- どうしたら多様性に素直に向き合うことができるでしょうか。
- 実は、脳や神経の違いからして、多様であるということを知ることかも。
- なぜなら、本当にその違いが、人の個性に変わってくるから。
- 本書は、そんな脳や神経の多様性をとらえるニューロダイバーシティに関する1冊です。
- 本書を通じて、多様性の根源にふれることができるでしょう。

ニューロダイバーシティとは?
ニューロダイバーシティは、脳の働き方の多様性を尊重する考え方です。この概念は、自閉症スペクトラム、ADHD、学習障害などの神経発達の違いを、障害ではなく個性として捉えます。
ニューロダイバーシティの視点では、これらの特性は人間の多様性の一部であり、社会に価値をもたらすものとされます。例えば、自閉症の人の詳細への注意力や、ADHDの人の創造性などが挙げられます。
発達障害の原因を探ることを起点に、ニューロダイバーシティの領域はその研究を広げてきました。いま、改めて多様性を重視する社会構築が課題としてあげられていますが、ニューロダイバーシティの観点を持ってすれば、ひとりひとりの人の個性に対して、より深い視点をもって、向き合える可能性を秘めていると言っていいでしょう。
いわゆる「障害を持たない人」も、特性があります。その特性の違いに、脳や神経が作用しているという視点をもって、ひとりひとりの理解をしていくということです。そうしたことから、障害のある・なしというラベリングを超えて、人同士が互いを認識し、付き合っていく新しい共通の認識基盤を持つことができるかもしれません。
(ニューロダイバーシティはいまや)社会運動としてのより積極的な文脈が含まれる言葉です。
「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」というような考え方であるととらえてみましょう。
もともとニューロダイバーシティは、自閉スペクトラムの当事者たちによって生み出された概念であることについて、知りましょう。いわゆる障害として区別されてしまっている人たちです。
いま、こうした障害(disorder)という言葉にかえて、状態群(conditions)という言葉に置き換えて表現、理解されていく機運が高まっています。こうした流れを後押ししているのは、性的マイノリティの方々の活動です。
いずれの状態も、かつては、障害や病理として取り扱われて、社会の中で認識を深められてしまいました。しかし、いま改めて、それらに対してネガティブな前提を払拭する本来的な認識としての状態が用いられていることは、本質的な理解へのいざないになると思われます。
私は「脳や神経由来の多様性」についての理解の広がりや深まりが、そういった社会の変化には絶対に必要だと思っています。
目の前の困難を否定することなく、いかに受け入れることができるかを、ニューロダイバーシティという概念は支援してくれます。
人の認識とは?
人間の知覚やそれにもとづく認識は、かなり恣意的なものです。
人はこの世界をありのまま認識しているのではなく、脳が作り上げた世界の中で生きていると考えられるのです。
実際に、脳の活動は外界情報をほとんど必要としていないという研究もあるそうです。脳の視覚野という、資格情報を認識する部分は、ほとんど資格情報を処理していないということ・・つまり、外の情報がなくても、人はおおよその認識を持ちながら、世界を生きていくことができるということです。
一次視覚野で処理されている情報のうち、なんと外部(目の網膜)から送られてきた情報を処理しているのは、全体のたった4%に過ぎないと推測されているのです。
実際の世界をそのまま認識しているわけではなく、脳が作り上げた感覚を感じているということなのです。
そう考えると、脳の世界を私たちは生きていると言っても過言ではないのかもしれません。相手をどう認識するかも、脳が決めていること、そしてその脳や神経がその人となりを、その人が生きる世界から大きく関与して規定しているのです。
人間を表現するときに用いられる障害、才能、個性などという言葉には構造的な違いが実はないということになります。
著者の村中直人さんは、人間について形容するとき「特性」という言葉を好んで使われるとのことです。
ある人間の内側の特性が環境との相互作用において、結果として見出されるような考え方や言動について、人は色をつけてみています。
そうしたアウトプットが、ネガティブな評価や体験の源泉になるのであれば、「障害」と呼ばれるかもしれませんし、全く同じ特性が環境によってポジティブな評価や体験の源泉となることから「才能」と呼ばれることもあります。
障害も才能も個性も非常に環境依存的な概念であるということはとても重要な視点だと思います。

違いを知り、触れるには?
人の主観的な意識や体験の裏側にあるその人の思考や感情のあり方、価値観や感性と呼ばれるような側面に大きな影響を与えているのは、脳の構造や神経の働きである可能性が高いのです。
よって私たちが私たちを理解するときには、自分自身の感覚や感性をもってしか測れないため、そうした全体像を直感的に理解することは非常に難しいことなのです。だから、その手助けとして、「個性、障害、才能」というような線引、レッテルをはって、認識をしやすくしてしまいがちです。
主観的な体験の在り方に「正解」や「正しい姿」など存在しない
個々のパソコンのOSが異なれば、インプットとアウトプットが少しずつ変わってきます。もちろん、それを通じたデジタル世界の表現や見え方というのも変わります。オフィスなニュアンスのWindowsもあれば、アーティスティックで直感的で美しいMacのような認識もあります。
こうしたOSのようなものをそれぞれがそもそも搭載しており、それを比較することにセンスはないということになりそうです。
「違い」が捉えられるとき、その背景の文化や環境という要因によって、「違い」がハイライトされます。たとえば「個性」の違いが強調されて語られるのは、同じ文化圏を共有している者同士である必要があることを見つめてみれば、たやすく想像できます。
例えば、相手が外国で長らく生活をしてきた人だとわかったとき、特徴のディテールよりも、文化的な背景の方に意識が向いてしまうでしょう。人とはそうした前提を好む生き物であるということが「違い」の解像度を考える視点にもやをかけてしまうのです。
自分自身のバイアスを知りながら、ニューロダイバーシティの観点にも触れて人と人について考え続けてみることが、大切なのだと思います。
村中直人さんの著書はこちらの投稿「【「叱る」から人は、まったく学ばない!?】〈叱る依存〉がとまらない|村中直人」や「【叱っても人は、育たない!?】「叱れば人は育つ」は幻想|村中直人」もぜひご覧ください。
まとめ
- ニューロダイバーシティとは?――脳や神経の違いから、根本的に人の違いを理解するアプローチです。
- 人の認識とは?――自分の認知構造でしか、ものごとや世界を捉えることができません。
- 違いを知り、触れるには?――背景や文化、レッテルなどのバイアスを知り、向き合うことです。
