- どうしたら心を乱すことなく、平穏な人生の時間を積み重ねることができるでしょうか。
- 実は、禅の教えが大切かも。
- なぜなら、禅は心に波を立てないことを目指すために修行を行っているのです。
- 本書は、禅僧である枡野俊明さんによるおだやかな心を磨くための1冊です。
- 本書を通じて、自分の心を見つめる機会を得ることができます。
おだやかさと禅?
禅の智恵には、心をおだやかにして生きるためのヒントがたくさんつまっています。人が苦しいのは、ものごとに過剰に反応してしまって、心が苦しくなってしまうからです。平常心を貫いていれば、悩むことはありませんし、ものごとに動じなくなりますし、なにより素直な自分でいることができるので、実は最高のアウトプットが可能になります。
素直な自分でいられれば、自分が求めるもの、あるいは求められるものごとに対して正対することができます。そのことで、真正面から自分のちからを活かして、アウトプットを繰り返し、対象との関係をよりよいものとして築いていくことができます。結果的にそのことが、さらなるご縁を育んでくれるでしょう。
禅がめざすもの、それは「おだやかさ」といっても過言ではないかも知れません。
おだやかさとは、自分らしい生き方の「結果」として、内側からにじみ出てくるもの。
大切なのは他の誰でもない自分自身を見つめて、確固たる存在としてあるがままを受け入れてあげることです。作り繕わず、素直な自分で行ってみましょう。一度限りの人生にくいを残さないように、1日1日を「生ききる」ことを目指していきたいものです。
禅においては、心おだやかに過ごす日々そのものが修行ともいえます。
人の心は水面のようなもので、外部の刺激や自分の心持ち次第で、その鏡面のような水が波立つことがあります。心が揺れているということです。すると何が起きるか・・・自分自身が素直に映らなくなるのです。あるいは、そこから見つめるものごとが歪んで見えてしまいます。だから、心が平常であることを禅ではとても大切にしています。
世界というのは、そもそも、これといって固定的なものではありません。世界自体も時々刻々と変化しているし、なにより、それを受け取る自分自身は感覚や感情などのフィルターを通してしか、その世界を認識できないのです。だから、誰一人として同じ世界観を持っている人はいないのです。
そんな曖昧な世界観だからこそ、自分の心を磨き、おだやかな鏡面に映して見つめることができれば、きっとより輝いたものになっていくでしょう。
おだやかさがあると?
仏教では、縁を大切にします。これは、世界の真理として説かれていることです。縁とはすべてのものごとがつながっているということを指します。人と人、あるいは、人ともの、さらには、ものともの、すべてが繋がっていて、つながっていることで、形作ってそこに存在しています。縁を否定するということは、この世界の成り立ちやものごとの存在自体を否定することになってしまいます。
大切なのは、人は世界によって生かされているという感覚を持つことです。これを仏教ではすすめてくれます。人は一人で生きられないということですね。
この観点で見つめてみても、やはりおだやかであることはとても大切なことだと認識できます。
自分の笑顔には、自分の周りにいる人たちをおだやかにする力があるのだと心得ましょう。
難しいことは、何ら必要ありません。相手がどうであれ、笑顔を絶やすことなく身近なところから、穏やかさの輪を広げていけばいいのです。
そして、特にまず認識したいこととして、「本人が優秀かどうか」よりもまずは、「始終、おだやかな心をもっているかどうか」がビジネスや日常の世界でも問われていることに気づいてみましょう。まずはスタートラインということです。平常心や平静であることが、起点となって、そこにスキルや優秀さのような他者からの見立てが積み重なっていきます。
大切なのは、おだやかさというのは、人と人をつなぐ基盤、すなわちプラットフォームのようなものだということですね。
穏やかな心を持ちながら、人生の主人公として今を生きましょう。いま、自分の目の前にある仕事に対してご縁を感じて、自分にしかない立場、自分にしかない感性を総動員して、ものごとに真心を込めて当たるのです。その結果、きっといいことがあるようにも思えるくらいの感覚で、打算的に動くのではなく、熱心に取り組みを進めてみましょう。
禅ではこの「いまここ」という時間軸の捉え方も重視します。過去に悩み、未来を憂うのではなく、いまここが大切です。というのも、過去も未来も、自分自身が作り出した幻想でしかないからです。それは存在していないものと同じ。だからこそ、今というファクトベースで正しく生きようと、非常にロジカルな教えを説いてくれているのです。
感謝で締めくくる習慣を!?
心のおだやかさは、伝染します。だから、身近な人で尊敬する人や、自分を大切にしている人、あるいはありのままの状態で活躍している人のそばで、学ぶということも大切です。
学ぶと言ってもなにかカリキュラムをこなすとかそういうことではなく、ただひたすらに時間をともにすることです。3日でも、10日でも、100日でも、そして1年でも、そうすれば御香の香りが着物に移るように、あなたの心にも、「おだやかさ」が染み込んでくるはずです。
人と人が相対する時に特に大切なのが、言葉や態度という表面的なことではなく、心であることは言うまでもありません。コミュニケーションとは、究極的には、心と心のふれあいということになるでしょう。
心と心のふれあいがどうこうということは、言葉にして教えられることではありません。
禅の修行にしても、言葉で教えられることは、ほんのわずかです。
禅僧の弟子たちは、自分自身で考え、悩み抜いた末に「こういう生き方でいいのか」と悟ったときに、「そうだよ」と師に教えられるのみだそうです。そのような形でしか、教えられないことがあるというのは、とてもワクワクすることです。
私が申し上げたいのは、コミュニケーションにおいては、言葉そのものではなく、そこに込められた心が大切だということです。心を伝えるためなら、ときに言葉すら、いらないこともあるのです。
時に言葉が不要の場合もあるでしょう。おだやかさを知る人は、もしかしたら「沈黙」の大切さを知っている人かもしれません。沈黙には価値がある。それによって、もしかしたら自分と相手の心の橋渡しが可能になるかも知れません。何かを喋り続けることが価値ではなく、時に沈黙の中で心を通わせるということの「余白の意味」を感じながら、1日1日を大切にいきたいものです。
「おだやかさ」を身につける習慣を持ちましょう。例えば、一日の終りに感謝で締めくくるということもとてもよいです。「今日も1日無事に過ごせました。ありがとうございました」といって、就寝して、心に凪がくることを確認するのです。
今日から始めてみましょう。
そして、禅の教えについては、ぜひ枡野俊明さんの他の著書についてもご覧ください。「【人は本来何も持たないし、持てない!?】[持たない]|枡野俊明」や「【掃除とは、日常の修行である!?】人生を好転させる掃除道|枡野俊明」も大変おすすめです。
まとめ
- おだやかさと禅?――禅は、畢竟、絶え間ないおだやかさを求める道です。
- おだやかさがあると?――縁を大切にして、活かすことができます。
- 感謝で締めくくる習慣を!?――1日1日を感謝で締めくくりながら、大切に生きましょう。