【無責任なカイゼンを見直そう?】ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか|村田聡一郎

ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか
  • どうしたら、ホワイトカラーの生産性を高めることができるでしょうか。
  • 実は、経営に問題があるかも。
  • なぜなら、全体最適の視点によるムダ取りと再配置が労働生産性のキーだからです。
  • 本書は、ホワイトカラーの仕事と価値を説く1冊です。
  • 本書を通じて、企業改革・変革のキーポイントを知ります。

御社の労働生産性はいかに?

前回の投稿「【仕事は、本来正しく“厳しい”!?】ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか|村田聡一郎」では、経済が低成長のまま25年以上を過ごしている失われた日本を見つめながら、ブルーカラーとホワイトカラーの仕事の違いをもとに、なぜ、ホワイトカラーで生産性が高くなりづらいのかについて、考えてきました。

そもそも、労働生産性は何によってもたらされるでしょうか!?情報を取り扱うホワイトカラーも、ものを取り扱うブルーカラーも総じて、キーになるのは、「業務プロセスの高度化」によるものです。これが高まることによって、コストダウンや最終製品の品質向上などが継続してもたらされることで、継続的に競争優位に立つことができます。

優れた企業はプロセスを高度化していく仕組みを持つ

「顧客価値の最大化を軸に、優れた業務プロセスを持ち、さらにそれを高度化していく仕組みを持っている」企業が、よりよい企業であると言えるでしょう。従業員は少しずつ入れ替わるものの、組織が永続できるのは、業務プロセスが標準化され、一定程度のスキルを持った人材であれば、代替することが可能です。社員どうしの連携がスムーズに流れていて、かつそれを常に見直していく仕組みが存在することによって、企業や組織の永続性は担保されます。

こうした企業活動の積み重ねとアップデートが「より良い企業」につながっていきます。

これまで、日本で優れた企業というと、「企業文化・社風」を第一にあげられることもあったかもしれません。たしかにカルチャーはとても大切なものです。しかし、これだけでは、今後21世紀で永続的に事業を展開していく企業の要件を満たしません。

なぜなら「企業文化・社風」は2つの点で弱みに転じる可能性があるからです。

ひとつは業務プレセスがきちんと定義されていないことのいいわけに使われてしまうことにあります。プロセス定義なんてしなくても、ちゃんと回っていればOKと、例えば現状を捉えていたとしても、次の問いに明確に答えることが可能でしょうか。

「グローバルで未来永劫勝ち続けるレベルで生産性高く」回っているか?

明確な業務定義を行い、それをシステムやデジタルで代替できるところを探せば、今の2倍、あるいは3倍の量を同じ人数で回せるかも知れません。従業員の数をもっと減らす余地がある可能性をみすみす捨てることはありません。

また、もうひとつの理由として文化・社風というのは、そこに馴染む人が「長くい続けている」ことが前提となっています。新しい人がそこに慣れて仕事ができるようになるまでには、長い時間がかかります。同一性が高く閉鎖的な組織を前提としてしまうと、外部環境の変化に対応しづらい組織になってしまいます。人材流動が激しい時代において、悠長なことを言っていられる環境ではありません。

これまでなぜ、日本のホワイトカラーの生産性が向上しなかったかという問題を考えるとき、業務プロセスを可視化し、管理し、アップデートしていくという、ローコンテクストの調整をすることなく、文化・社風というカルチャー側面でなんとか「あ・うん」で支えることができたことが一つの要因であると言えそうです。

カイゼンの功罪?

さらにもう1点、ブルーカラーの成功体験が原因と捉えることもできます。前回の投稿「【仕事は、本来正しく“厳しい”!?】ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか|村田聡一郎」にもあった、カイゼン活動を見つめてみましょう。

カイゼン活動は、製造業やサービス業などで広く採用されている継続的改善の手法です。日本語の「改善」に由来し、「小さな改善」を意味します。このアプローチは、従業員全員が日常業務の中で小さな問題点を見つけ、解決策を提案・実行することを促します。これにより、プロセスの効率化、品質向上、コスト削減が図られます。カイゼン活動の特徴は、トップダウンではなくボトムアップで進められる点にあり、従業員のモチベーション向上やチームワークの強化にも寄与します。企業全体で取り組むことで、競争力の強化と持続的な成長が期待できます。

これはあくまで、現場主導、つまり、個別最適の領域に閉じた改善であるということが前提になります。たしかに、ブルーカラーの現場でものづくりを行う時に、業務プロセスを作業者自身が創意工夫をして、より効率よくこなせるように改善していくことには意味があったし、効果も見出すことができたでしょう。

しかし、カイゼン活動だけに頼ることは、企業全体を見つめた時に不十分であることに気づきます。カイゼン活動は自分の目で見える活動内にとどまるため、全体最適の観点から、企業の業務プロセス全体をアップデートする視点を持つことができないのです。

全体最適を想定するとき、実は部分では非最適も容認する必要も生まれてきます。しかし、これまでのように現場主導で最適化を行ってきた自負や経験則が、全体最適を志向したいボードメンバーとの軋轢になったり、あるいはそもそも現場主導でしか業務プロセス(の一部)を見直すことしかしてこなかった企業にとっては、抜本的な取り組みをしていくこと自体が非常に難しいものごとのように捉えられてしまうということがあります。

