- どうしたら心穏やかな、暮らしをすることができるでしょうか。
- 実は、2000年も前にそれは答えが出ているかも知れません。
- なぜなら、哲学のいち学派である、ストア派はこうした問題にすでに取り組んでいたからです。
- 本書は、人生を考える普遍的な1冊です。
- 本書を通じて、人類が生まれてから取り組んでいるどうしたらよりよくものごとを解釈できるか、について、よりよいアングルを提供してくれます。

ストア派の教えとは?
ストア派の教えは、次の5つに集約されます。
1.人生で起きることの大半は、自分にはコントロールできないこととして認識します。
2.世界をどのように捉えるか次第で、自分の感情も変わってきます。
3.悪いことは時に起きるべくして起こり、誰にでも同じようにあるものです。
4.自分を、切り離された個人ではなく、大きな全体の一部として捉えることです。
5.自分が持っているものはすべて、ただ借りているだけと認識し、いつか返す日が来るもんだと考えます。
このような5つの方針を運用するのは、ストア派が、「心を穏やかに過ごす」ことをひとつの目標としていたからです。これを「不動心(アタラクシア;ギリシャ語で「心を乱すにいる」の意味)」という言葉で表現しました。「不動心」を維持することは、人生の時間を無駄遣いしないことに繋がります。
心が平穏であるということは、幸せでも喜びでもなく、宗教的あるいは神秘的体験で見出される没我の状態でもなく、誰かに恋をしたり飲酒してハイになっている状態でもなく、心に波が立っておらずに凪(なぎ)が訪れている状態です。
こうした状態を維持することは、取り乱すことなく、いつでも落ち着いて、そして、何が大切なのかが分かっているので、自分自身やその周りの状況をそのまま受け入れられている状態と捉えることができます。
ストア派は、2000年にもまえに、こうした人が根本的に悩むこと、そしてそれに対する処方箋を、人類社会に対する透徹したまなざしのもと、見極めていたのです。
常に現実的ですが、決して皮肉めいたところはありません。空から降りてきて救ってくれる神はいないし、死後の世界もありません。私たちにあるのは自分自身とお互いだけで、みな欠点がありますが、それで十分なのです。
互いに支え合うしかないからこそ、ストア派はある種の試練に立ち向かっていくこと、そして、その状況を迎えて最善を尽くし、合理的に対処し、徳を積むことを心がけよ、と説きます。
限界を知ることが大事?
ストア派は、合理的で、現実的なものごとの見方を徹底します。特に、ものごとについて、自分がコントロールできるものにフォーカスすることより、自分をすり減らさない方法はないといいます。
例えば、他人を変えたいと思うことは良くないことだと忠告します。時に、相手を説得して自分の望むように行動させたり振る舞わせたりしたいかも知れないけれど、それは結局のところ、自分の手に負えることではありません。
だから、他者を変えようとして自分のエネルギーをすり減らしてはならないのです。
「限界」に対して、非常に現実的な眼差しを持っていると言っていいでしょう。
限界の一つに「死」があるでしょう。
本当の秘密とは、私たちが死ぬことではなく、死が存在しないかのように装う文化の中で生きているということなのです。
ストア派の人たちは、「死」はあたりまえに訪れるものだと日常的に感じて生きていました。自分は必ず死ぬ、人生が短く、自分も他者も死ぬ定めにあると認識するのは、ストア哲学の根本原理です。
悲しみや突然の喪失感がもたらす混乱、あるいは、自分自身の死の定めを悟って生じる混乱を軽くしてくれます。
ストア派にとって、上手に死を迎えることは良く生きることと密接につながっていました。
私たちは、必ず死ぬ存在だから、1秒たりとも無駄にしてはならないのです。
そして、死は避け得られないものだと日頃から意識していることで、人生の終わりを迎えるときだって、永遠に生きているかのように振る舞う人が後悔や絶望を感じてしまうこととは一線を画する、無援状態で心の平穏を維持することができるのです。
今日誰かと一緒に過ごしているのが、相手にとって(あるいはもしかしたら自分にとって)、この世での最後の1日なのだと考えるのです。
近頃になって、「ストイック」の意味が、本来の意味が転じられて、「自分の感情を封じ込みて決して泣かない人々を指す」のに使われているようです。もともとのストア派の人々はそうではなく、人生を楽しみ、他者を愛し、共同体の一員として、その人生を懸命に全うしようとする人たちでした。
彼らは喜びを大きくし、そのかわり否定的な感情はできるだけ小さくすることを望みました。
今あらためて、当時の「ストイック」なスタンスが求められているのではないでしょうか。
変化する時代の中で、生き方や人生の捉え方が変わってきたようにも思いますが。しかし、人間の生き様というのはそうそう変わるものではありません。
社会の中で、その関係性をどうとらえて、自分の身のこなしをどう創り上げていくのか、その結果他者とどういう関係を再構築していくのか、そうした考えに太い合理的な軸を通すことをストア派の考え方は支援してくれます。

