【ローマ史に人類の学びがある!?】教養としての「世界史」の読み方|本村凌二

教養としての「世界史」の読み方
  • どうしたら、学び深い人生を歩むことができるでしょうか。
  • 実は、歴史を知り、意味を汲むことが大切かも知れません。
  • なぜなら、愚者と賢者の違いがそこにあると、言われているからです。
  • 本書は、「世界史」とくにローマ帝国について俯瞰する1冊です。
  • 本書を通じて、歴史との向き合い方を考え、「世界史」の認識を新たにすることができます。
本村凌二
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賢者は歴史に学ぶ?

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

これは、ドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉だと言われているものです。自らの経験で捉えることのできないおおきなものごとの動きや仕組みを歴史を知ることによって、考えるヒントを得るということであると読む事ができます。

グローバルで活躍する人材が、歴史や哲学、あるいは美術、芸術を学び続けていることが、最近注目されています。きっかけは、山口周さんのこちらの1冊『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』が大きなものであったのではないかと思われます。

歴史から学ぶことは多く、しかし、歴史を学ぶには膨大な書籍や情報を見つめなければならないので、誰もが怯んでしまうというのが現実ではないでしょうか。本書『教養としての「世界史」の読み方』は、コンパクトな1冊の中に、世界史、とくにかつてない栄華を極めたローマ帝国の特徴について、完結にレビューがされており、世界史を一度に俯瞰する良書になっています。

著者・本村凌二さんは、専門を古代ローマ社会史とする歴史学者で、東京大学名誉教授です。本村凌二さんは、歴史から学ぶことの重要性を次のようにとらえています。

私にとっての歴史哲学とは、歴史の中から「意味」を汲み出していくことなのです。

歴史は、ひとつの事実です。**年に、何があった。というデジタルな情報の羅列に過ぎません。

しかし、そこに人の暮らしや人の思想、あるいは、国家の成り立ちや力関係など、さまざまな背景を想像すること、そしてそこにどのような意味が合ったのかを想定する過程にこそ、歴史を学ぶ意義や意味があるということを伝えてくれているようです。

実際に人が歴史に真に学べるかということは難しい問いです。実際に学んでいるのであれば、何回も世界大戦は繰り返されないし、隣国とのせめぎあいなども解消できるはずです。しかし、21世紀のいまなお、私たちは、多くの問題を抱えて生きています。そしてそれは、例えば、ローマ帝国時代においてもすでに問題として認識されていたことだったりもします。

そもそも人は、歴史に学びづらい生き物であるのです。それはなぜか・・

人間は見たいものを見るのであって、現実そのものを直視する人は少ない

こうした事実も含めて自分を理解していく過程が、歴史に学ぶということかも知れません。その先に歴史の教訓から自らの生き方を検討する視点や視野が得られると信じて、歴史に触れていきましょう。

ローマ史は人類史?

グローバルスタンダードの教養ともいえる「世界史」にふれるとき、いくつかの視点・論点が見出されます。

1)文明はなぜ大河の湖畔から発祥したのだろうか。
2)ローマとの比較で見えてくる世界とはどんなものだろうか。
3)世界では同じことが「同時に」起こるのはなぜだろうか。
4)なぜ人は大移動をするのだろうか。
5)宗教の存在意義とはなんだろうか。そして、歴史上の役割とはなんだろうか。
6)すべての歴史は「現代史」であるとは、どういう意味だろうか。

例えば、こうした論点を見出しながら、歴史を俯瞰しながら、自らの問いに答えや解釈を見出していく過程が、学ぶということにつながっていくようです。

特に、本村凌二さんは、ローマ帝国時代についてフォーカスします。

「ローマの歴史の中には、人類の経験のすべてが詰まっている」

このように語ったのは、政治思想史学者である、丸山眞男さんです。人類が経験することは全部、すでにローマ史の中で経験してしまっているのです。だから、この時代というのは、ある意味、歴史ないし社会科学の壮大な実験場だととらえてもよいほどです。

