- どうしたら難しい局面を乗り越えていくことができるでしょうか。
- 実は、大切なことは、“滅私(=エゴを抑えること)”かも知れません。
- なぜなら、エゴはあなたの邪魔ばかりをして、視野を曇らせるからです。
- 本書は、世界を素直に見つめるための視野を得るための1冊です。
- 本書を通じて、エゴをいかにおさえ、よりよい人生を拓くヒントを得ます。
エゴとは何か?
エゴというのは、自尊心や自信ととても近しいところにある言葉です。だからこそ、エゴについての良い側面を捉えることも可能でしょう。
エゴというものが、私地に実際より優れた人間であると錯覚させる声であるなら、それは真の成功を阻害するものだと言っていいだろう。
なにかものごとがうまく行かなくなった時に、人は「エゴが原因ではないか?」と問うことをしません。その代わり、他のなにか(時に人)のせいにします。
私たちは無意識に、エゴにしがみつきます。理由はエゴを持っていると、自分自身が安心できるからです。スポーツでも、芸術でも、ビジネスでも、偉大な仕事を成し遂げるような行程は、恐ろしく孤独なものです。
エゴがその恐怖をやわらげて、道をいくあなたの支えとなっていることが多いでしょう。
しかし、エゴは、安心を与えてくれさえするかも知れませんが、ほかに悪さもします。
例えば、エゴは自分が聞きたいことを、聞きたい時に聞かせてくれるものです。残念ながら、これは独りよがりの解釈であって、気休めにしか過ぎず、長い目でみると深刻な結果をもたらすことがほとんどです。
例えば人と人のコミュニケーションにおいて、こうした問題は顕著に現れるでしょう。一方的な解釈は、相手との心の対話を阻害して、いつまで経っても、よりよい意思疎通をすることができません。
本当に大切なのは、自分のエゴを客観的に把握して、それを制御することです。
理想的な態度は、次のようなものです。
- 夢を叶えるために“謙虚な”努力をする
- 成功しても傲慢にならない
- 失敗してもへこたれない
これらはエゴが強大であれば強大であるほど、難しいものになってしまいます。
エゴを取り除くと?
エゴを取り除いた先に何が見えるでしょうか?
それは、「現実」です。あるいは、「謙虚さ」とも言えるかも知れません。
私たちは、ありのままを、可能な限り曇のない目で見る時、そこにどうしようもないものごとを見ます。自分の力ではどうしようもないものに触れる時、人は態度を改めます。
謙虚な気持ちになって、そして、自分自身にできることは何かを、真剣に考えるようになります。その先に、努力、傲慢にならない態度、へこたれない姿勢が見出されていきます。
エゴを取り除けば、残るのは現実しかない。
エゴの代わりとなるものは、もちろん謙虚さである。
エゴがあると、自分自身という虚栄をなんとかキープしなくてはならないという発想に陥ってしまいます。
ありもしない自分を幻想で創り上げて、それをなんとか維持しようと(そもそもないものなので)、頑張るのですが、その頑張りが他者との不協和音や、自分自身の錯視を生みます。
例えば、それは嫉妬という形で現れるかも知れません。
程度の差こそあれ、人の背骨をだめにするのは、この嫉妬心です。他者との比較というのは、実際になにも生み出さないのに、人の気持ちに大きな波風を立てます。
残念ながら、それは、自分という虚像との対比でしかなく、しかも比べたところで、比較を是正するために何かコントロールすることもできず、墓穴を掘ります。
仮に成功したとしても、嫉妬があれば、自分の成功は取るに足らないものとして、無謀なサイクルを続けてしまうことになってしまうでしょう。
本当に幸福なのは、「心が穏やかであること」であるはずです。確かに時に、人は頑張ったり、気持ちに波風を立てながら、ふんばったりも必要かもしれません。でも、本当に心が求めていることは安心であり、信頼の気持ちで包まれ、他者に対して愛を感じている瞬間のはずです。
よりよい状態でそうした思いを抱くためには、エゴという虚像を捨てて、素直な自分に立ち返ることが欠かせません。
素直な自分をどうやったら目指すことができるでしょう?例えば、次のようなスタンスを大切にすることです。
- 自分のイメージにこだわらない
- 目下の人であれ目上の人であれ軽蔑しない
- 一流ぶった暮らしやスターのような扱いを求めない
- 怒ったり、けんかしたり、得意になったり、演技をしたり、威張ったり、他人を見下したり、自分の素晴らしさに酔ったり、自画自賛したりしない
ギリシア哲学のストア派を代表する賢人セネカは次のような言葉を残しました。
死を恐れる者は、生者の名に値することを何もしない。
つまり「何かにつけ失敗を避けたがる者は、失敗の名に値することをほとんど何もしない」のです。
常に心の掃除を?
では、本当に恐れるべきことは一体何でしょうか。
それは、「自分の原則」を捨ててしまうことです。
重要なことは、目に見えません。だから、大切なことは忘れられがちになります。そして、気づけば同じように目の見えないエゴという虚像にすり替わっていることさえあるということです。
自分がどういう人間で、何を目指し、そのために、他者とどのような関係を築いていきたいと思っているのか?自問自答を繰り返していく習慣を身につけることが何よりも大切でしょう。
エゴはホコリのように積み重なってくるものです。きれいな部屋を維持して、平穏を得るためには、掃除が欠かせないように、自分自身という人格がどのようなものであるのかを、日頃から意識的に考えるようにしてみるのが善いでしょう。
この論点については、こちらの1冊「【掃除とは、日常の修行である!?】人生を好転させる掃除道|枡野俊明」もぜひご覧下さい。
分かりきったことなのに忘れられがちなのは、こうした人格を磨き上げることで、プロフェッショナルとしての成功もつかめるということだ。
逆効果になることはまずないでしょう。
普段から努力をして、偏った考え方を改めて、自滅的な衝動を抑えることは、より正しく道をいくための王道であり、唯一の道なのではないでしょうか。
そして、その道は道徳的な条件というだけではなく、おそらく成功への道にも同時につながっていくのかも知れません。
まとめ
- エゴとは何か?――勝手に作られて自分を苦しめる自分自身の虚像です。
- エゴを取り除くと?――そこにはありのままの現実が見えてきます。
- 常に心の掃除を?――自分の心にホコリが積もらないようにしましょう。