- よりよく生きていくために、どのようにヒントを得ることが良いでしょうか。
- 実は、大切なのはものごとの理解の仕方かも知れません。
- なぜなら、理解というフィルターによって、世界はいろいろな形や色に変化するからです。
- 本書は、ストア派を代表するマルクス・アウレリウス帝による生き方への示唆です。
- 本書を通じて、生きていくための軸を見出すヒントを数多くえられるでしょう。
ものごとは捉え方次第?
マルクス・アウレリウスは、紀元161年から180年まで在位したローマ皇帝であり、古代ローマを代表する賢帝として知られています。彼の『自省録』は、戦場や政務の合間に、自分自身への教えとして書き記された私的な思索集です。
ストア派哲学を基調としながら、人生の意味、死への向き合い方、他者との関係性など、普遍的なテーマについて深く考察しています。特徴的なのは、権力者でありながら、驕ることなく常に自己を戒め、謙虚に生きることを説いている点です。
『自省録』は、いまでも多くの人に読まれています。地位や世代を超えて読みつがれてきたといってよいでしょう。
本書には多くの魅力があります。
最大なものは、人間として直面する根源的な問題や、課題に対して、誠実に向き合おうとする心構えです。率直で、論理的で、そして、実践的な教えは、2000年の間、よりよく生きようと考える人のよりどころであるのです。
ものごとをどのように捉えるかで、人生や世界は大きく変わってくるといいます。
不幸になるかどうかは自分次第。
自分の意志(自由意志)に周りの人の意志は関係ありません。その人の身体が自分自身にとって関係の内容に、意志も独立しているものです。
私たちは、確かに縁を持って互いのために生まれてきたかも知れませんが、その中で人生をまっとうする時に、意志は自由であり続けることができます。
自分自身が幸福、あるいは、不幸になるかどうかについては、完全に自分次第なのです。
そして、ものごとをいかにとらえるかで、幸福や不幸のありかたも変わってきます。
なぜなら、心を乱す原因は自分にあるからです。いらだちや、不安は、向こう側から来るのではなく、自分自身の中から湧き上がることに注意してみましょう。
つまりは、ものごとや現象というのはそのままそこにあるだけで、私たちの心持ち次第であるということに、気づくことができるかどうかということになります。
不安には行動?
思い込みをストア派は、よしとしません。思い込みによって、不安や心配など、心の平穏が阻害されてしまうからです。
不適切な思い込みを消し去ることで、心穏やかな時間を取り戻すことができます。
その時に重要なのは、「行動」することです。
苦しんでいないで行動せよ。
自分の外に苦痛を感じているのであれば、思い切って行動して、真実を見極めたり、自分のものごとの見立てに客観的になってみることが大切です。
案外、人は思い込みの生き物なので、正体を見つめてみると、大したことなかったこともあります。
ずーっと億劫に思っていたタスクも、実際に取り掛かってしまえば、そんなに難しいことではなかったということも色んな人がすでに経験しているのではないでしょうか。
正しい信念のあり方とは?
自分自身の信念を見出すことが大切です。
そして、何よりも重視したいのは、その信念が、独りよがりではなく、社会とつながっているかどうか?ということです。
ミツバチの巣にとってよくないことは、ミツバチにとってもよくないことだ。
自分はなんのために、ものごとをよりよく見ようとしているのかについて、よく検討してみることが大切です。そのためには、自分の信念を見つめていくことが大切です。
そして、その信念の点検も重視してみましょう。なんのための信念かということです。
自分ひとりがよくなることではなく、世界はつながっているという感覚を大切にして、社会全体のためになることを自らの信念(パーパス)として立ち上げていくことが重要です。
他者のことを自然と考えてしまう生き物なのかも知れませんし、その自然な状態にあえて逆らわないようにしてみることもポイントです。
自分の道を真っ直ぐ見通しながら、そこに他者(他社)の存在をシンクロさせてものごとを見つめていく。事実を可能な限り論理的に捉えて、行動を決めていくこと、それを、『自省録』は繰り返し問いてくれます。
2000年読みつがれてきた、ストア派の教えについては、こちらの投稿「【ストイックは、生きやすい?】ストア派哲学入門 ──成功者が魅了される思考術|ライアン・ホリデイ」でもぜひ触れてみていただけると嬉しいです。
まとめ
- ものごとは捉え方次第?――捉え方によって、いろんな色に変わってしまいます。
- 不安には行動?――不安で足がすくむ時、あえて、行動してみると視野がかわります。
- 正しい信念のあり方とは?――独りよがりではなく、社会との接点を見出すことです。