- どうしたらそもそもを上手に疑って、考える学びを続けていくことができるでしょうか。
- 実は、私たちが信じている「何か」は、仮説でしかないかも知れません。
- なぜなら、人は、自ら何を信じるのかを絶え間なく考え続けてきたからです。
- 本書は、100の哲学的仮説を通して思考をアップデートする1冊です。
- 本書を通じて、これまでの哲学的仮説から、何かを信じることについて見つめてみることができます。
思考のOSをアップデートする?
哲学的な思考とは、哲学者だけのものではありません。私たちが、日常生活の中で、違和感やモヤモヤなどについて、触れ続けていくことだって、立派な哲学的な思考です。
例えば、「人生は自分に対して何を期待しているのか?」「幸せとはなんだろうか?」「どうしたら、すべてのステークホルダーが幸せを感じられる企業を創り上げていくことができるだろうか」などなど。そうした、問いはすべて、根本を捉えていく、問いの連鎖を生み出していきます。
そして、同時に、いかに私たちが、例えば、人生とか、幸福とか、パーパスとか、そうしたものの概念について誰かの前提条件をそのまま採用して生きていることを知ります。
私たちが知っていることは、本当にごく一部です。世界の認識についても、自分の認知を超えることはないし、人のそれとも異なります。また、言葉を通じて考えることから、言葉の定義によっても、思考の内容は異なってくることになります。
私たちが信じている何かは、本当にあるのでしょうか?私たちが明確にある!と信じている社会とか、会社とか、社会通念とか、そうした概念そのものは、もしかしたら、長い人類の歴史の中でとらえてみると、いまこの瞬間の定義でしかないかも知れません。
わたしたちはとりええず何か一つの俗な仮説を信じながら、平気な顔を装って生きている。
自分の人生について、あるいは、自分が所属する集団やチームについて、さまざまな問題を解決していくための視点は、既存のものではないかも知れません。新しい見立てを検討してみることが大切なのかも知れません。
私は、広告会社の従業員として得意先企業やそこで展開されている商品、サービスなどの良いところをどうしたらステークホルダーの方に魅力として受け取っていただけるのかを、いつも考えています。そして、そうした仕事の過程において、いつもものごとというのは多面的だということを意識します。どのような比較を持つか、どのような瞬間を切り取るか、どのような機能の組み合わせに焦点をあてるか、あるいは、どのような人に対して魅力を検討するか、など、さまざまな変数によって、そのものごとは色を変えます。
私たちが生きている世界の前提を疑ってみることで、もしかして、私たちが困難だ!と思っていることも、突破口や対話の入口が見えてくるかも知れません。人間というのは、認識の世界を生きているに過ぎないのですから、その認識さえ変えてしまえば、色とりどりの可能性を見出すこともできそうです。
本書を通じて、さまざまな哲学的な「仮説」にふれることで、自分が信じているものごとの内容を知り、これについて再検討をすることができそうです。
自己と他者の関係に意識を?
独立した唯一の自己という考え方が幸福を遠ざける
これは、イギリスの哲学者であるバートランド・ラッセルによる言葉です。
自分自身にこだわりすぎてしまうと、自分は誰の助けも必要としないほどに完全に独立しているという考え方に陥りやすくなります。また、それを目指すため、他者との関係性を途絶させるし、自分に過剰に期待せざるを得なくなってしまうので、苦しい思いをすることになります。一定の負荷は成長のためには大切かも知れませんが、自分自身が完璧でなければならないという発想は、思考をスタックさせます。
本当に幸福を感じられる人たちは、自分という存在をどのように見ているか、という視点を検討してみることです。
自分に対する関心は当然持っているのは大切なことですが、自分自身を外部から切り離して、能力的に独立しているものとしてではなく、他者との関わりの中で、自分という存在の特性が引き出されている存在だと認識したほうが、生きやすくなります。
自分の熱意を傾ける対象を自己の外に持っています。
なにかに熱意を注ぐことは、自分を忘れることにつながっていきます。そうした忘我のときにこそ、実は幸福というのは感じられやすいのかもしれません。人やあるいは自分が打ち込めるなにかのために、自分の意識を外部に一度向けてみる。そのことで、自分という存在がかえって明確に形作られてくるということもありそうです。
現代人は幸福から遠ざかっている
このように言ったのは、ポーランド生まれの社会学者ジグムント・バウマンです。なぜ、幸福から遠ざかっていのか?それは、「リキッド・モダニティ」の社会になってしまっていることが原因であるといいます。
