【能力 vs 運!?】実力も運のうち 能力主義は正義か?|マイケル・サンデル,鬼澤忍

実力も運のうち 能力主義は正義か?
  • なぜ、能力主義は、この社会に当たり前のように受け入れられてきているのでしょうか。
  • 実は、一見、平等に見えることで、誰しもが自らに課したい課題だ!と思えるからです。
  • しかし、能力とは本当にあるかどうかも不明瞭な概念でしかないのです。
  • 本書は、能力主義とはなにか、それが何をもたらすのかを見つめる1冊です。
  • 本書を通じて、自分がどんなロジックで生きてきているのか、俯瞰した視点を得られます。
マイケル・サンデル,鬼澤忍
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能力主義とは?

能力主義とは、個人の能力や実績に基づいて評価や待遇を決定する考え方です。この原則では、学歴や年功、性別、人種などではなく、個人の実力や成果が重視されます。

能力主義の利点は、公平性の向上と組織の効率化にあります。能力のある人材が適切に評価され、モチベーションの向上にもつながります。また、組織全体の生産性や競争力の向上にも寄与すると考えられています。

一方で、能力主義には課題もあります。能力の測定が難しい場合があり、短期的な成果に偏重する可能性があります。また、チームワークや長期的な成長を軽視してしまう恐れもあります。

さらに、機会の不平等や教育格差などの社会的要因を無視しているという批判もあります。

本書の著者であるマイケル・サンデルさんも、格差を助長させていることについて指摘しています。

子供を裕福に暮らせるようにしてやることに尽きるとすれば、子供に信託ファンドを与えておけばよかったはずだ。だが、彼らはほかの何かを望んでいた。それは、名門大学への入学が与えてくれる能力主義の威信である。

能力が測られるであろう入学試験をパスすることは、正真正銘の輝かしい成績を得るということです。この手柄というのは誰のものでしょうか。受験者本人だけのがんばりで、その成績を獲得できたのか、というと疑問が残ります。

その生徒はとても裕福で、教育に何不自由なくリーチできたのかもしれないし、あるいは、そこで出会った先生との関係性により特性が引き出されたのかもしれない。もっと細かなところでみていけば、受験する大学との関係性なども当然のように考慮されるべきだったりもします。

つまり、誰一人として、たった一人で、何かをなしたのだ、という状態に行くことは難しく、必ず誰かとの協力や関係性の中で、そうした成果を見出しているということになります。

能力は、個人に強く紐づくものとして語られます。すると上記のような本来的な関係性を断ち切ったような感覚で、ものごとを見ることになります。でもそれは社会の実態にあっていません。

また、本人がよりよいマインドセットを持っている状態であれば、良いかもしれませんが、成功は続くものでないので、行き詰まりを感じた時に、自らを過剰に責めてしまって、出口が見えない迷路に迷い込む危険性もはらみます。

能力主義が隠すのは?

能力をめぐるわれわれの意見の相違は、公正さに関するものだけではない。それはまた、成功と失敗、勝利と敗北をどう定義するかにも関わっている。

成功があれば、失敗もあるし、勝利もあれば、敗北もあるのが、人生です。そして、その機会というのは、誰しもまんべんなく与えられています。

過剰に能力が語られるいま、これらの結果論は、本人の責任に帰結しがちです。「その人が**だったから、その人のがんばりが**だったから」という具合に個人を特定し、概念ばかりの見えない(本当はあるかどうかも定義もいろいろな)能力を賛美して、結論を急ぐことが往々にしてあります。

彼らは自らの成功の空気を深く吸い込みすぎ、成功へと至る途中で助けとなってくれた幸運を忘れてしまうのだ。

でも、どうしても私たちは「分配」の明快なロジックを持たなくてはなりません。なぜなら、資源は有限であるからです。

経済的報酬や責任ある地位を能力に従って割り当てることについて、2つのメリットがあります。

1つめは、機械提供という側面です。人を雇ったり、仲間に入れたりする時に、一定の基準を設け、皆の合意形成を行っていく必要があります。その時、能力という一見フェアな視点は非常に役に立ちます。本来的には、人は一緒に現場に出て働いたり、活動してみないと、なかなか互いの様子というのは見出さないものです。でも、それでは、事前に準備が何もできずに、あらゆる可能性を全員と探っていこう!という途方もない、経済合理性とは程遠い活動に帰結してしまいます。

それができないので、「事前に」想定できるツールが必要なのです。

能力に報いる社会は、上昇志向という面でも魅力がある。

もう1つは、ひとりひとりが頑張り続けることを奨励することにあります。能力主義によって、特定の分野に欠乏を指摘されたり、自覚したりすれば、人は努力する道筋を見つけることができます。こうして、自分という存在を“磨き続ける”理由と方向性を見つけることができます。

このことによって、「自分の運命は、自分の手中にある」という前提で、フェアな活動が社会では展開されているのであるという心持ちで、頑張り続けることができるのです。

環境の犠牲者ではなく、運命の支配者であると思いたいに違いありません。

能力主義の社会は二重の意味で人を鼓舞する。そなわち、それは協力な自由の概念を支持するとともに、自力で獲得し、したがって受け取るにふさわしいものを人びとに与えるのだ。

西欧では、特に宗教によって能力主義が強化されてきました。

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運も信じてみよう?

