- どうしたらより正しいものごとに対する見立てができるようになるでしょうか。
- 実は、バイアスを知ることかも。
- なぜなら、バイアスによって、人の認知は大きくフィルタをかけられているからです。
- 本書は、無意識のジャッジの存在に気づける1冊です。
- 本書を通じて、自分の認知について、客観視するヒントを得ることができます。

フィルタに気づいている?
人は、自分の認識フィルタを通じてのみ、世界と接続しています。
特定のものごとや事象について、とある人は、絶望を感じるかもしれませんが、とある人は、希望を読み取ります。
この差は、それぞれの人の認知のフィルタによるものです。
バイアスは悪い方向だけでなく、良い方向にも働くということだ。
例えば、差別に関するバイアスにフォーカスしてみましょう。
とあるアジア系の人材がアメリカで医療を勉強しているとします。この学生は、白人のコミュニティとの距離感はどうしてもできてしまうものの、その代わり「勤勉でおとなしい」というモデル・マイノリティとしての側面を活かすこともできます。
もしかしたら、教授に他の学生に比べてより目をかけてもらうようになるかもしれないし、そうした過程から多くのチャンスを得ることもあるかもしれません。
ポジネガというのは、そもそも人のマインドにしかないものであるということに気づくことができます。
問題なのは、バイアスというフィルタを意識しづらいという点にあります。例えば、差別において、自分は全く差別していない、という思考であっても、実は、ハラスメントやレイシズム、貧困などに触れないかと言うと、そうはいかないでしょう。
悪意や強い偏見があるなしにかかわらず、差別は起こり得るし、その背景にはバイアスという見えないフィルタの存在があるのです。
偏見のパラドックスが起こるのは人が嘘をついているからではなく、みんな自分の内心をそこまで正確に知らないからなのかもしれない。
私たちが何を知り、何をどのようにとらえているのか?その点について、少しでも意識を向けることで、世界を認識のちからによって変えていく、ヒントを得られるのではないでしょうか。
フィルタの功罪?
私たちは、成長の過程で、どのようにものごとを認識して、線引をすればよいかということを学んでいきます。
子どもの認識には、まだ色がついていません。それらをひとつひとつ覚えていく過程で、善悪、○×というニュアンスも含み、どうした世界をより簡単に認識することができるか?ということを無意識のうちに考え、インストールしていきます。
社会的カテゴリーの線引きや、そのメンバーがどうあるべきかという知識を、子どもたちはあっというまに吸収していく。
時に、親の発言かもしれないし、学校の先生の態度かもしれないし、メディアのコンテンツかもしれません。
でも確実に、子どもたちは、この世界でどうしたら生き抜いていくことができるか?という重要なイシューに寄与するものごとの見立てを学んでいきます。
子どもたちは、あっという間に吸収していきながら、自分の見立てを確立していきます。空っぽのバケツに砂を注ぎ込むように情報はどんどん外からやってくるのですね。
これらは、もちろん生きるために役立つことが多々あるでしょう。しかし、ものごとの見立てというのは、あまりに無意識的で強烈な影響力を持つことを忘れてはいけません。
なにより、自分に対してそうした見立てが働くことで、自分の可能性を広げたり、あるいは、狭めたりしてしまうようなことだって起こりうるのです。

私たちは加担している?
社会全体を考えた時に、アリの群れを見つめてみると、気付きが多いです。
アリは単純なルールに従って動いています。他のアリや幼虫や食べ物の匂いに反応して、自分の匂いをあとに残します。ひとつひとつの反応はとても単純なものですが、その積み重ねで、アリの群れは複雑な問題を解決していきます。
アリという社会全体が、まるでひとつの生き物のように、個別最適の積み重ねが、みごとに全体最適につながっていくように動いているように見えるのです。
誰かが全体を指揮しているわけではなく、それぞれが基本的なルールにしたがって眼の前の相手とやりとりしているだけだ。個々のアリの行動をじっと観察しても、そのまわりにできあがっていく大きなパターンは見えてこない。
この生態系を作り込んでいくときの小さなルール、そこにバイアスが働いているということを忘れてはなりません。
私たち一人ひとりが、望んでいないようなこともこの社会にはバイアスが起点となって組み込まれている可能性だってあります。
例えば、資本主義の中で、労働者として働いているということについて、固執してしまうようなプログラムだってそうかも知れません。いやだいやだと思っても仕事に向かってしまうのは、仕事をしてないことについての無意識の忌避があるようにも思えます。
でも、これは本当に重要なことなのか?を考える機会を得ることは早々ないのかもしれません。
こちらの1冊「【無目的・暇を生きることができるか!?】14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキスト|飲茶」もぜひご覧いただきながら、ぜひバイアス(先入観、当たり前をも含む)について、ご一緒に考えて頂く機会にするのはいかがでしょう。

まずは自分自身の持つバイアスに気づくことから始めるのが良いかもしれません。当たり前過ぎて見えないことから、それを検討して、変えていく力を内在させることができるか、が、案外大切かもしれません。
そのためには、心を穏やかにして、無の状態にしてみるマインドセット=マインドフルネスが、良い影響を提供してくれるように思います。
マインドフルネスを実践すれば、自分の反応をより正確に見つめ、心を穏やかに制御してバイアスにふりまわされにくい状態を手に入れられる。
心を穏やかにすることで、バイアスに気づき、それをコントロールすることができるようになります。
何も考えずに、バイアスに加担することは、もしかすると自分自身のためにならないことだってあるかもしれません。盲目的に働くこと、何を目的として生きているのかわからない世界線への入口かもしれないのです。
自分が何によって立脚しているか、もしかすると赤ちゃんのようなピュアな目線を取り戻して、ものごとを考えられるかということを大切にしてみるのがよいでしょう。
まとめ
- フィルタに気づいている?――フィルタの存在に気づくと、自分の視点の前提を知ることができます。
- フィルタの功罪?――生きやすく、生きにくさを生み出すものです。
- 私たちは加担している?――一人ひとりの生き方が、全体につながっているという感覚を。
