化してしまう背景にもなっていると思われます。
こうした状態に陥ると、子どもから発信されるSOSにも気づかなくなってしまう可能性があります。
子どもは、「もっと自分を見てほしい」「認めてほしい」というときもそれをストレートに伝えることができません。ちょっとした口答えや、やるべきことをやらなくなるなど、そうした小さな変化を見逃さないことが重要です。
SOSというのは、ささやかで見逃しがちなのです。
修正主義で生きましょう?
重要なのは、親子の関係性こそが、子育てにおいて最も重要であるということです。
信頼関係が互いにあれば、互いの言葉を真剣に聞くことができるし、互いを尊重して、一つ一つの行動にも注意を払うことができるようになるのです。
「子どもだから」「親なのに」ということを一度抜きにして、一人の人間として、互いに信頼の基盤を作ることができているか、ということを問うてみても損はありません。
だから、子どもに黙って、子育てや日常生活の方針やルールを変えてしまうことは良くないことだと気づくでしょう。
子どもがそれを知らなければ、なぜ変わったのか?納得できないのはなぜか?良くわからなくなってしまうからです。
親だって間違うことがあるし、それを恥じる必要はありません。完璧な人間はいないのです。
完璧主義ではなく、修正主義で、ものごとを捉えながら、進めていくようにしてみましょう。
親というのは、子どもが生まれればなれるものでなく、子どもの成長に合わせて親になっていくものなのです。

自律こそ宝?
しばしば、子どもに対して言ってしまいがちな言葉として、「みんなと仲良くしよう」という趣旨のものがあるかもしれません。
しかしながら、その言葉の裏側にある大人の事情を子どもは察します。結局、みんなと仲良くしていたほうが、親や大人は都合がいいのです。問題が起きないし、集団活動が円滑に進むから、効率がいいのです。
でも「みんなと仲良くする」って本当に大切なのでしょうか。
もちろんみんなのことを少しでも理解して、社会を作っていくことは大切です。でも、みんなのことを好きになることって、果たして大人もできているかと言うとそうではないですよね。
好き嫌い、合う合わないがあって当然なのです。だから、大人の社会で起きている当たり前を、なぜ子どもの世界にも適用できないのか、自分自身でよくよく俯瞰して見つめてみることだって大切でしょう。
仲良くできないなら、どうすればいいのか考えようというスタンスで話を聞くのがいいのです。
指示するのではなく、一緒に考えてみるということをしていくことによって、子どもとの信頼関係を創っていくことができるはずです。
また、子どもに対して「成果」や「結果」を過剰に褒めてしまうことも待ったをかけるべきでしょう。むしろ重要なのは、「過程」です。いかに努力をすることができたか、そのために一生懸命になることができたかを、具体的に振り返りながら、一緒に確認していくことが、折れない人を育てます。
「結果」や「成果」というのは、どうしても偶然性も関わってきます。100%コントロールできないことを供給すると、人として何をしていけばいいのかわからなくなります。
大人だってそうですよね。
だから、100%コントロールできること、つまり、自分の行動(とそれを支える心構え)にフォーカスするのです。
子どもの素直な興味関心を否定することも、避けたいところです。子どもはその子自身の個性を存分に発揮するようにもともと好奇心がプログラミングされているはずです。
「それを追求しても意味ないんじゃない?」「もっとこっちのほうが役に立つんじゃない?」というのはすべて大人(親)のロジックであり、親の思想です。
それを押し付けるのは、いくら親子であってもなってはならないことなのです。いや、むしろ「いくら親子でも」という前置きこそ良く検討して見る必要があるかもしれません。
親子は、所有の関係ではなく、あくまで、リスペクトの関係であるべきだからです。
この子が生まれ持ったものがある、それを社会に還元していくために、基本的なスキルやルールを教えることはあっても、その個性を抑えつけるような流れを作ってはならないのです。
信頼関係が作られるためには、互いによりよいところを認めあえて、そして絶えず変化するようにきっかけを作り続けることです。
つまり、学びというのは、子どもにとってだけではなく、そのことによって、親自身もよく学ぶべきではないか?と考えることもできるのです。
自分の興味関心を大切にすることができれば、そのことを通じて、よりよい社会との接点を持つことができるようになるでしょう。
自分のことを自分で決めるのは、ボタンをかけちがえると、実は想像以上に難しいことになりかねません。でも、自分のことを自分で決めているということは、とても素晴らしいことであり、楽しい、ワクワクすることです。
自分の可能性を見つめられるように、一人ひとりがよりよく育つ世界、自分と世界にワクワクする気持ちを持ち続ける未来を応援していきたいと思います。
子育てについては、こちらの1冊「【いかに信頼関係を築くか!?】子どもは罰から学ばない|ポール・ディックス,森本幸代」もぜひご覧ください。

まとめ
- 信頼関係を築けるか?――親子関係は、信頼関係です。
- 修正主義で生きましょう?――間違うことがあるのが人です。そういう前提で進みましょう。
- 自律こそ宝?――自分の意志と興味関心を持って生きられる人を互いに目指しましょう。
