【問いは、あらゆる情報を編集する?】問いの編集力 思考の「はじまり」を探究する|安藤昭子

問いの編集力 思考の「はじまり」を探究する
  • 考えるということの解像度を上げると何に行き着くでしょうか。
  • 実は、問いかも知れません。
  • なぜなら、問いというのは、内面の了解と外側の世界のギャップから生じるものだからです。
  • 本書は、問いを情報の編集としてとらえ、考えるの解像度を上げる1冊です。
  • 本書を通じて、考えるということ、問いを持つことはどういうことかのヒントを得られます。

問いは編集である?

問いを持つことは、自分の肌を使って感じ、頭を使って考え、次の問いを見つけるヒントを紡ぐような行為です。まさに、自分で考えてみることは、問いとともにあると言っていいでしょう。

問いというのは、自分の中で了解していたことと、外の世界とにギャップを認識することで生まれます。これまで自分が信じてきたことや当たり前だと思っていたことが、実は違うかも知れない、そもそもそれは存在するのか?なんであるのか?などの根本的な部分を突き詰めていく行為が問うにつながっていきます。

そして、その問うという行為を支えるのは、情報を編集するということであると、本書の著者・安藤昭子さんは言います。

私たちは常にありとあらゆる「情報」に囲まれていて、日々それらを「編集」しながら生きている。

情報とは、デジタルデータのようなIT的な情報のことではなく、スマホに届くようなニュース、毎日の記文、あるいは信号が変わるタイミング、人々の服装、季節の匂いから、家族のふとした表情などを含む、世界の状態を伝える情報という広い意味の概念です。

こうした、情報を日々受け取り、それを組み合わせて、編集していく行為を私たちは繰り返しながら、毎日を生きています。

内発する問いは、目的だけに向かう一直線の道にはなかなか生み出されません。本質的で、根源的な問いであればあるほど、私たちは、さまざまな景色を見ながら、道をいき、それは必ずしも真っ直ぐな一本道ではないのです。試行錯誤をしながら、繰り返し問いかけていく中で、考えを常に深めていく行為です。

こうした取り組みを続けていくと、自分自身を縛り付けている常識や当たり前を疑ってみることにつながっていきます。

「私」の想像力や可能性を縛りつけている敵の正体は、往々にして「私」だったりする。

自分自身を、自分から自由にするために、問いは機能します。

経験を積み重ねること?

人という存在は不思議で、細胞が入れ替わったとしても、記憶というのは保持されます。そして、そのなぜだか保持されている繊細で、微細な記憶の集積から、私たちは想像をする力を与えられます。

生きた思考、生きた想像力を保つためには、何の役に立つかわからないようなイマジネーションの断片が、常に頭の中を駆け巡っている状態を作ることが大切で、それは、日々の繊細な情報にちょっとしたアンテナを立てて収集することからなされるのかも知れません。

「私」は時々刻々とまわりの「世界」に出会っている。

自分自身の常識や当たり前を俯瞰してくと、まず自分自身から自由になる感覚を得ることができます。どうしてそんなことでくよくよしていたのだろう、どうしてそんなにも悩んでいたのだろうということを抜本的に見直すことができるかも知れないし、あるいは、自分がついつい気にしてしまうものごとの見方について俯瞰的に気づくことができるようになるかも知れません。

内面の自由度を担保されると、今度は、人というのは外の世界に視線が向かいます。私と外の世界が接する面には、絶えず情報が押し寄せています。そうした情報をかき分けながら、私たちはそれを受け取ったり、流したり、あるいは、感じなかったりしながら、問いのヒントを編集しています。

絶えず変化する境界面から情報をすくい取り、そして自分の考えるヒントにしていく問いを進めるために、積極的に境界面にゆらぎをもたらす行動が必要になります。

「問う」ということはつまり、「いつもの私」の中にはないものに出会うこと、その未知との遭遇の驚きを自分に向けて表明することだと言っていい。

新しい経験や出会いを通じて、私たちは問いのための断片を集めていきます。

身を任せるのは?

出会いに対して驚きをもって接することが、問いを始めるきっかけになります。

「誰にとってもそこにあるぺんぺん草」を、自分にとっての「驚き≒違和感≒異質性≒偶然性」にできるかどうか。

驚きから始まる情報の収集と捉え方が始まると、「偶然性」というのは、「必然性」に変わっていきます。そうしたことがらを集めていき、情熱をもって接していくことで「運命」にさえなっていくことかもしれません。

本来は、そうした感受性のようなものに基づく情報収集と編集から、一人ひとりの解像度の高い自分が作られていく過程がありました。しかし、そうした自分をつくる原動力となる注意や関心というのが、情報化社会の中で、「最適化」や「予測」などをもとにして、商品化される中で、一人ひとりから奪われてしまっている状況が現代であるとも言えます。

AI、アルゴリズム、デジタルネットワークの利便性も享受しながら、それらはあくまでツールであるということを理解しながら、自分自身で問いを持ちながら、自分の主体性を持って情報に向き合い編集を進めていくことも大切にしてみましょう。

主体性を見出すためにも、大切なのが積極的に情報をとらえていく姿勢です。それを養わせていくのが本です。本の情報はまず積極的にページをめくり、文字を追う必要があり、さらに、著者と対話しながら異なる視点について、考えていくことが求められていきます。

著者の言うことを鵜呑みにすることをしなくてよいということを意識しながら、自分が世界を知る感覚をさらに研ぎ澄ませていくためのツールとして本と向き合っていくことが大切なのかも知れません。

問いや、本については、こちらの投稿「【行動が、問いを生む!?】問う方法・考える方法 ――「探究型の学習」のために|河野哲也」やこちら「【読書とは、投資である!?】レバレッジ・リーディング|本田直之」もぜひご覧ください。

まとめ

  • 問いは編集である?――広い意味での情報を蓄積して考えることです。
  • 経験を積み重ねること?――それが感性を磨き、問い続ける習慣となります。
  • 身を任せるのは?――アルゴリズムではなく、自分の感性と積極性を大切に。
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