- どうしたらAI実用化時代において、自分の生き方・働き方を見いだせるでしょうか。
- 実は、AIを否定するのではなく、どう使うのか?にフォーカスしてみることがキーかも。
- なぜなら、人類の歴史は、そうした新たな技術との向き合い方を見極める連続だったからです。
- 本書は、AIとは何か?を考える中で、人とは何かを見つめる1冊です。
- 本書を通じて、これからの時代の人としての生き方を考えるヒントを得ます。

変化を見方に?
1978年ノーベル経済学賞を受賞したハーバード・アレクサンダー・サイモンの有名な話に「サイモンのアリ」があります。
「砂浜上のアリの軌跡は、砂浜表面の複雑さであって、アリの内面の複雑さではない。人の複雑にみえる行動も大体のところ、人間が置かれている環境の複雑さを映し出している」
私たちが生きている環境は複雑で、計算通りに進むことなど不可能です。そして、すべての情報が入手できるわけでもかりにそうした情報をもっても、それを適切に計算するすべを知りません。
私たちは、この複雑な世界において、日夜アリと同じような生活をしています。
日々できることをやり、そしてその積み重ねの結果として、理想とする高みに到達する人もあるかもしれないし、そうでない人も確かにいるという事実を知っています。
しかしアリと人は異なり、高い知性を持ちます。その結果、今日にみられるような社会を創り出すことに成功しています。
ただ、事実として、こうした世界を目の当たりにしても、それは、日々できることに1人1人が向き合ってきた、集積であることは変わりありません。
もはや、妄想が妄想のままでなくなりつつあるのだ。
いつでも
どこでも
誰とでも
やりたいことができるようになりました。
人は目の前の不自由さや面倒さといった障壁・制約があるからこそ、解放を目指して前進してきたと言ってもよいでしょう。
AIの導入によって、人の仕事がAIに置き換わって、人の仕事がなくなるのではないか?という話を耳にすることが増えました。しかし、だからといってAIに否定的な感情を持つのは、お門違いでしょう。
内燃機関や電卓が実用化されたときや、組立ロボットが発明された時にも、世界中で起こってきたことです。
そのたびに人は、変化に対応することで、前進をしてきたのです。
なぜ、私たちが一抹の不安を覚えるのか?
それは、新たなテクノロージーの登場により置き換えられる職業については想像することができても、それにより生み出されるであろう新たな職業に関する創造が難しいためです。
生まれるサービスや職業についての詳細な分析は聞いたことがない。
たしかにわかっているのは、社会は、絶え間なく進化していくし、そしてAIも絶え間なく進化していくということです。
学習とは?
AIがすごいのは、私たちが言語化しづらい「学習能力」をすでに習得しているということです。
「学習する」とはそもそもどういうことか、考えてみます。
「学習する」とは、つまり、「脳神経細胞同士のつながりの強さが変化すること」であると捉えることができます。何かをしっかり学ぶと、そのなにかに関わる脳神経細胞同士の接続が強くなることで、電気信号が流れやすくなるイメージです。
これらを担っているのが、ニューラルネットワークと呼ばれる、ニューロン同士の接続です。
「学習」すればするほど、ニューロン同士の接続の重みが獲得されていき、該当するような思考や行動をしやすくなるということが言えます。
子どもの頃に自転車を乗るときのことを思い出してみましょう。バランスの取り方に誰もが苦労したはずです。
すでに自転車を乗れている親は、さまざまなアドバイスをするのですが、なかなかバランスの取り方について子どもは受け取ることができません。
我々は脳で行われている処理のすべてを言葉として表現することができないのである。
これは私たちの言葉に結果があるということではなく、私たちは社会性のある生き物であるということが関わっているといいます。
皆で協力するときに、例えば、緊急事態において、互いの情報をやり取りすることに延々とした時間がかかっていては、その間に大変なことになってしまうかもしれません。
だから、言語というフィルターを通じて、必要最低限のコミュニケーションを取ることができるようになるのは、生存戦略からして正しいことだったのです。
地球環境において生き残っていくためには、そもそも省エネであるということはとても重要なことであったとも考えられます。
そもそも脳での処理のすべてが言葉となった途端、相手に何を伝えればよいかを選択する必要も出てきてしまう。
これまで、AIが開発されたとしても、なかなか人同じような言葉を通じた思考において、遅れていたのは、この人の思考がすべて言語化されていなかったわけではなく、その部分に対してAIの思考が及んでいなかったことによります。
しかし、現代のAIは、その人間が言語化できていない領域まで学習する機能を持っていることが革新的なのです。
これまでのコンピュータプログラミングでは、すべての動作を人間が細かく指定する必要がありました。
例えば「猫を認識するプログラム」を作る場合、
- 「三角形の耳がある」
- 「ひげがある」
- 「4本足である」
- 「尻尾が長い」
といった特徴を、ひとつひとつプログラムに書き込まなければなりませんでした。
現代の深層学習を用いたAIは、人間が特徴を指定しなくても、大量のデータから自律的に「理解」を構築できます。猫の写真を大量に見せるだけで、AIは自動的に以下のような内容を段階的に学習していきます。
- 画像の基本的な特徴(線、色、陰影など)
- より複雑な特徴(目の形、耳の形状など)
- 総合的な「猫らしさ」
特に注目すべきは、AIが「人間が言語化できない特徴」も学習できるという点です。例えば、熟練した医師は経験から「この症状は危険かもしれない」と直感的に判断することがありますが、その判断基準を完全に言葉で説明することは難しいものです。
現代のAIは、このような「暗黙知」とも言える領域においても、データから直接パターンを学習し、時には人間も気づいていなかった新しい特徴や関連性を発見することがあります。
現代のAIが持つ「学習能力」は、人間の学習過程に驚くほど近づいています。それは単なるデータの記憶や規則の適用ではなく、経験からの自律的な理解の構築ということもできるのです。
実は、ChatGPTクラスの生成AIでは、期待した性能が確立されるには、100億円規模の構築コストがかかっているといいます。
面白いのは、データ量が2倍、3倍、4倍、10倍、100倍と指数関数的に大きくしていった先に、10の23乗というサイズになった途端、いきなりAIの性能が唐突に向上したらしいのです。人の思考のデータ量を考えるヒントになるかもしれません。