リキッド・モダニティとは、「液状化した近代社会」という意味で、1980年まではソリッド(固体化)していたものが、現代は、液状化しているという比喩にあらわしています。何が液状化しているのか?それは、経済、社会の構造、伝統、秩序、道徳的価値、個と集団との絆、個人のアイデンティティの確立です。形作られていたと思っていたものが、液状のように溶け出しています。
1980年代以降、終身雇用は静かになくなり、派遣や非正規雇用などの働き方をする人がおおくなりました。自由な働き方が加速したという側面があるものの、個人は組織や連帯、共同などのよりどころを失っているようにも見えます。人々の分断が増えていく中で、他者や組織、さらには、自己に対する信頼の欠如につながっていきます。
一方で、経済はグローバル化の流れの中で、倫理観が大きく緩められて、経済的なもの以外の価値観までもが崩れてしまっているような感覚を持ちます。この状況が、行動の習慣や文化をも液状化させてしまうことになり、社会の枠組み自体を揺るがしています。
このような現代の中で幸福とみなされがちなのは、成功感情や、素晴らしいと映る人たちとの絆を、その人たちが持っているブランド品やスタイルを自分も買ったり真似たりすることによって確かめることにもなっているようでもあります。
そこには、本来的な幸福はあるのか?という問いが欠かせません。ジグムント・バウマンは、自分が似たりよったりの大衆ではなく、他ならぬ自分であることをありありと感じる瞬間こそ、幸福を感じられる時間ではないかと説きます。
自分の考え方や感性に沿って、行動し、考え、自分の人生を形作るのであれば、人は幸せというものは何かを見出し、感じることができるかも知れませんが、その反対に、その幸せを感じる視点や感度を外部にまかせてしまっては、それは永遠に感じることはないのでしょう。
たとえば、愛、共感、誰かに対して責任を持って生きること、などです。
自然に善を取り入れる?
コルドバの詩人、政治家であったルキウス・アンナエウス・セネカの言葉に触れてみましょう。
幸福とは善を喜ぶこと
セネカは、「幸福な人生は、人生自体、自然に適合した生活である」と説きました。
例えば、次のような生活を目指すことです。
- 自分の現状を変えず、自分に与えられた条件に向き合い、それに親しむこと。いつもの自分であることに満ちたり、自分をいつもコントロールすること。
- それが善であるならば、あとから、変えることはないし、満足も後悔もないはずだ。
- 善の生活にしたがい、楽しい生活にはしたがわないこと。
- (自分のなかにある)自然に従って生きること。
- 外からくるものに動じず、運命を軽視すること。
- 最高の善は、最良の精神の判断そのもののうちにある。(ものごとの結果ではない)
- 快楽に支配される程度の自己ならば、人生の苦労、危険、貧困などには耐えることができない。
- 快楽が生じても、それは生活にたまにまざるちいさなことがらの一つであるとみなすこと。
- 病気、死、身体不自由について驚いたり、怒ったりしないこと。一般的に自分の力がおよぶべくもない自然のことがらについて心を乱したりしないこと。
- 自分のおこないは、もしそれが自分しか知らないことであっても、公衆の面前で行われるものだと考えること。
このように考えを持つことで、こころの健全さを保つために、忍耐強い自分を目指すことができます。運命というのはたしかにあるかも知れませんが、その奴隷にならずに生きていくことが必要であるということを常に意識して過ごすことができるようになります。
真の喜びは自分でいることから生まれてくる
こう語ったのは、ドイツ出身の哲学者エーリッヒ・フロムです。彼は著書『生きるということ』において、人間の真の喜びと、真ではない喜びである快楽をまったく別物だと説きました。
快楽のときにともなうのは、ワクワク感、強い興奮、絶頂感、強烈な満足感や達成感などです。しかし、フロムは、真の喜びはそういう興奮ではないし、瞬間的に自分を忘れてしまうようなものではないといいます。
喜びはあることに伴う輝きである
人間の真の喜びならば、そのときには、その人自身が成長する、あるいは「内なる誕生」が起きているというのです。人間としての器が変わり、内的な力が増している状況を喜びとして歓迎しましょう。こういうときの喜びとは、決して頂上にに登りつめたという感覚ではなく、むしろ穏やかな高原になっているという感覚になるものです。
今回レビューをさせていただいた、本書『哲学者たちが考えた100の仮説』では100個もの、哲学的仮説について触れながら、自分が当然だと思っていた感覚や考えを一度、疑ってみる視点を提供してくれます。ぜひ、お手にとっていたき、ご覧ください。
まとめ
- 思考のOSをアップデートする?――前提を疑えば、生きる視点を更新できます。
- 自己と他者の関係に意識を?――自分という存在がいかに存在しているのか俯瞰して見つめましょう。
- 自然に善を取り入れる?――人生において何が求められているのかを素直に感じましょう。