- いかに多様性による可能性を重視して生きることができるでしょうか。
- 実は、ひとりひとりの違いをニューロダイバーシティ的(脳・神経多様性)に求めることかもしれません。
- なぜなら、脳や神経の多様性がひとりひとりの世界を育んでいるからです。
- 本書は、伊藤穰一さん、松本理寿輝さんのプロジェクトから多様性を考えるヒントを得る1冊です。
- 本書を通じて、ひとりひとりの「違い」と「特性」にフォーカスする視点を得ることができます。
常識からの脱出?
ニューロダイバーシティという概念から人を見るとき、なんて多様なんだ!ということに驚きつつも、いかに日頃私たちが、勝手に線引をして、理解を端折っているからを知ります。
例えば、ニューロダイバーシティが培われたのは、自閉スペクトラム関連の研究からでしたが、自閉症という「病気」として定義して、“健常者”と区別することで、私たちは、わかったつもりでいることができるし、その反面、何か大切な手触りある個別性にフォーカスできる、重要な情報を削ぎ落としてしまっているようでもあります。
この「多様性」は、より正確にいえば「一人ひとりに固有の脳神経の働き」がもたらす多様性です。
ニューロダイバーシティという概念が、これまで定型とみなされてきた人々の見えざる困難にも光を当てて、非定型の人たちとともに困難を克服することを目指すための思考や行動を促すものです。また、定型とひとくくりにされてしまっている人たちの中の多様性についても、意識を向けることが可能になります。
考えるべきは、次の3つのポイントです。
1.ニューロダイバーシティで可能性が発揮されないままでいる状態は、多くの社会損失を生んでいるのではないか?
2.社会全体の損失を超えて、すべてのニューロダイバージェントに可能性を与えるべきではないか?
3.定型=ニューロティピカルを自認し、周囲からもそうみなされてきた人たちの中にも、多様性を見いだせるのではないか?
定型、ニューロティピカルというのは、いわゆる“社会人”として“健康”とされる心身で、“普通”に活動する人々のことです。
すべての人は、ニューロダイバージェントであるという転換をもたらすことによって、ひとりひとりの理解の解像度を上げることができるでしょう。
自分の中の“常識”を体感するために、定型・非定型をもっと俯瞰して比べてみましょう。
<非定型(ニューロダイバージェント)の特徴>
- 自分が必要な時だけコミュニケーションをする。
- 反復的で一方的、形式的で回りくどい。さらに些細なことでも柔軟に交渉できずこだわる。
- 率直に本当のことを言いすぎる。嫌いな人に「お前は嫌いだ」と言う。
- 自分だけが長々と話し続ける。断りなしに話題を変える。
- 相手を不愉快にさせる言葉遣いをする(自分ではそう思っていない)。
- 視線や表情、対人距離などの問題がある。近すぎたり離れたり。
- 相手の言葉の意味を推論できない。言われた通りに解釈する。
- 冗談や比喩、反対語の理解が困難。
<定型(ニューロティピカル)の特徴>
- ニューロティピカルは全面的な発達をし、おそらく出生した頃から存在する。
- 非常に奇妙な方法で世界を見る。時として自分の都合によって真実をゆがめて嘘をつく。
- 社会的地位と認知のために争ったり、自分の欲のために他者を罠にかけたりする。
- テレビやコマーシャルなどを称賛し、流行を模倣する。
- 特徴的なコミュニケーションスタイルを持ち、暗黙の了解でモノを言う傾向がある。
- ニューロティピカル症候群は社会的懸念へののめり込み、妄想や強迫観念に特徴付けられる、神経性生物学上の障害である。
- 自閉スペクトラム症の人と比較して、非常に高い発生率を持ち、悲劇的にも 1万人に対して 9624人と言われている。
ダイバージェントとティピカルどちらが、優れているかということではなく、それぞれの特徴があるということ自体を事実として捉えていくことができそうです。
得意、不得意の分野があり、そして、それらを素直に発揮して社会の中で生きていくことができることが重視されるべきなのかもしれません。
子どもは多くのものを持つ?
