- どうしたらインクルーシブの概念に、自然に触れることができるでしょうか。
- 実は、ムーミンのキャラクターの個性に深く触れてみることかも。
- なぜなら、作者トーヴェ・ヤンソンの強い個性を分担して表現しているからです。
- 本書は、自閉スペクトラム症的要素をムーミンキャラクターから見つめる1冊です。
- 本書を通じて、個性とはなにか、それが自然に生かされている状態とはどのようなものかを知ります。

個性とはなにか?
本書の著者、横道誠さんは、京都府立大学文学部の准教授であり、文学博士です。40歳で自閉スペクトラム症、ADHDと診断されて、発達障害者当事者自助グループの活動も精力的に行っています。
そんな当事者である横道誠さんが、ムーミンに登場するキャラクターと、そして作者のトーヴェ・ヤンソンさんについて自閉スペクトラム症的要素を読み取り、相性の良さを解きほぐしていきます。
この本を書いている私は、自閉スペクトラム症を診断されています。その当事者のひとりにあたる私から見て、ムーミン・シリーズは、とても自閉スペクトラム症の特性と相性が良いものと感じられる、という見立てを提示していきたいのです。
自閉スペクトラム症は、脳の発達に関連する状態で、主に以下のような特徴があります。
社会的コミュニケーションの特徴:
- 他者との関係づくりに困難を感じることがある
- 非言語的なコミュニケーション(表情、身振り手振りなど)の理解や表現が苦手なことがある
- 場面や状況に応じた適切な対応が難しいことがある
行動と興味の特徴:
- 特定の分野に強い興味を持ち、その分野について詳しい知識を持つことがある
- 決まった順序や予定を好む傾向がある
- 感覚(音、光、触覚など)に対して敏感または鈍感な場合がある
重要なポイントとして、自閉スペクトラム症は「障害」というよりも「特性」として捉えることが大切です。一人一人の特徴は異なり、その人なりの得意分野や才能を持っています。適切なサポートと理解があれば、多くの方が自分らしく充実した生活を送ることができます。
自閉スペクトラム症という言葉は、どうしても否定的な響きを持っています。ですが、私はそのように診断されたことで、じぶんの人生の生きづらさをひもとくための鍵を手に入れることができました。
いま、世界では、自閉スペクトラム症が「病気」や「障害」だという従来の見方は誤解だとする認識が、世界で広まっています。これは「ニューロダイバーシティ」、つまり「脳の多様性」と呼ばれています。
実に1割程度も存在する人々で、環境にさえ恵まれれば、幸福で豊かな人生を送っていくことができるのです。
ニューロダイバーシティについては、こちらの1冊「【“普通”はそんなに重要か?】普通をずらして生きる|伊藤穰一,松本理寿輝」やこちら「【人の「違い」について触れるには?】ニューロダイバーシティの教科書|村中直人」もぜひご覧ください。


ムーミン・シリーズが、これから訪れるニューロダイバーシティの時代にとってふさわしく、学べる要素で溢れている作品であるという仮説にそって、物語に触れていくことで、これからの人と人の関係性に示唆を得ることを期待することができるのです。
ムーミンとは?
ムーミンには、父親があります。ムーミンパパと呼ばれる彼には、注意欠如・多動症と放浪癖の特徴があります。
そして、その特性はものがたりの全体を通して常に強調されています。実は、自閉スペクトラム症には、不注意、多動、衝動性などの特徴とする注意欠如・多動症(ADHD)がしばしば併発します。そして、ADHDには、放浪癖が付随します。
実は、この放浪癖ですが、ムーミンパパだけではなく、シリーズに登場するニョロニョロや、スナフキンにも見られる特徴です。
作者・トーヴェ・ヤンソンさんにも実はヘルシンキとフィンランドの島々を行き来しながら、人生を送りました。しばしば海外旅行にも出かけたとありますので、もしかしたら、その傾向があったのかもしれません。
ムーミンには、母もあり、これをムーミンママと呼びますが、ムーミンママは、ムーミンパパのそうした特徴をネガティブな側面だけで捉えることなく、自然と受け入れるというしなやかなマインドセットを持ちます。
実はそうしたキャラクター同士に見られる関係性に学びのポイントがありそうです。
本書の中では、それこそタイトルで表現されているように、自閉スペクトラム症的なキャラクターの様々な特性が取り上げられています。
同調、協働しないキャラクターたち
ニューロマイノリティの人たちにとって、「みんな違う、それが良いのである」という前提でものごとを見ることがとても重要です。
世の中の基準や、一般的な考え方に、合わせることが苦手で、ただ、だからこそ、一般では想定しなかった思考やアイデアを生み出す可能性を見出すことができる自分たちをどうしたら肯定することができるのか?を真剣に考えるのです。
ムーミン谷に住む人達は、ほどよい距離感を保ちながら、それがたとえ家族という枠組みにあっても、互いを尊重し、適切な距離感を持って、互いの特性を横目で見ながら、否定もせずに、肯定もせずに、自分の足で立ち、自分の頭で考える生き方を続けていきます。

解像度の高い理解を?
トーヴェ・ヤンソンさんは、1964年に行われたインタビューで、「誰のためにものがたりを描いているのか?」と問われたときに、以下のように応えています。
私の物語が誰のために、どんな読者に向けてのものなのかと言われたらたぶん、スクルットに、ということかと。つまり、自分にぴったりの居場所を見つけられなかったり、阻害されていたり、ギリギリのところにいたり、何というか、ちっぽけでむさくるしくて、みんなについていけないような、Bortkomlingenに。やっとのことで逃れられたり、隠れたりしている人たちのために、でしょうね。
Bortkomlingenというのはbortkomma(「いなくなる」、「道に迷う」などの意)という言葉が語源と思われるトーベの造語で、「はぐれ者」「はみだし者」「落ちこぼれ」「(精神的に)迷う人」「臆病な変わり者」といったニュアンスを含む言葉として登場しています。
スクルットは、ムーミン・シリーズに登場するキャラクターです。とても怖がりな性格だそうです。
ニューロダイバーシティの中で、人の特性を考えた時に、マジョリティとマイノリティにいったん分けて考えることもできるかもしれません。
マジョリティからすると、マイノリティの心を理解しづらいのに、その事態を正確に把握することをせずに、多数は絡みて少数派の「障害」と見立ててしまうことが、問題としてあげられるかもしれません。
大多数から見て、少数派のことをネガティブに捉えることは、人として間違った道への入口になりかねません。
大切なのは、一人ひとりの特性とはどのようなものであるのか、そして多数派・少数派で区分する危険性を十分に理解して、解像度の高い相互尊重が重要なのかもしれませんね。
まとめ
- 個性とはなにか?――一人ひとりがもつものです。
- ムーミンとは?――ムーミン・シリーズには、ニューロダイバーシティ社会のひとつの形があります。
- 解像度の高い理解を?――みなが尊重される社会を目指して、互いに理解を深めましょう。