しかし、残念なことに、付加価値を決める顧客サイドに立てば、「部分最適」の意味はありません。

顧客の視点から見ると、部分最適には意味がなく、意味があるのは全体最適だけなのである。

なぜなら、全体の領域のみしか、顧客から見ることができないからです。

ホワイトカラーといえど、フィジカルな領域で仕事をしてきた時代、たとえば、鉛筆と紙で帳票を管理していた時代、などは、部分的なカイゼンで、意味を見出すことができました。

しかし、情報革命後を生きる私たちは、さらに高度に情報を取り回すことができています。さらに、AIの登場によって情報を収集し一定程度の精度で加工するということが自動化されている今、全体最適の視点をもとに、さらに本質的な全体最適によるホワイトカラーの業務プロセスの再構築が求められていると言えるでしょう。

大切なのは、顧客のニーズを先取りして、提案型で業務をすることができるかというポイントを基軸に、受け身ではなく、積極性を持った視点で、全体最適の業務再設計を行うことが肝心です。この業務プレセスを見直すこと自体が、実はトランスフォーメーションであり、さらには、デジタルを利活用したDXにつながっていきます。

よって、IT部門に丸投げしていい問題ではなく、実は、経営が明確なビジョンを持ち、しっかりと舵取りをして、自社を再構築するプロジェクトであると捉えることができます。

経営者として必要な視点とは?

ホワイトカラーは何によって評価されるでしょうか。「作業量」?「作業時間」?、いずれも否であることが明確です。唯一の評価は、「提供価値」だけによります。

私たちは皆、長い社会人経験を通じて、情報の「価値」と、それを作るために投入したホワイトカラーの「作業量(時間)」との間には実はほとんど関係がない、と気づいているはずだ。

なぜなら情報の「価値」というのは常に相対的であるからです。情報そのものよりも、受け手の状況によって圧倒的に価値が左右されるのです。

1)適切な相手が情報を受け取り、
2)その意味を理解して行動を取り、
3)その結果として何かしらの経済的・社会的価値が発生したとき。

この瞬間にしか、「価値」としてみなされないのです。

上記3つに加えて、さらに4つめとして「適切なタイミングで受け取ること」という時間軸もキーになります。

いずれにしても、ホワイトカラーが提供する「価値」とは相手方(顧客等)の受け手のことを視野に入れなくては、全く考えることができないものであるということです。

ホワイトカラーが作っている情報は、ブルーカラーが作っているモノと違い、それを作るために投入した「時間」と「価値」がほとんど比例しない。ということは、これを裏返して考えるとどうなるか?
「価値」を大幅に高めつつ、「時間」は大幅に削減できる可能性も大いにある、ということである。

つまり、ホワイトカラーの「働かせ方」として正解なのは、「一生懸命に、丁寧にやるだけではいけない。成果=利益につながるか?を常に考えながら行い、つながらない場合には時間を投入することをやめなさい」という指示と、機運を高めていくということにつきます。

実際にドラッカーも知的労働者における時間の重要性は繰り返し強調しているところです。

知的労働者においては、時間の活用と浪費の違いこそ、成果と業務に直接関わる重大な問題である。
(中略)時間を無駄に使わせる圧力は、常に働いている。なんの成果ももたらさない仕事が、時間の大半を奪っていく。ほとんどは無駄である。

私たちの仕事を再定義して、本質的な価値の源泉に気づくことが、変革の出発点となります。

トップが現場に対して「カイゼンせよ、ムダを省け」と言うのは、無意味なだけでなく、無責任なのだ。上が言わなくてはならないのは、「少人化せよ、そのためにはグレーゾーン業務をやめていい」だ。

グレーゾーンは厄介です。100%ムダ!と言い切れる業務はすでにスクリーニングされている状態で、残った業務がグレーゾーンにひしめき合っているからです。

でも、もっと厳しく考えるのであれば、「人が回していること」自体に問題を置くことも大切です。

そもそも人は非定型の業務にあたり、創造性を発揮し、付加価値を増大させるためにあるのです。だから、人が行わなくても良いような定型の業務を、ともすればサボり、クリティカルな間違いをおかし、ムラのある人に任せておくこと自体がおかしいのです。すでにテクノロジーは十分に発達しています。なぜ、それを導入して、グレーゾーンを仕分けしないのか?経営者の視野と視点、そして覚悟が問われていると言っても過言ではないのかも知れません。

定型化できるところを機械/ソフトウェアにやらせ、その部分は「自働化」する「しくみ」を考え、構築するのがあなたの仕事だ。

次回の投稿においては、「データ」の重要性について見つめていきたいと思います。ぜひご拝読ください。

まとめ

  • 御社の労働生産性はいかに?――企業文化・社風で、なんとかケアできる時代は過ぎ去りました。
  • カイゼンの功罪?――部分最適には効果てきめんですが、全体最適の視点を持ちません。
  • 経営者として必要な視点とは?――現場のムダを取り、意味のない仕事をさせないための工夫です。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!