【リスペクトは、態度!?】メンターになる人、老害になる人。|前田康二郎

メンターになる人、老害になる人。
  • 歳を重ねても、どうしたら社会との接点をよりよく保つことができるでしょうか。
  • 実は、老害 vs メンターの構図を検討することかも。
  • なぜなら、この2者は、他者リスペクトの違いにより生まれるためです。
  • 本書は、いつになっても相手を尊重することを意識するための1冊です。
  • 本書を通じて、リスペクトを単なる言葉ではなく、態度にすることを知ります。
前田康二郎
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老害の対義語は、なんだ?

老害とは、何でしょうか。さっそく愛するAIクロードちゃんに聞いてみました。

老害とは、主に否定的な意味で使われる言葉です。この言葉は以下のような意味を持ちます:

  1. 高齢者が、その年齢や経験を理由に若い世代や社会全体に悪影響を与える行動や態度を取ることを指します。
  2. 特に、時代の変化に適応せず、古い考え方や方法に固執し、新しいアイデアや変革を阻害する高齢者を批判的に表現するために使われます。
  3. 年功序列や過去の功績に頼って、若い世代の意見や能力を軽視したり、組織の発展を妨げたりする行為も「老害」と呼ばれることがあります。

必ずしもすべての高齢者を指すのではなく、という前置きつきで、次のようなことで締めくくってくれています。特定の否定的な行動や態度を持つ一部の高齢者を批判する際に使用されます。ただし、この表現は差別的な含意を持つ可能性があるため、使用には注意が必要です。

しかし、めちゃめちゃ「高齢者」ってキーワード入れてくるなぁ・・この辺の語感に違和感を覚えつつも、逆にそんな違和感から初めて、自分を認識するヒントを得られるということもありますね。

すべての方がこれに当てはまらないにせよ、老害という言葉が生まれて、世の中で受け入れられているということを考えると、少なからずみんなそうした現象を指摘したい気分があるということだと思います。

概念をよりよく理解してみる試みとして、反対の言葉をあげて比べてみるということが大切です。

そこで私は気付きました。「老害」の対義語は「メンター」(仕事、キャリア、ライフプランなどについて助言などをしてくれる、信頼のおける相談相手)なのだということにです。

老害とメンターの決定的な違いが、本書を貫くテーマです。

最初に結論を見出すと老害は、「相手への敬意が失われた時に発生する」ということです。

いくら社会的に実績があって、偉い人でも、その時々で、関わる相手に敬意がなくなってしまっては、老害への道を転げ落ちてしまします。

老害とはよく言ったもので、まるで「公害」のようなニュアンスを感じる語彙にあると思います。公にとって害があることの意味合いをまといながら、疎まれる存在・・きついです。

老害が老害として成立し続けてしまうのは、メタ認知が不足することにもありそうです。自分自身の立場を俯瞰してみることができないので、相手との間合いが上手に取れない状態や、社会や環境がすっかり変わっているのに、これまでの延長線上でものごとを捉えてしまうことが、自己変容を阻害してしまいます。

老害は、取り残され現象?

メンターになる人は、軸を相手との間に置くことができます。だから相手のことも重視して考えることができますし、相手の気持ちや発言を集中して見つめることができます。メンターの人は相手との関係性を重視するために、自分勝手なものいいをすることがありません。

上機嫌であることがメンターにとって重要なファクターになります。なにせ、上機嫌でいることができなければ、相手との適切な関係を築く冷静さを欠けてしまうからです。

メンターになる人は自分で自分を上機嫌にし、老害になる人は他人に機嫌を良くしてもらう。

この違いは決定的です。ある意味、「自律」しているかどうかにも関わっててくるということになります。メンターになるような人は、自分で機嫌をコントロールすることができます。なぜ、メンターは自分の機嫌を取ることができるのかを考えてみると、やはりメタ認知に行き着くように思います。