ローマの歴史は、文明の雛形と言っても過言ではない完璧なプロセスで、歴史の起承転結が展開されています。

簡単に俯瞰してみるとこのような感じです。

起(起こり):ローマの建国と初期の発展
紀元前753年に伝説的に建国されたローマは、最初は小さな都市国家でした。しかし、共和政(紀元前509年-紀元前27年)期において、イタリア半島全体を支配するようになり、その後地中海全域に勢力を拡大しました。ガリア戦争(紀元前58-50年)やポエニ戦争(紀元前264-146年)などの大戦を経て、地中海世界の覇権を確立しました。

承(承け):帝政の成立と黄金時代
紀元前27年にアウグストゥスが初代皇帝として即位し、ローマは帝政時代に入りました。これにより、政治的安定と経済的繁栄がもたらされ、「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」と呼ばれる約200年間の黄金時代が続きました。領土は最大に達し、インフラストラクチャーや法律、文化など多方面での発展が見られました。

転(転換):内乱と外敵の脅威
3世紀になると、政治的混乱や内乱が相次ぎ、軍人皇帝時代(235-284年)と呼ばれる不安定な時期が続きました。さらに、外敵(ゲルマン人やフン族)の侵入が激化し、ローマ帝国は東西に分裂(395年)しました。西ローマ帝国は次第に弱体化していきました。

結(結び):西ローマ帝国の滅亡と東ローマ帝国の存続
西ローマ帝国は、政治的腐敗や経済的困難、外敵の侵入により衰退し、ついに476年にゲルマン人の王オドアケルによって滅亡しました。一方、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は存続し、中世を通じて重要な文化・経済の中心地として続きましたが、1453年にオスマン帝国により滅亡しました。

例えば、19世紀のイギリスや、足元の時代のアメリカを彷彿とさせるストーリーにも見えますし、あるいは日本で言えば江戸時代が相似形のように見えてきます。

ローマ史における問い、「なぜ、隆盛できたのか」「なぜ、あれほど安定した支配をつづけられたのか」、そして、「なぜ、没落してしまったのか」という問いをもとに、この時代を駆け抜ける視点を持つことで、今に生きる私たちの世界を考えるヒントを多く得ることができるはずです。

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困難が文明を生んだ?

文明の発祥という原点を見つめていくとき、人が行動することのきっかけや、集まることの意味やその重要性が見えてきます。

文明発祥に必須なもの、それは「乾燥化」です。

四大文明などの文明が発祥したとき、世界では大規模な乾燥化が進んでいました。これは、とても重要なことですが、残念ながらあまり指摘されていないことでもあります。

アフリカや中東の乾燥化が進んだことによって、そこに住んでいた人々が水を求めて、大きな側や水辺に集まってきました。それがアフリカの場合では、ナイル川で、中東の場合では、インダス川で、中国では、黄河や揚子江といった大きな川だったのです。その中でも特に立地の良い場所には人が集まってきます。それが、チグリス・ユーフラテスやナイル川の畔でした。

少ない水という資源をどのように活用することができるのか?という問いを共有しながら、人は智恵を巡らせます。なにせ、命に関わることですので、必死です。環境に恵まれないこと、そして人が集まりさらに、限られた資源を上手に活用することが絶対的な課題になること、そして、同時に智恵が集まる環境があるということも含めて文明の誕生には欠かせないエッセンスとなったのです。

これは、抽象的に捉えることが、もしできるのであれば、人が何か新しいものごとを生み出すときに役立つ視点ではないかと思われます。恵まれた環境には文明は生まれないし、育たたない。一定程度の困難な状況が人の本当の力を育てるのかも知れません。

まとめ

  • 賢者は歴史に学ぶ?――歴史に意味・解釈を見出すことが大切です。
  • ローマ史は人類史?――ローマ帝国の時代に、人類の経験は詰まっています。
  • 困難が文明を生んだ?――人が新しく何かを見出す時に、制約条件は必須です。
本村凌二
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