- どうしたら自分の思考に俯瞰的になることができるでしょうか。
- 実は、文化的背景を加味すると、無意識領域が見えてくるかも知れません。
- なぜなら、文化が思考に与える影響は大きいからです。
- 本書は、複数の文化を横断しながら、思考のクセを見つける1冊です。
- 本書を通じて、メタ認知の練習をすることができます。
子どもの説明こんなに違う?
同じ4コママンガを読んでもらって説明をしてもらうと、日米の子どもで、以下のように明確に違いが出ます。
ぜひ以下の2つを比べてみて下さい。
【日本】けんた君はねないでテレビゲームをしていてそしたらしあいじかんまえになってしまっていそいでユニホームにきがえてバスにのったところまちがえてそしてしあいじかんにまにあわなくてせんぱつでピッチャーができませんでした。
【アメリカ】私のジョンの一日に対する意見は、一日の初めから終わりまで彼はイライラした一日を過ごしたということです。その日は彼にとってとても皮肉な日でした。まず彼はビデオゲームを長くやりすぎたので、それが悪い出来事の連鎖反応を引き起こしたのです。彼は遅く起きたので精神的にパニック状態になり、実際それが間違ったバスに乗る原因となり、それが野球の試合の練習におくれる原因になったのです。要するに、彼は悪い一日を過ごしました。
実験は日米それぞれ小学校の最終学年の4学級の児童、日本144名(小6)、アメリカ82(小5)に参加してもらい、同じストーリーの4コママンガについて説明を求めたものです。登場人物の名前だけが日本:けんた、アメリカ:ジョンと異なっています。
日本では、出来事が起こった順番に時系列でものごとを述べていく傾向が強いです。
一方で、アメリカでは、同じようにたしかに時系列が多いのですが、3割強の児童は、「エッセイ」と呼ばれるアメリカ式の小論文のスタイルで説明を述べる傾向が見られました。
エッセイでは、最初に結論となる主張を述べ、次に主張を養護する事実を述べ、最後に最初の主張を別の言葉で繰り返し、主張を強化する構成です。
これらの思考は、国や文化の背景によるものが大きく、英語習得のスキルセットをはまったく別軸の話になります。よって、「英語」が習得できるかどうかということを考えた時、例えば、アメリカ英語を母国語としない人が、なかなか本質的に上達しないのは、こうしたものごとの捉え方と説明の仕方について、全く異なるロジックを働かせている可能性も想像することができるのです。
カプランの分類によれば、英語は直背的な展開、(中略)東洋は渦巻きのように遠回りしながら間接的に主題に近づく展開(中略)と分析されている。
このように、ものごとに対するアプローチがまったく国(文化)で異なることはとても興味深いことです。(引用中のカプランとは、応用言語学者のロバート・カプラン教授のことです)
カプラン先生は、こうした違いがなぜ生まれるか?について、次のように語ったといいます。
読み手と書き手の間の合意によって<論理的>であることが決められているのである。
言語とは、一人で取り扱うものではありません。他者が必ずあって、その他者に「伝わる」かどうかが最大のキーになります。なぜなら、伝わらなければ、その言葉(文脈・構成)はよりよく流布していく可能性を減らしてしまうので。
このように伝染力を持った媒体である言語は、読み手と書き手によって、相互に特徴をさらにより濃縮されて、文化の中に定着していくのです。
ロジックを俯瞰して比べてみると?
ここでは、俯瞰して、それぞれのカルチャーを代表する4つの小論文の構成をみてみましょう。
エッセイ (米) | ディセルタシオン(仏) | エンシャー (イラン) | 感想文 (日) | |
---|---|---|---|---|
1)序論 | 主張 | 概念の定義、問題提起、問い | 主題の背景 | 対象の背景 |
2)本論 | 主張を支持する事実(3つ) | 弁証法(synthese) | 出来事の時空間 文章の雰囲気 詳細の説明 | 書き手の体験 |
3)結論 | 主張を繰り返す | 問いへの答え 次の課題の明示 | ことわざ・教訓・詩の一節、神への感謝 | 体験後の感想・心構え |
アメリカのエッセイは、主張の論証という目的に向かって、主張を指示する3つの事実を述べ、それで裏支えし、さらに結論を繰り返すという構成です。
フランスのディセルタシオンで用いられているのは、弁証法です。ディセルタシオン(dissertation)は、博士号取得のために必要な学術論文のことです。研究者としての能力を示す重要な成果物で、数年にわたる独自の研究成果をまとめた包括的な論文となります。一般的に200-400ページほどの長さがあり、その分野における新しい知見や発見を詳細に論じます。ジンテーゼを目指すことで、二者択一からの自由を得ることを主体としています。
宗教観が厳格なイランにおいては、学校で教えられる技法術原理のレトリックにおいて、どのようなテーマを取り扱ったとしても最後には、格言や同じ機能を持つ、有名な詩の一節で結論づけることで「この世の中で受け入れられたゆるぎのない真理」へと到達する型が示されます。
さらに、日本の感想文という論法では、すり合わせを大切にします。ここで重視されるのは、共感されるか、どうかです。
日本の「感想文」は、「個人の体験」とその体験に関する「個人の感情」の記述から構成されており、体験を通した個人の成長を記すことが期待されている。
感想文を書くのは、その個人が「生き方」に照らして、体験を意味づけるという道徳観によるものです。
メタ認知をさらに超えて?
日本の感想文では、さらに期待されるのが、個人の体験や感情・生き方が社会の構成要員である他者と共有しうるかどうかということです。これを「共通感覚」と表現されます。
すなわち「間主観」の表現として提示することにある。
技法原理にみられるような明文化された普遍的・絶対的な倫理ではなく、共同体を成り立たせる親切や慈悲、譲り合いといった「利他」に結実するような「善意」が見え隠れします。
いかに道徳が形成されるかにおいて、それぞれの文化が背負うものは固有の文脈を感じることができます。
そして、同時に私たちは、その文化から一定程度距離を置くことができるのかもしれないと思います。
上述の4つの文化をメタ認知することで、自分の思考のパターンや文章のパターンを俯瞰してみることで、もしかしたら新しいパターンを創出する、すなわち新しい考え方を入手する試みが可能になるとも言えるからです。
いまは、AIが社会実装され始めて、理性的にさまざまな問いかけを投げてくれます。そのAIをパートナーに、上述のようなアプローチをひとつずつ検討してみることによって、自分を絶えず変えていくきっかけを得ることも可能なのではないかと思います。
朝日新聞による著者・渡邉雅子さんのインタビュー「各国の作文教育はどう違う? 米国は主張、仏は論理、日本は共感を重視」もぜひ合わせてご覧ください。
自分を変えるというテーマではこちらの1冊「【真の「成長」とは!?】トランジション ――人生の転機を活かすために|ウィリアム・ブリッジズ」もぜひご覧ください。
まとめ
- 子どもの説明こんなに違う?――文化での合意形成の手法により、表現が全く異なります。
- ロジックを俯瞰して比べてみると?――自分のクセに気付きます。
- メタ認知をさらに超えて?――AIとの対話を元に新しい自分の思考を手に入れましょう。