自分のことをどれだけ知っているかと言うことが、気分にも影響していると思えます。自分は、何をしている時に、上機嫌でいられるのか、自分は何を嫌いだと認識しているのか、自分の思考の癖や感覚の特徴を知っているからこそ、自分をもうひとりの自分という視点で見つめて、冷静に対処し、感情に流されづらい状況を作ることができます。

人生100年時代と言われる中で、自分自身をアップデートし続けていくと言うことがいかに大切か、ということが実は本書の主題なのかもしれません。

そのためには、自分を見つめて、自分を理解してみること。これまで成長や成果を上げるために一生懸命だったけれど、自分という存在を再認識することで、新しい社会との関係性を見出す試みが、実は大切なのです。

世の中はでは、「リスキリング」や「アンラーニング」というキーワードが「人材開発」分野で飛び交っているようです。でも、これらは、どうしても「能力」や「スキル」に特化してイメージされてしまうことが多々あるようです。確かに、研修やプログラムを提供する立場からすれば、「リスキリング」や「アンラーニング」とは、「能力開発」であるとしたほうが、バリューの共有どころが見えやすいので、そうした流れが大きくなるのでしょう。

でも本当の「リスキリング」や「アンラーニング」の意味合いとは、心構えにまで至るものだと思えるのです。

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絶え間ないアップデートのためには?

能力主義からの解放というのも、1つ老害とメンターを分けるポイントになると思います。これは人や社会に対する深い眼差しです。

「役に立つことを言わなければ」と思うから、メンターにも老害にもなりやすい。

人は、相談をされると相手のためになりたい!と思って、あれこれ思考を巡らせてしまう生き物です。そうしたGIVEの精神によって、相互協力して、社会という基盤を作ってきたのだと思います。でも、「相手のためになること」というのは、時と場合によって、移ろいで行きます。これを知覚して、使い分けを行わなければ、ならないのに、金太郎飴のように常に同じような態度で接してしまうと、老害まっしぐらということになりそうです。

「余計な一言」「相手が求めていない範囲」「相手が触れられたくない範囲」まで、踏み込んでしまうのは、トラブルと縁が続かないもとになってしまいそうです。

まずは求められていることを知り、それに対して真摯な対応をすること、これはどんなときでも普遍的に求められることだと思います。

また、実はひとりひとりの能力ではなく、関係性についてフォーカスすることも、老害化を防ぐポイントなのではないかと思います。関係性ことが重要であるとすれば、ひとりひとり(自分も含む)を過剰に期待を持たず(ポジティブな意味で)、機能として適切な配置を検討する態度で臨むことができます。

変えられないことと変えられることを区分してものごとに取り組むことで、よりよく環境と関わることができます。

人の能力ではなく、関係性にフォーカスしましょう。そして、自らをメタ認知して、周囲とのよりよい関係性を作ることができるかどうかを検討していきましょう。

皆さんの周囲にもいらっしゃる「メンター」と言われる人は、老若男女を問わず、「皆に慕われている」のではないでしょうか。あらゆる属性の人達から支持されているということは、メンターの人自体が、あらゆる属し得の人に順応できているとも言えます。つまり自分主体ではなく、相手の属性に合わせて関係性を構築しているということです。

能力主義については、目からウロコでした。ぜひこちらの1冊「【人は、なぜ共に働くのか?】働くということ 「能力主義」を超えて|勅使川原真衣」やこちら「【人の能力を測れるか!?】暴走する能力主義 ──教育と現代社会の病理|中村高康」もあわせてご覧ください。

まとめ

  • 老害の対義語は、なんだ?――相手をリスペクトし、関係性を重んじる「メンター」です。
  • 老害は、取り残され現象?――環境が変わっているのに、それに気づかないときついです。
  • 絶え間ないアップデートのためには?――関係性の中に意味を見出し続ける取り組みが重要でしょう。
前田康二郎
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