聖書的なものの見方には、2つの特徴があります。

  • 人間の主体性の強調。
  • 不運に見舞われた人に対する厳しさ。

人間に褒美を与えるのも、罰を与えるのも、神であるという前提があります。そして、その神は、非常に人間中心的な見方によって、そして自分の時間の大半を費やして、人間の督促に応じています。全人類を神がチェックして、褒美と罰をコントロールしているのですから、それはいくら神といえど、とてつもない仕事量だと思われるのです。

ここで重要なのは、逆説的に捉えれば、神は人間に対して義務を負っているということです。

なぜなら、公正である限り、人間が勝ち取った待遇をしっかりもたらさないと約束を破ることになるからです。褒美や罰を与えるというとてつもない権力を持っている神であるはずなのに、人間との契約に縛られてしまっているのです。

ということは、たとえ、神がいたとしても、実際には、人間は自分の人生を自分で切り開くよりほかなく、勝ち取るには、自分自身の能力研鑽が不可欠であると結論付けられることになります。

つまり、成功h幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得される何かである。

ここまで強調されると、能力主義的ストイックさの行き着くところが見えてきます。それは、人にも自分にもめちゃめちゃに厳しくなるのです。なにせ、成功も失敗も、その本人のせいなのですから。

やればできる、ということは本当でしょうか。特に自分ひとりの力をてこにそうした考え方をすることは、実情に即していないと思ってみることも大切です。

そのためには、「運」を見つめてみることもキーです。

わたしたがあれこれの才能を持っているのは、私の手柄ではなく、幸運かどうかの問題であり、私は運から生じる恩恵を受けるに値する訳では無いということ。そして、自分がたまたま持っている才能を高く評価してくれる社会に暮らしていることも、自分の手柄だとは必ずしも言えないということ。これもまた運がいいということに尽きるのです。

実際に、努力は大切だと思われます。しかし、勤勉なだけで成功が手に入ることは、残念ながらめったにありません。運を見方につけることもとても大切なはずなのに、人は社会の見えないルールに従って自分自身を社会と分断しながら、自分を研鑽することに邁進してしまいがちなのかもしれません。

運について考えをふかめてみるためには、J・D・クランボルツさんの「計画的偶発理論」も非常に興味深い視点を得提供してくれます。能力主義との対比では次のような論点を得ることができそうです。

  • コントラスト:計画的偶発理論は、キャリアにおける予期せぬ出来事や機会の重要性を強調します。一方、能力主義は個人の能力や努力に基づく評価を重視します。
  • 柔軟性 vs 固定観念:計画的偶発理論は、変化に対する柔軟な対応を奨励します。能力主義は、往々にして固定的な基準による評価を前提としています。
  • スキル開発の視点:計画的偶発理論は、好奇心や楽観性などの「偶然を活かすスキル」の開発を重視します。能力主義は、より直接的に職務に関連するスキルや資格を重視する傾向があります。
  • 成功の定義:計画的偶発理論では、個人の価値観に基づく多様な成功の形を認めます。能力主義は、しばしば組織や社会が定める基準による成功を重視します。
  • 統合の可能性:両者は対立するものではなく、補完的に機能する可能性があります。能力開発を重視しつつ、予期せぬ機会にも柔軟に対応できる人材育成が理想的かもしれません。

計画的偶発については、こちらの1冊「【幸運は引き寄せられる!?】その幸運は偶然ではないんです!――夢の仕事をつかむ心の練習問題|J・D・クランボルツ,A・S・レヴィン」もぜひご覧ください。

社会心理学者の小坂井敏晶は、「能力」も「人格」も外因によるものであるため「自己責任」にはならないとし、「能力主義」は隠蔽とごまかしにほかならないことからすべてをくじ引きで決めることを提唱している。

自らが暮らす社会の前提を疑ってみることで、新しい視点で、ものごとや他者との関わりを検討することができるようになるかもしれません。

能力主義について、気になる方は、こちらの1冊「【人は、なぜ共に働くのか?】働くということ 「能力主義」を超えて|勅使川原真衣」もぜひご覧ください。

まとめ

  • 能力主義とは?――個人の活動の原因と結果を、その個人の能力と紐づける考え方です。
  • 能力主義が隠すのは?――生まれや出会いなどの運の存在です。
  • 運も信じてみよう?――その能力も、実は運によってもたらされているとしたら・・?
マイケル・サンデル,鬼澤忍
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