AIとの協業の在り方とは?
ここまでできるAIを使って、反対に人は何をしていくのか?ということが気になります。
ヒントとしてノーベル賞クラスの発明において、その発明に至るきっかけについて、インタビューでよく聞かれるのが、「失敗からの偶然の発見」であるとされています。
爆発的に起こる失敗は、失敗などではなく、ゼロから創造や発見を生み出す重要な出来事というわけだ。
そして膨大な失敗のためには、「どうなるか全くわからないけど、とにかくやってみる」という時にも、その結果が想定外なものである場合に、ゼロからの発見を伴うことにもなります。
『どうなるかわからないけどやってみる』という行動の仕方が重要なのだ。
現在のAIには、そうしたマインドを持つ自律性はないので、創造性を発揮する起点となり得ないのです。
人は、タネとタネの距離が離れていても、つなげる能力、そして、つなげようという自律的なモチベーションを持つことができます。
この偶発性を引き起こすための意志と実働をすることができ、みずからの発想を自在に解放していくための相棒としてAIを捉えることが可能になるのです。
AIとの協働については、こちらの1冊「【自分の仕事の“定義”をアップデートしよう?】上司がAIになりました|橋爪大三郎」や「【AI対話で、自分の可能性を引き出そう?】「AI思考」は武器になる|谷岡悟一」もぜひご覧ください。


AIは、人になることはできません。
究極的な話ですが、AIは真の人間にはなれないのです。
人が人であることを支えているのは、もしかしたら、人生という時間が限られているということ、そして身体的な感覚を持つということかもしれません。時間というリソースが限られていれば、その前提で、意志を持つことができます。そして、五感を通じて、世界の認識を生物固有のものにすることができるというのも事実です。
人がそうした逃れられない特性をもって、それでも人生や社会を前に進めていくために、人間力を駆使できるか、そのための有能なパートナーとしてのAIの姿が見えかかってきています。
案外、自らの意志を見つけていくということ、足元でそうした着眼点を持つということが重要かもしれません。そうした着眼点や視点を育てるためには、例えばこちらの1冊「【自分は変えられる?意志さえあれば!】10年後、後悔しないための自分の道の選び方|ボブ・トビン」をご覧ください。

まとめ
- 変化を見方に?――変化を機会点として捉えて、自分の思考や当たり前を変化させていきましょう。
- 学習とは?――非言語領域について、知覚を得ながら自分を体系立てていけるかどうかです。
- AIとの協業の在り方とは?――意志を持って、トライを続けていくことがキーです。
