- 資本主義の本当の厳しさは、どこにあるでしょうか?
- 実は、格差が広がることではないかも。
- なぜなら、格差は流動的である一方、むしろ消費者(労働者)による資本家の監視のほうがむしろ厳しいものがあるからです。
- 本書は、資本主義(自由経済)のネガティブなイメージをファクトを持って払拭してくれる1冊です。
- 本書を通じて、あたりまえを改めて捉えて見ることの機会を得ることができます。
1800年の祖先を思う?
前回の投稿「【私たちを豊かにするもの?】資本主義が人類最高の発明である|ヨハン・ノルベリ」において、資本主義をステレオタイプのイメージ先行で捉えず、ファクトベースで捉えていくと、案外いいところもたくさんあるじゃないか!という論点で本書『資本主義が人類最高の発明である:グローバル化と自由市場が私たちを救う理由』をご紹介してきました。
別の角度から、資本主義によってもたらされた恩恵を探してみましょう。特に自由経済の中で、私たちは、協力をしあいながら新しいイノベーションを通じて社会を豊かにしてきました。
200年前のご先祖様が、今の生活をみたらどんな点に驚くでしょうか?
1800年に暮らしていた人がまず気づくのは、自分や家族の食べ物を心配しなくていいことだと思います。雑穀類のほかに潤沢なお米や副菜、肉や魚以外にも、世界中からの新鮮な食べ物にあることに気づきます。そして栓を回すだけで安全な飲料水がえられるのにもおそらく驚愕します。自分で水を汲みにいかなくてよいのですから。
シャワーやお風呂では、お湯も出ます。そして一家の糞尿をずっと遠くの安全な場所に送り出してしまうこともできます。ボタン一つで。
家族で年を重ねている人も多くあり、自分の歯でたくさんの食べ物や飲み物を楽しむことができるようだし、身体が不調になれば、便利な薬を飲めます。
未知のコロナウイルスが世界を襲ったら、1年以内にワクチンを用意できるし、子どもは大人になることを約束され、非常に生存率が高いのです。
快適な服をたくさん持っているし、それを着た後は、でっかい箱に押し込みボタン一つでなぜかきれいになります。真夜中ですら壁の適切な場所を押すだけで、部屋のあらゆる部屋が明るくなるのです。
思ったことを小さな「板」に打ち込むだけで、ほぼ完全な画像を得ることができます。そして、その「板」を使うと地球の反対側からの動く映像もみられるし、それもリアルタイムで可能なのです。
家に楽団を抱えていなくても、好きな時にいつでも世界中の傑作が聴けるし、その装置は、芝生の雑草を処理するやり方から世界最高の大金持ちはだれかまで、およそ思いつくどんな質問にも答えられるようです。
そう、これは現代の誰もが手に入れている暮らしであり、そして1800年には夢にも思わなかった、夢とも言えない、人類に想像し得ない暮らしなのです。
かつての贅沢品が庶民の手に届くものになったのは誰のおかげ?
人は循環している?
こうした暮らしは、事実先進国であれば、多くの人が享受できているもので、毎年そこに参加する世界人口は増加し続けています。
最も重よな財、サービス、アメニティはいまや人類史上の他のどんな時点と比べてもずっと平等に分配されているのです。
貧富はますます拡大するというトーマス・ピケティさんの論点について、本書の著者ヨハン・ノルベリさんは、次のように批判的な視線を向けます。
ピケティによれば「不当に得られた利得や正当化されない富のあらゆる場合を法廷が解決することはできない」ので、「この問題に対処する、それほど乱暴ではなく系統的な道具として」税制がいいのだ、と述べる。
これはまったくバカげている。実業が社会に貢献している部分を完全に無視しているし、強奪されていると思うなら、警察を呼ぶのではなく高い税率を求めろという信念もおかしい。彼の立場は、自分の象牙の塔に安住しつつ、下々の世界のガレージや店舗や工場のことなど胸を張って無視し、それが歴史的に最も豊かな社会に自分が暮らしているという事実とどう関係しているか考えもしないという、フランス知識人の戯画化そのものだ。ヨハン・ノルベリ. 資本主義が人類最高の発明である:グローバル化と自由市場が私たちを救う理由 (Japanese Edition) (p. 152). 株式会社ニューズピックス. Kindle Edition.
