【経営とはすなわち、価値創造のこと!?】世界は経営でできている|岩尾俊兵

世界は経営でできている
  • よりよい人生を実現していくためには、どのような視点が大切でしょうか。
  • 実は、経営するということかもしれません。
  • なぜなら、経営とは、目的に立ち返り、価値生み出すことを目指すものだからです。
  • 本書は、経営の意味について考える1冊です。
  • 本書を通じて、人が人たるゆえんをもう一度見直す機会を得ることができます。
岩尾俊兵
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価値は無限?

こちらの1冊は、以前にも1度拝読しているのですが、もう一度読んでみることにしました。前回の投稿はこちら「【価値は、無限!?共に創ろう】世界は経営でできている|岩尾俊兵」からご覧ください。

本書の主張は、「価値あるものはすべて有限だと思い込み、奪い合ったり、分けたりという発想をしてしまいがちなことによって、価値を創り出すことで幸福を感じやすくなるというアプローチを取りづらくなっているのではないか?」というものです。

その価値を創り出す発想と活動を、経営と呼びます。

とてもおもしろい着眼点は、地球の質量に関するものです。

有史以来、地球の質量はほとんど変わっていない。それどころか、最近百年をみてみれば、大量の人工衛星を打ち上げている分、地球の質量は減ったはずだ。

でも、その間に時類は、経済発展したかを見つめてみましょう。目覚ましい発展です。幸せを感じながら、文化的な生活をする人の数が膨大に増えました。王族より、現代の先進国における一般市民の方が豊かな生活を送っているのは事実です。

地球という資源は有限だ。だが人間社会の発展はその有限の資源を「組み替える」ことで成し遂げているのであって、資源を削減させて実現しているわけではない。

この組み合わせの発想が、まさにアイディエーションでもあり、そして、イノベーションです。価値というのは、ものごととものごとを組み合わせたり、あるいは資源を組み合わせることで創出可能であるという真実に気づきましょう

価値は有限ではなく、考え方次第で無限に広がっていきます。限りあるものとして認識して奪い合いをしたり、誰かから上手に奪い取ってみたりするのではなく、互いに協力をして生み出していく考え方で周りを眺めてみましょう。

本当の責任は価値有限思考にこそある。

ひとつのものを通じて、あるいは、限られていると先入観で捉えられがちの資源を通じて、対立が起こったときには、「究極の目的はなにか」を問い直すことが大切です。人は、幸せを感じ続けていきたいという究極的な目的のレイヤーでは、互いの利害を一致させることができるはずです。手段自体ではなく、「手段の目的への寄与・役割」に着目すれば、思っても見なかった解決方法が思いつきます。

人とは、価値創造によって共同体全体の幸せを実現することができる「経営人」なのです。

この論点においてこちらの1冊「【私たちは、二者択一にとらわれている!?】両立思考|ウェンディ・スミス,マリアンヌ・ルイス」もとても刺激的な視点を提供してくれます。

対立を両立に!?

例えば、夫婦のちょっとしたいざこざを想定してみましょう。ちょっとだけ飲み残したコップが放置されていることについて、妻が夫を指摘しているとします。妻の主張は、部屋の中が片付かない!夫の主張は、片付けが面倒くさい!です。これらは、片付け対して対立した意見のように一件見ることができます。

しかし、よくよく二人の意見を聞いてみると、必ずしも対立しているわけではないということに気づきます。

妻:「片付け対象が放置されていると気が休まらないから、家は常に整理整頓された状態を保ちたい(整理整頓する)」
夫:「常に家の整理整頓に気を配っていたら気が休まらないから、何も考えずに過ごしたい(整理整頓しない)」

いずれの主張にも実は、「家では気を休めたい/リラックスしたい」という要求が共通していることに気づくことができるのです。そうすると「整理整頓するかしないか」ということではなく、「物がなるべく散らからない」ことが大切であるということを見つけて、新しい解決策を見つけ出すこともできるかもしれません。

例えば、「週末だけ家事代行サービスを利用してみる」とか、「(もったいないかもしれませんが)使い捨てのコップを使う」とか、そのことによって、一見対立していた手段レベルではなく、深い互いの要望を満たすことが可能です。

ここで示したような価値創造と問題解決のマインドを持てば、こうした奪い合いから脱出できる可能性がある。

しっかり目的や互いが目指していること、ニーズに着目していると、手段というのはさまざまに検討できることに気がづきます。

子どもの幸せを考えたとき「偏差値の高さ」だけに囚われてしまうと、厳しい受験戦争においていかに勝ち抜くか?という課題設定のみをしてしまい、過剰なやらされ勉強を強制させて、かえって学ぶことが嫌いな子どもになってしまい、それこそ、幸せが遠のいてしまうこともあるかもしれません。

目的に対して、手段はさまざまに設定をすることができるのですが、それは目的に一度立ち返らなければ、なかなか気づくことが難しいのかもしれません。

これらの論点については、こちらの1冊「【「わかりやすい!!」は、本当に価値なのか!?】具体と抽象|細谷功」で、ものごとの階層について触れることも大変学びになります。

家庭も経営の現場であることに気づいてみることが大切かもしれません。家族の幸せのカタチは、創造することができるのです。自分たちがどんな状態を理想とするのかに気づくことができれば、それも容易なことになる可能性があります。

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共にいることを考える?

自分の行動と思考を変えることで、他者との関係をさらによりよく捉ええていくことができるのです。ものごとや資源や他者など、自分の外側にあるなにかを奪い合ったり、変えたりしようと頑張ると、どうしても無理が生じてきます。

ポイントは、それらの外側の環境を見つめる自分自身の視点や目線、そして、考え方を根本から見直してみることです。コップにお茶が半分しか入っていないと捉えるのか、あるいは、まだ半分残っていると希望を持つのかでは、その後の行動がガラリと変わります。

自分の行動と思考を変えることで相手との理想的な相互作用を生み出していくのである。

限りあるものごととして捉える発想は、人に対しても同じような考え方が働くこともあるようです。上述の「偏差値」に見られるような過剰な「能力思考」です。自分や相手は、まだまだ「能力が不足しているから」努力しないといけない!というように捉えることで、頑張ることはできるかもしれません。

しかし、個人の能力のあり・なしに、状況の理由を求めてしまうことによって、共に働くことや共に活動すること、つまり協働のポテンシャルを正しく見極めることができなくなります。

人はひとりでできることに想像以上の限界があります。いま世の中で成功者としてみなが認める人だって、一人でその立場を獲得したのではなく、多くの仲間がその人を支えたことによって、なしえているという事実に気づきましょう。

共にあることについて、もう一度、見え方を変えてみることによって、能力主義的な限界を「共にあること」というコンセプトで簡単に突破していくことが可能になるかもしれません。

こちらの1冊「【人は、なぜ共に働くのか?】働くということ 「能力主義」を超えて|勅使川原真衣」もぜひご覧ください。

個人では不可能な価値創造も集団なら可能になった。

経営とは、「価値創造を通じて対立を解消しながら人間の共同体をつくりあげる智慧と実践」にほかなりません。奪うのではなく、分け、そして、共に創り上げていく意志と行動をともにしていくこと・・こうした、人が人である所以を意識してみることも良いかもしれません。

まとめ

  • 価値は無限?――価値創造によって、互いに分け合うことを目指してみましょう。
  • 対立を両立に!?――深い目的まで立ち返ることが大切です。
  • 共にいることを考える?――価値創造の共同体を作り実践を重ねるのが経営ということでもあります。
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