- 人はいかに生きるべきでしょうか。
- 実は、自らの世界の捉え方を調整し続けることが大切かも知れません。
- なぜなら、世界は捉え方次第で、いかようにもなるからです。
- 本書は、ギリシア哲学・ストア派が残した人生の手引書です。
- 本書を通じて、世界の見立てを手に入れることができます。

ストア派とは?
ストア派は紀元前300年頃、キプロス島出身のゼノンによって創始された哲学学派です。名称の由来は、ゼノンが講義を行った「ストア・ポイキレ(彩色柱廊)」という建物からきています。
ストア派の核心的な教えは、「人間は理性によって自然の摂理を理解し、それに従って生きるべきである」というものです。彼らは、世界は完全な理性(ロゴス)によって支配されており、人間の幸福は外的な環境や快楽にではなく、この理性的な秩序を受け入れ、それに従って生きることにあると考えました。
特に重視されたのが感情のコントロールです。ストア派は、怒り、恐れ、欲望といった感情に振り回されないよう、理性的な判断力を養うことを説きました。また、自分でコントロールできないことに執着せず、自分の内面の平静さを保つことを重視しました。
代表的な思想家には、奴隷から身を起こしたエピクテトス、政治家のセネカ、そしてローマ皇帝のマルクス・アウレリウスがいます。彼らの著作は現代でも多くの人々に読まれ、自己啓発やメンタルヘルスの分野にも大きな影響を与えています。
このような実践的な生き方の哲学としての特徴が、現代社会においてもストア派が注目される理由となっています。
こうしたストア派の実践理論を支えていたのが手引書でした。本書からそのエッセンスを学ぶことができます。
ストア派は、人間の力の限界を認識することに長けていました。だから、無理しない。頑張る領域をしっかりと設定しました。
自分でコントロールできること、そうでないことをはっきりと分けることからスタートします。
自分でコントロールできることは、意見、目的、欲望、嫌悪感などです。一方で、自分でコントロールできないことは、身体や財産、名声、地位などです。コントロールできないことは、自分以外に関することであると言われています。
ここで、自分の身体は自分のものでないのか?とツッコミを入れたくなりますが、実はストア派は、「借り物」という考え方もします。身体は、実は借り物です。借り物である以上、ああだ、こうだと、思い悩んでも仕方がないということになります。
自分でコントロールできないことについては、自分とは無関係です。なぜなら、世界の偶発性に左右されるからです。
そんな中にあって私たちはどうしたらいいのか?
それは、自分がコントロールできることにのみ集中して、素直に生きていくことが最も心の平穏をもたらしてくれます。
自分の思い通りにはならないものを、あたかも自分の自由んいなるかのように考えてしまったり、他人のものを自分のものだと勝手に思い込んでしまったりすると、物事がうまくいかなくなります。
自分のものは、自分のものとして、他人のもとは、他人のものとしてありのままに見ることができれば、誰にも強制されることはなく、制限されることもないのです。
大いなるなにかからの借り物?
それでも、やはり長い人生の中ではいろいろなことがあります。「いやだなぁ」とか「これは逆境だ」と捉えてしまうような出来事に出会うこともあるでしょう。
しかし、そんなときこそ、次のような心構えで臨んでみることが大切です。
嫌なことが起きたら、すぐこう自分に言い聞かせましょう。「これは単なる一時的なことで、本当に重要なことではない」と。
自分にできることに集中して、嫌なことを避けるようにしてみましょう。
人の死についてもそうです。人は、いつか必ず死にます。しかし現代では、まるで死が訪れないかのように私たちに先入観を与え続けています。
でも、死は誰にもやって来るし、想像以上に身近なものです。
だから、もし、子どもや妻(夫)を抱きしめるのであれば、あなたは「死ぬことが運命づけられた人」を抱きしめているのだと自覚してみることです。
生きるありがたみや、そして、死ぬ悲しみから乗り越え得る思想を得ることができるかも知れません。自分のできる範囲のことにフォーカスして、そして、準備をすることです。
逆境というのは、準備不足の中に起きる出来事だからこそ、逆境になります。それが準備をしっかりとできていれば、逆境と捉えられにくいはずです。
人は、物事そのものではなく、物事の捉え方によって悩むのです。ですから、死は何も恐ろしいものではありません。
幸福も、不幸も、実は自分自身のせいです。「他人によってもたらされるものではない」という認識を持ちましょう。十分に学んだ人は、他人や自分のせいにすることをしません。
上述の通り身体は、借り物だという話がありました。他者を失ったときにも、失ったと捉えるのではなく、「返した」と認識するほうが自然です。
それを与えてくれた大きな何かのもとに返されたのだと捉えるならば、与えられている間は、互いにそこにあることに感謝し、しかし、あくまで借り物だというスタンスを崩さず関係性を見出すことです。

感情は自分のせい?
悲しみや苦しみというのは、自分自身のせいで起こっています。
なぜなら、例えば、他人があなたが目の前にしている出来事を通じて、同じように悲しみや苦しみを得るかというと、そうとは限らないからです。自分を悲しませたり、苦しませたりしているのは、実は自分自身であるということを認識することができれば、ものごとに対して冷静に対応していくことが可能になります。
必要があれば、他者とともにあり、ともに嘆いてあげることはできます。しかし、残念ながら、心までともに嘆き悲しむことは、だれにとっても不可能であり、それを求めることあるいは、求められることは、新しい苦しみのもとであるということを知りましょう。
自分がコントロールできることに集中できている人は、「他人の評価」に振り回されたり、惑わされたりしません。自分がやるべきことを目的に従って淡々とすることができます。そうした習慣が、自分の人生をよりよく拓いていく可能性を担保します。しかし、あくまで可能性です。「結果」も自分では操作することができないので、それに固執することは苦しみにつながってしまいます。
自分の心を大切にし、他人の言葉に振り回されないようにして下さい。
自分が何かをするべきだと明確に判断をしたのならば、たとえ世間の人にそれが誤解されるかも知れなくても、人にみられることを恐れてはいけません。
かといって、「正しくない行動」をしているのであれば、そのこと自体を避けるべきです。
善なることを定めて、自分の活動を進めていきましょう。正しい行動をしているのであれば、たとえ非難されたとしても、それを恐れる必要はないということです。
一人ひとりが、こうしたストア派の考え方に則りながら、自分でできることを意識下にあることを積極的に積み重ねていきましょう。自分にコントロールできることは想像以上に多くあります。なぜなら「世界をどう捉えるか」自体は自分自身に委ねられているからです。
ストア派については、こちらの投稿「【2000年前に分かっていた人生の秘密?】心穏やかに生きる哲学|ブリジッド・ディレイニー,鶴見紀子」や「【合理性を突き詰めよ?】ストイック・チャレンジ:逆境を「最高の喜び」に変える心の技法|ウィリアム・アーヴァイン」もぜひご覧ください。
まとめ
- ストア派とは?――理性を重視し、自然の摂理に従って生きることで、平穏を目指します。
- 大いなるなにかからの借り物?――身体や他者は借り物だから、固執してはなりません。
- 感情は自分のせい?――感情を生み出すのは、自分です。