しかし、『フォーブス』誌の億万長者の一覧を見ると、ある水準を超えたら相続財産は「きわめて高い率で増える」ように見えるとトーマス・ピケティさんは語るのですが、1982年の『フォーブス』誌の億万長者400人の一覧を見ると、その相続人の内2014年に残っているのは、たった69人だそうです。
その一覧から脱落したほかの327人をみて見ると、その平均的な富の増加は、2.4%に過ぎないということです。
これは、同時期に、パッシブ型のアメリカ株インデックスランドに同期間にわたりお金を預けておけばえられた金額の3分の1でしかないそうです。
実際には、このように格差というのは非常に流動的で、上位の層に一極集中することは難しいし、一方で貧困層がその番いとどまることも、自由市場の中では難しく、より豊かさを享受できる動きがいまだ活発に行われているのです。
いかにファクトを見つめることの大切さや、足元の暮らしぶりの豊かさやあたりまえに享受できている幸せを感じることの重要性について、本書はさまざまな角度で説明してくれているようです。
資本家に厳しい資本主義?
資本主義は、ただ単に恩恵を与えてくれるわけではなく、一定の厳しさも持ちます。
では、誰に厳しいのか?
実は、「資本家」にとって、資本主義というのは、非常に厳しいルールに基づいたシステムだということが言えるかも知れません。消費者や労働者ではないのです。なぜなら、「結果を出さない資本家」は流動的な状況の中で、すぐに厳しい立場に置かれかねないからです。
それは、事業の側面でも言えるかも知れないし、相続という中長期の視点でも言えることかも知れません。
資本主義は「消費者が資本家を監督する手段」
自由競争と消費者の選択の中で、システムが機能しています。価格はその際のインデックスというイメージでしょうか。
また、独立司法システムと自由なメディアによる適切な管理と、監視も欠かせません。
このように、資本家とは消費者、司法、メディア等あらゆる角度から、厳しく監視されている主体であるという見方をしてみることも、資本主義の本質を捉えるためには非常に有効です。
では、資本家が嘘をつかせる圧力もあるのでは?と思われますが、残念ながら、嘘も見抜かれるようにさまざまな仕組みが用意されています。企業に圧力をかけて、嘘をつかせてみたとしても、バレて信用が失墜するだけで、長い目で見れば、非常にインセンティブは低いものになります。
資本家やそれをバックに動く企業は、さまざまなトライアルをします。より便利な方法や、簡単な方法、あるいは、より優れた製品を世の中に送り出すために試行錯誤をします。
当然、失敗も起こり得るでしょう。しかし、そうした努力のインセンティブが働いているうちは、数ある企業や人の中で、成功する人も出てきます。
そして、私たちが構築している社会は、その発明やイノベーションを一人が独占するのではなく、みなで享受することを志向せさせます。
新製品や新サービスで成功するのは、その企業が大きいからではない――マーケティングに何百万ドルかけても、ちょっとダメな製品を発表したら、全方位的にバカにされる。反対に、彼らがここまで大きくなったのは他の代替物よりも優れた製品やサービスをたくさん出して感謝されたからだ。
偉大なブレークスルーは、決して政府の計画や孤高の天才から生じるものではなく、「賑やかな知的エコシステム」から生まれるのです。
異なる分野や活動の間で絶え間ない相互影響が生じなければならないということは、すでに感じていただいているとおりです。
そして、それを誰かが独占しようとしている、富は一極集中しているという前提で、ものごとの部分的な面しか見るのではなく、ファクトを通じて、本質的な側面を捉えていくことが、自らがこの社会で生きていくときの羅針盤の精度を高めてくれるのです。
経済的事由と主観的な幸福との間には強い相関がある。
そして、ほとんどの人の期待とは反対に、低所得者ほどにその関係が強いのです。
事実は、イメージと異なるのですね。
私たちは、なぜにもそのようにイメージを優先してものごとをみているのでしょうか。
また、真実の側面として認識しておきたいのは、必ずしも頑張れば必ず報われるかと言うと、そうではないのがシステムであるということです。市場は価値観、才能、努力に報いてくれるわけではなく、唯一、「できるだけ少ない費用で他人のために価値をつくると報いてくれる」だけなのです。
「どんな人でも、他人の生活をずっと良くすること」はできるし、その過程で、報われる可能性があるのです。
私に言わせれば、この自発的関係に対するこだわりこそが、自由市場を他のあらゆる仕組みに比べて道徳的に優れたものにしている。そしてそれこそが、富を生産するその驚異的な能力の背後にあるのものだ。
これらがあらゆる人に、他人のために価値を作り出す新たな方法を見つけ出そうと絶えず試してみる強力な動機を与えてくれるのです。
まとめ
- 1800年の祖先を思う?――今の私たちの暮らしぶりは、夢にも思わなかった暮らしであり、これを普及させたのは、自由市場によるところが大きいです。
- 人は循環している?――富は集中するどころか、激しく循環しているはずです。
- 資本家に厳しい資本主義?――常に、消費者によって監視されるシステムです。