何に集中すべきか?
ストア派は、一生懸命に働くことは大切だが、仕事は人生のほんの一部に過ぎないと革新していました。
むしろ彼らの教えは、「時間の使い方」に軸足がありました。時間と使い方が社会的地位や給料の高さよりも遥かに重要であることに気づいていたのです。
自分自身で時間をいかに使っていくかを決めていくこと、自分の時間は自分がコントロールできる資源のはずです。他者に委ねてはいけません。
本書の著者ブリジッド・ディレイニーさんは、ストア派が唱えるコントロールできるものごとについて、次の3つにフォーカスできるといいます。
- 自分の品性
- 他者への対応
- 自分の行動と反応
まず最初に、自分がコントロールできることを知ることは、とても大切です。なぜなら、自分の貴重な時間やエネルギーを何に投じるかを知ることができるからです。
コントロールできることは想像以上に少ない
周囲の環境やものごとについてもしかしたら、自分自身はコントロールできないことかも知れません。でもコントロールできるものがあるとすれば、その変化に対して「どう対応するか」ということになるかもしれません。
ストア派は、「自分でコントロールできないことがたくさんあるから努力するのをやーめた!」という教えはありません。自分がコントロールできるものに集中して最善を尽くすことを推奨します。そして、その結果はコントロール外であることを認めるのです。
コントロールできないものごとには、「健康」「富」「名声」などもあげられているのは、印象的です。
だからといって、不摂生が肯定されるわけではないし、仕事において努力をしないことが認められるわけではないということに注意が必要でしょう。
平穏の心を保つ発想については、禅の思想にふれるところがあると思います。また、死生観やいまここに集中すること、心を込めて最善を尽くすこと、しかし、執着しないことなど、共通点も多くあります。
禅については、こちらの1冊「【無目的に邁進する!?】禅「心の大そうじ」―――一瞬一瞬を大事にする「幸せな生き方」|枡野俊明」もぜひご覧ください。

幸福さえもつかぬ間の感情に過ぎないのかも知れません。幸福を感じ続けることは大切かも知れませんが、幸福が少しアップテンポな状態であれば、それを維持するのには、やはり無理がつきまといます。むしろ、プラスもマイナスもない、平穏な状態とはなにか?について、考え続けてみることにヒントがあるようにも思いました。
本書の著者のストア派の思想の紹介は非常にロジカルで、明晰です。
また、本書の訳者・鶴見紀子さんの言葉運びは、まるで著者が日本語話者と勘違いしてしまうような、雰囲気をまといます。(私はなんども、和書を読んでいるものだと、勘違いしました)そういった観点からもおすすめな1冊に出会うことができました。
まとめ
- ストア派の教えとは?――5つの視点を知り、実践してみましょう。
- 限界を知ることが大事?――コントロールできることを知るからこそ、最善が尽くせます。
- 何に集中すべきか?――自分の品性、他者への対応、自分の行動と反応です。