「普通」であることって、本当に大切なことでしょうか。
私たちに可能性を忘れないために、警鐘を鳴らしてくれる素敵な詩があります。
冗談じゃない。百のものはここにある。 ローリス・マラグッツィ (佐藤学訳)
子どもは
百のものでつくられている。
子どもは
百の言葉を
百の手を
百の思いを
百の考え方を
百の遊び方や話し方を持っている。
百、何もかもが百。
聞き方も
驚き方も愛し方も
理解し歌うときの
歓びも百。
発見すべき
世界も百。
発明すべき
世界も百。
夢見る
世界も百。
子どもは
百の言葉を持っている。
(ほかにも、いろいろ百、百、百)
けれども、その九十九は奪われる。
学校も文化も
頭と身体を分け
こう教える。
手を使わないで考えなさい。
頭を使わないでやりなさい。
話をしないで聴きなさい。
楽しまないで理解しなさい。
愛したり驚いたりするのは
イースターとクリスマスのときだけにしなさい。
こうも教える。
すでにある世界を発見しなさい。
そして百の世界から
九十九を奪ってしまう。
こうも教える。
遊びと仕事
現実とファンタジー
科学と発明
空と大地
理性と夢
これらはみんな
共にあることは
できないんだよと。
つまり、こう教える。
百のものはないと。
子どもは答える。
冗談じゃない。百のものはここにある。
「すでにある世界」をいかに知り、その中へ、どうやって自分を当てはめていけばいいのか?を既存の教育は強烈に目指してきたのかもしれません。
確かに、社会の仕組みを知り、言葉の使い方を知り、その中で生きやすくしていくことは、大切なこともあるかもしれません。でもその過程で、上述の詩にあるように、子どもが本来的に持つ可能性を捨て去ってしまうのでは、生きる輝きがたくさん奪われてしまうのではないかとも思います。
実際は、社会や世界というのは常に変化しています。だから、私たちが、教育によって、教えようとしている「常識」というも常に移ろいでいるし、そんなものはないのかもしれません。
私たちが世界を認識するために脳のエネルギーを効率的に使えるように、「当てはめ思考」(バイアス)という力を養ってしまったので、そこから抜け出すことは少し難しいことなのかもしれませんが、でも、そうしたフィルターでものごとをみ続けていると、そうでないひとつひとつの可能性にフォーカスできる視点を持つことはできません。
博報堂の社内ワードに、「粒ぞろいよりも、粒違い」というものがあります。文字通りですが、そうした視点を養っていくためには、自分のバイアスに俯瞰的に気付き、そのきっかけとしてニューロダイバーシティが大きなヒントをもたらしてくれるのかもしれません。
便宜的に99を削ぎ落としたことが忘れられ、現実が初めから1であったように見えてしまうことがあります。
たとえ1が今の最適解であっても、すぐに別の1が必要になるのにも関わらず・・。
二文法に依らない生き方を?
著者らは、現代の教育は、分断をどうしても生んでしまうと指摘します。実際に日本の教育は、2022年に国連の障害者権利委員会より、「障害児を永続的に分離した特別教育の中止」を勧告しています。
これまで是とされてきた教育制度についても改めて見直すべきタイミングが来ているのかもしれません。社会人を効率的に排出し続けるという仕組みではなく、ひとりひとりの違いを互いに認識しながら、互いにその個別の成長を重視できるようなプログラムを作り出すことは難しいことなのでしょうか。
人を測るロジックについて「役に立つかどうか」という視点を脱出していくことも大切だと思われます。「役に立つかどうか」と言う視点で、「能力」を過剰に測ってみたり、一元的な指標を用いて、人を“評価”することを続けていると、「役に立たないもの」を安易に切り捨てるという思想を育んでしまいます。
ダイバージェントの持つ特性が、「奇矯」「逸脱」「迷惑」として判断され、それらが社会のデメリットとして捉えられてしまうことを助長させます。
何よりもまず心から安心できる環境が必要ですが、二分法は、障害当事者や家族に強いプレッシャーを与えます。
「役に立つ/立たない」という二分法は、全員が自らの首を締めます。
他者を排除し続けていく中に、本質的な喜びを得られる人はいないのです。たとえ、自らが“選ばれた側”として残り続けていったとしても、そうした努力をし続けなくてはならないという恐怖心や、切り捨ててきてしまったという罪悪感は、一生つきまとってきます。何か、本質的なことではないことをし続けられる人は誰一人としていないはずです。
標準化された人間こそが「役に立つ」とされたのは、近代の思想であり、すでに遺物です。私たちは新しいロジックで互いに認め会えるような言語を持ちたいのです。みんなで同じ行動をするのではなく、バラバラの行動をすることで、情報が膨大に発散していきます。時に、個性と個性の調整は人にとって非常にストレスフルな状態を生みがちです。たしかに人類史を振り返っても、「私とあなたは違う」ということが、多くの闘争や不幸を生んできました。
しかし、AIなどの多くのデータを扱う技術が、それぞれの特性の調整を処理能力を発揮し、調整してくれる可能性も見えてきています。
均質性よりも個別性によって、多くのこと(例えば、エンタメやコンテンツなど)がもたらされることがすでに見えています。
分離から混沌へ。
人々はもっと積極的に交わりながら、互いの特性を尊重し、認め、自らが自然に安心して暮らしてけるような、社会の在り方を探索していくことがよりよい社会につながっていくのです。
まとめ
- 常識からの脱出?――ひとりひとりの解像度をあげてみることです。
- 子どもは多くのものを持つ?――常識や普通という概念がそれを阻害していきます。
- 二文法に依らない生き方を?――役に立つ・立たないで、自分の首をしめるのをもう辞めましょう。