- どうしたら、人生の舵取りを上手にできるでしょうか。
- 実は、東洋哲学の思想に触れてみることが大切かも。
- なぜなら、東洋哲学が究極的に求めるラクさを支えているのは、本当は自分なんて幻想だ、という考えであり、これにふれることで、世界の見立てがガラリと変わっていくからです。
- 本書は、若くして辛苦をなめたしんめいPによる東洋哲学にふれる1冊です。
- 本書を通じて、生き方、生き様について考えるヒントを得られます。
東洋哲学の出発点とは!?
本書は、すべて(職、家族、家)をうしなった、しんめいPが、人生に苦悩する中で、仏教を初めとする東洋哲学に触れ、ラクになっていく過程を記したnoteの記事が原点となっています。ご自身の壮絶な(?)ご経験からくる、すごい説得力と、愉快で軽快な筆致で、本当に思想の本なのかな?と思えるくらい、楽しくあっという間に読めます。
それでいて、かなり深い思想に触れていただけるので、多くの方にとって、1日1日をラクに生きるヒントがたくさんある1冊に仕上がっていてすごいです。
「自分」とはただの「妄想」。ほんとうは、この世界は、ぜんぶつながっている。よく観察すればわかる。
逆に、どこに「自分」がある?
実際に、自分を物質的に理解してみても、数ヶ月~数年ですべての細胞は入れ替わります。だから、自分が自分だと思っているものは、どんどん入れ替わって、新しくなっているのです。
そう考えると、意識だってどんどんかわっていくなぁと気付くと思います。これまで好きだった食べ物が嫌いになったり、これまで嫌いだった人を突如として好きになってみたり、人間なんて曖昧なものです。
それもそのはず、人はつながりの中で生きているからです。つながりの中で結果的に自分というものを認識できるに過ぎません。
この世界は、全部つながりすぎている。
逆に、どこに「自分」がある?
これが東洋哲学の根本の考え方です。確固たる自分という存在はない、まわりとのつながりの中で、結果的に自分が出来上がってきているように感じるだけ。そして、そのすべては認識が生み出す幻想でしかない。ということです。結局何によりどころを求めればいいの?というスタートですが、そう認識することで、苦しみからすこし解放されます。
なぜなら、苦しみの根源となっているのは、常に「自分」という確固たる存在がある、と信じる気持ちだからです。
自分が原因!?
人生の苦しみの原因は、自分です。
すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」なのだ(!)
苦しみをなくす、衝撃の方法
だから、苦しみをなくすには、自分という存在があると信じる気持ちを疑うところから始める必要があります。ブッダもこう言ったといいます。
「おれがいるのだ」という慢心をおさえよ。
ウダーナヴァルガ 30章19
これが最上の楽園である。
世界を河川だとしたとき、そこに踏みとどまろうとすれば、とても力が必要です。この無理ムダ、踏ん張る力が苦しみになります。川の流れに身を任せながら、小さな力で舵取りをしていくことも案外良いかも知れませんね。
世界は「空」である!?
で、この世界の認識についてなのですが、これについても東洋哲学は、すごい見解を示します。それは、この世界というのは、ぜんぶ「幻」と言い切るところです。フィクションなのです。フィクションとは言いすぎかも?と思われるかも知れませんが、そう認識することで、ものごとをよりよく見立て、真実に触れるヒントを得ることができます。
「ミッキーマウスは、存在するか?」と聞かれたら、どう答えるだろうか?
世界が激変するヤバい哲学
みんなの心には「いる」。
でも実際には「いない」。
「いる」とも「いない」ともきめられない。
この絶妙なかんじ。これが「空」なのだ。
たしかに、ディズニーランドも、会社も、国という存在も、あるいは、家族やその中での役割というのも、すべてがフィクションなのかも知れません。いや、実は本当にフィクションです。そうやって定義して、いるからこそそのように見えているだけなのです。
ぼくらは、幻をみることに慣れすぎている。
みんな魔法を使っている
かりに目の前に「社長」がいたとしましょう。その人が「社長」であると互いが認識することによって、その人は「社長」を演じ、そしてそれを知った人は「社長に対応する人」を演じます。驚くべきことに、私たちは、そのような縁起で1日1日を組織の中で過ごしているのです。
あるいは、物質的なものも考えてみましょう。例えば、「コップ」。眼の前に「コップ」があったとして、それに花が生けられていたら?それは、過敏になります。あるいは、必要のない人が見たら、たちまちそれはゴミやリサイクル品に見えるかも知れません。
実は、物質的なモノでも、定義は曖昧なのものなのです。
何に境界が引けるか、ということもとても曖昧になっていきます。なんせ自分という存在もすべてのつながりの中で結果的に見えている幻でしたから、あるいは、眼の前の「社長」や「コップ」でさえその定義が極めて曖昧なものであることに気づいてしまいました。
そういう、世界や自分、あるいはものごと全部の見立てをガラリと変えてくれるのが、東洋哲学です。当たり前を疑うために、とても素敵な刺激を絶えず提供してくれます。
本書『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』は、そんな一見難しそうな、東洋哲学の入門書として抜群に面白いと思いますし、多くの人の手に触れていただきたい1冊だと思いました。
まとめ
- 東洋哲学の出発点とは!?――すべてつながっていて、自分はないという思想からスタートします。
- 自分が原因!?――確固たる自分の存在を守ろうとして、苦しみを感じているだけです。
- 世界は「空」である!?――すべてが幻だから、「自分」に悩まなくてOKです。