【「自分らしさ」は、本物か?】他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学|磯野真穂

他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学
  • 「自分らしさ」とは何でしょうか?
  • 実は、自分らしさとは、他者との関係性の中で初めて見出されるものかもしれません。
  • なぜなら、私たちは絶えず他者との関係性の中で、「私たちらしさ」を見出すためです。
  • 本書は、関係性の真実について知る1冊です。
  • 本書を通じて、他者と生きていくことの深い意味にふれることができるでしょう。

主体性を持つこと?

私たちが自分たちの存在を知る時に、自分ひとりだけで、自己認識をすることは難しいのです。なぜなら、私たちは常に一人で生きているのではなく、社会の中で関係性の中で自分の特性や特徴、あるいは、自分の意志を見出して、活動しています。

まったくのゼロベースで、自分という「個性」がたち現れることはありません。得意先でも、会社の上司、部下でもそうした人々との関わりの中で、自分が目指すべき世界や、自分が進めていくことを知り、そのように行動していきます。そして、その行動が他者にも影響を与えていきます。そうした相互関係の中で、自分という存在が見出されるのです。

私たちひとりひとりの現実は、直接感じ取れることだけで構成されているわけではない。なにか冷たいものに触れたと感じても、それが氷と知らされるか、軟体動物と知らされるかで、その人が今ここで感じる冷たさの現実は一変する。

私たちがみている世界は、私たちの認識次第で大きく変わってきます。どのようなフィルターを通じて世界を見るかどうかで、現実はいくらでも変わり、ひとりひとりの動き方が変わっていきます。

1963年に認知科学が専門のリチャード・ヘルドとアラン・ハインにおって行われた「ゴンドラ猫の実験」というものがあります。

実験では、子猫を2グループに分け、縦縞模様の円筒形環境で育てました。「能動的」グループは自由に動き回れる一方、「受動的」グループはゴンドラに入れられ、能動的グループの動きに合わせて動かされました。

数週間後、驚くべき結果が明らかに。能動的グループは正常な空間認知能力を獲得しましたが、受動的グループは視覚的手がかりを使った空間認識ができませんでした。受動的グループは、自ら動き回れるようになったのにもかかわらず、障害物を割けられなかったり身体動作に問題が生じてしまったのです。

この実験は、単なる視覚刺激だけでなく、環境との能動的な相互作用が空間認知の発達に不可欠であることを示しました。認知科学と発達心理学に大きな影響を与えたこの研究は、学習と経験の複雑な関係を理解する上で重要な一歩となりました。

この実験では、生命が世界と関わりつつ、しかしその中で身を守りながら生きる力を身につけるためには、目から受動的に情報を仕入れるだけでなく、その中で自ら身体を動かすことが必須であることを示唆している。

また同時に、自ら身体を使って、世界を認識して自らの感覚を研鑽することが、関係性の世界で自らの行動を見出していくには不可欠である等示唆を得ます。

本当に大切なのは関係?

「自分らしさ」を大切にしたいというのは、なんとなく社会のインサイトでもあるようです。

アイデンティティの確立:自分らしさを追求することは、自己のアイデンティティを確立し、強化する過程です。これは人間の基本的な欲求の一つで、自分が誰であるかを理解し、表現したいという願望につながります。

個性の尊重:現代社会では個性が重視され、ユニークな特質が価値あるものとして認識されています。自分らしさを大切にすることは、この社会的価値観に沿った行動といえます。

自己実現への欲求:マズローの欲求階層説にもあるように、人間には自己実現への欲求があります。自分らしさを追求することは、この最高レベルの欲求を満たそうとする試みの一つです。

などなどがいまの社会で「自分らしさ」が求められる要因となっています。

「自分らしさ」という言葉からは、自分ひとりでなにか確固たる生き方や個性が見出されるような、閉じた状態、あるいはその上で他者と競合するような状況を想定してしまうのですが、本当にそうなのか?というのが本書の論点です。

そこに出てくる「自分」は、法やお上の号令、あるいは専門家の人権についての指導のもとであらわれるそれではない。むしろそこで焦点が当てられるのは他者との関わりの最中にある自分である。

なにか外部の強制力で自分を動かしている状況ではなく、内発的な動機により自発的な意志によって活動している時に、ヒントが見えてきそうです。

それは「ままならない世の中」に対して諦めることなく「そうではない世の中」を志向し、世間の在り方を変えていこうとするような試行錯誤の只中でたち現れる「自分」である。

この試行錯誤の中で、求められるのは、個性や自分らしさではないかもしれません。見出されるのは、関係性の組み換えの中で見出されるような「私たち」の発見なのかもしれません。

相互に変わっていくことを受け入れる?

個人主義的人間観が素地となる現代社会において、「自分らしさ」は実にしっくりくる、都合のいい言葉である。

「自分らしさ」を過剰に運用することで、人と人が繋がりを持つことの意義意味を薄れさせているのではないかと思います。

「自分らしさ」はキャッチコピーとしても使い勝手が良い。例えば「あなたらしさを引き出します」ではなく、「私たちらしさを引き出します」という形で売り手と買い手が共に商品のコピーに入っていたら、あなたのことを純粋に考えた商品ですというニュアンスは途端に消え失せる。

でも実際には、周りと切断された自分などは存在せずに、自分らしさというのは、「私たちらしさ」のように、他者と接合された状態で見出されていくようなものであることに気づきます。

私たちが誰かと主にある時、いっしょにいるなぁと思える瞬間それはどんなときでしょうか。著者・磯野真穂さんは、自動販売機の受け答えを例に取り、ユニークかつ逆説的に説いてくます。

自動販売機の中には、「ありがとうございました」とお礼を言ってくれるモデルがあります。そして、お金を入れて商品を買えば、わたしたちは「ありがとうございました」と言ってくれるということを十分に予測することができます。しかし、その予測が可能であることは必ずしも、他者といっしょにいるということにはなりません。

むしろ予測ができないことを前提に、言葉や態度のやり取りをすることに本質的なつながりを見出すことができるのです。

眼の前の相手が手持ちのいくつかの選択肢の中から一つをえらんで、相手に投げ放ち、それを受けて自分の同様の選択を行い、相手に投げ返す・・そうしたことの繰り返しが、ともにあるということにつながっていきます。

共在の枠は初めて双方の相互行為を支える枠として立ち上がる。

私たちは個人主義的に確固たる「自分らしさ」を選択することはできずに、唯一できるのは、相手に対して何かのアクションを行うという選択であり、その結果、自分が相手との関係性の中で、変わっていくということを受け入れるということでしかありません。

「選ぶことで自分を見出す」「選び、決めたこと」の先で、自らが変わっていくこと、改めて生まれていくことを知る。そうしたスタンスをもつことが、紋切り型とも捉えられる「自分らしさ」という前提を超えて、実態に近いかたちで社会や環境、他者とか変わっていくヒントになると思われます。

関係を持つ自己と他者はあらかじめ確定してない。

関係性が維持され、やり取りの経緯の中で、相互の変化が見出されるのです。

そこで私たちは関係性が編み出した時間という生のラインを発見する。

関係性を考えるためにこちらの1冊「【人は、なぜ共に働くのか?】働くということ 「能力主義」を超えて|勅使川原真衣」も大変おすすめです。ぜひご覧ください。

まとめ

  • 主体性を持つこと?――まず、主体性を持ち社会と関わることで、自らを見出すことができます。
  • 本当に大切なのは関係?――確固たる自分というのは存在せず、自分の存在は、関係性の中から見出されるものです。
  • 相互に変わっていくことを受け入れる?――そういうマインドセットで社会と関わりましょう。
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