- 考える力は、どのように養われていくでしょうか!?
- 実は、哲学的思考かも。
- なぜなら、問いを自ら見出し、それについて考え続ける行為だからです。
- 本書は、哲学的思考とは何か、それをおこなっていくことはどういうことなのかを知る1冊です。
- 本書を通じて、生涯の学びのためのマインドセットを養うことができると思います。
対話の可能性とは?
対話は、学びの機会になります。なぜなら、吟味された意義深い人生を生きるための問いについて考え続ける行為だからです。この行為は他者とともに行うことで、さらに考える姿勢を身につける効果もあります。一人ではなく他者のちからも借りながら、その中にある自分を見出し、最終的には孤独な考えるという行為を続ける勇気を持つ。そうした一連の行為を対話といいます。
こうした対話の機会を持つことは、子どもにとって非常に有意義です。確かに子どもは経験が乏しいため、大人から見るとまだまだだなぁと思われることだってあるでしょう。でもそれは事後的に習得可能な、経験や知識などでおぎなえるものだったりします。大切な「考える」ということは、すでに子どもだって十分にできます。
考えるための体力が乏しかったりもしますが、子どもはすでに合理的にものごとを考えることができます。
こどもは、まだ人生が始まったばかりでも、自分が成長し、年老いて、死んでいく姿を思い描いています。こどもは真剣に人生を生きているのです。
こども、大人と線引するのではなく、同じ時を生きる人として、互いに認め合うことが大切です。まだできないことに注目するのではなく、すでにできることにフォーカスして、彼ら、彼女たちと関係を作っていくことで、大人も感じ、考えることができるようになります。
哲学の本質は探求するという行為にあるのであって、知識を所有することにはありません。
自分が正しい知識だと思っていたことが、誤っていた思い込みだったということはよくあります。そうしたことに気づき、答えが1つに絞り込めないようなことについても、考える態度を持ち続けることが哲学にはあります。
当たり前を見直してみよう?
知識の所有ではなく、考えるという行為について、考えてみましょう。事実を調べて済むものだけではなく、考える取り組みを継続することで見出されることもたくさんあります。
私たちが探求する問題は、事実を調べれば済むものばかりとはかぎりません。
経験や体験の中で、私たちは「どうしてだろう」「なぜだろう」とふと疑問に思うことがあります。大人になればなるほど、そうした疑問やモヤモヤはなかったように片付けてしまい、忙しい日常を支障ないように生きていく人が増えていくように思います。
でも、そうした違和感やモヤモヤを抱えたままでいいのでしょうか。そうしたことを考えることはパンドラの箱かもしれませんが、生きていくことを考えるためには、それを開き、考え続けるという渦の中に身を投じてみることも大切なのかもしれないと考えます。
経験や体験は、問いを投げかけてくれます。
問いは、わたしたちに一つのものごとを深く掘り下げてみる行為を促すだけではなく、実はものごとを深く掘り下げてみるということは、2つ以上のものごとのつながりや連鎖を考えてみることだということに気付かさえてくれます。
Appleの創業者スディープ・ジョブズは、顧客のための新しいデバイスをシンプルにデザインするための思想として、禅にヒントを得たといいます。禅は、ありのままの自然をありのままに受け入れて、その中で自分がどうあるべきかを絶えず感じる訓練を行っていきます。そうした行為やマインドセットの中に、人に寄り添うデバイスの進化のベクトルを見出したのかもしれません。
哲学的な問いは、時として、経営にも役立つということかもしれません。
経験といっしょに問いが向こうからやってくるのです。新しい経験をすることは、同時に、自分が当たり前に思ってきたことを新しい関連のもとに置いて、異なった意味を与えることです。
考えのすえ、見出されかけていく「理」や「根拠」というもののは、特定の立場や役割という前提に立たなければわからない、あるいは共有されないというものごとではありません。人であれば、どんな人でもフラットな関係性の中で、同じものごとを見ることができる、そうした深いアプローチでものごとに向き合うスタンスが、哲学的な思考では重視されます。
前提はガラリと変わる?
現代社会に生きる私たちは、日々の活動に追われています。それは一見非常に充実しているようですが、でも自分の考え方が持てているか、その考えを絶えずアップデートできているか?という観点で見たときにどうでしょうか。実は相手の考えや社会の通念で生き抜いているだけかもしれない?と思ってしまう瞬間もあるのではないでしょうか。
例えば、働くこと一つ取ってみてもそうです。コロナ禍で、出社できない環境になったとき、働くことは、同じ場所に集まっていることが前提なのか?と皆が考えるチャンスを得ることができました。そうした刺激の中で、私たちは、働くこと言うことについて向き合い、新しい前提を持つことができるようになりました。
このように、私たちが運用している当たり前や前提というのは、移ろいゆくものでしかありません。変化の大きい時代ということがよく言われます。VUCAというキーワードもしばしば聞かれます。でも変化の大きさは、必ずしもテクノロジーとか、文明とかそうした文脈だけではなく、もしかしたら、私たちの観念の変化の大きさについても触れているのかもしれないと思います。
前提が覆ること、考える軸足がもしかしたら明日ガラリと変わっているかもしれないということ、そうした深い変化に対して、それをどう取り入れて、自らも変わっていけるか、という挑戦の日々なのかもしれないと思ったりします。
ひとりではない、誰かと生きていく力になる
考えるということは、何も一人だけで行うものではないということを知りましょう。確かに、考えるということは、結局は孤独です。互いに完全にわかりあえるということは、生物的に、物質的に、異なる存在である他者とは、不可能だからです。でもそうしたわかりあえないことは前提だとしても、同じ問いにそれぞれの立場から向き合い続けているという、行為や場を共有することはできます。その中で、互いが考えたことを丁寧に言葉に起こしていくことで、それを持ち帰り、自分もさらに続けて考える態度を保つことができる可能性があります。
他者との関わりの中で、問いを共有し、対話を行っていくことで、前提をくつがえすような考え方を身につけることが、「深さ」につながっていくのだと思います。
これまでの自分の常識や習慣、前提、現状のあり方を問い直すような問いであるということです。いわば、自分の足をすくわれるような問いのことです。
自分自身がそうして考えるということ、そしてその変化を前提としたマインドセットで子どもと時間をともにすることで、子どもにも考えるということが何かを共有する時間を提供できるのかもしれません。
ぜひ、以下のような態度で、子どもとの哲学的探索の時間を共有してみましょう。
- ゆっくりとこどもの反応を待つ。
- 自分が間違ったりわからなかったりすることを表現する。
- こどもといっしょに探求をする。
- 議論を進め、思考を深める質問やコメントをする。
- こどもの思考が批判的で、創造的で、ケア的になっているかに注意する。
よき哲学の問いを持ちましょう。
問うことについて、こちらの1冊「【問いが、人を動かす原動力になる!?】問いかけが仕事を創る|野々村健一」も大変おすすめです。ぜひご覧ください。
まとめ
- 対話の可能性とは?――問いについて考え続ける態度を持つということです。
- 当たり前を見直してみよう?――日常で感じる違和感やモヤモヤを放置しないようにしてみましょう。
- 前提はガラリと変わる?――それを変化の大きな社会と呼んでいるのかもしれません。