【「不合理」を活用しちゃおう!?】予想どおりに不合理|ダン・アリエリー

予想どおりに不合理
  • どうしたら前向きに1日1日を積み重ねることができるでしょうか。
  • 実は、不合理に抗うのではなく、それを活用しちゃうことかも。
  • なぜなら、不合理であっても、理想を現実に変える力が人にはあるからです。
  • 本書は、人の避けられない不合理さを説く1冊です。
  • 本書を通じて、私たちの潜在意識について意識を向けることができます。

私たちは何に惑わされているのか!?

昨日の投稿「【これが、人間の性(さが)!?】予想どおりに不合理|ダン・アリエリー」に続き、もこちらの1冊「予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」」をレビューさせていただきたいと思います。

私たちは、自分の意識にあたかも自覚的なようですが、しかし残念ながら、自分の意識とは異なるところで、判断をしていて、それについて必ずしも合理的でないものも含まれています。あるいは、ほとんどそうであるとも言っていいかも知れません。

わたしたちは、ほとんどいつも暗闇を手探りで歩きまわっている。

8章 高価な所有意識

まず、私たちを惑わせるインサイトを3つ見てみましょう。

1)自分がすでに持っているものに惚れ込んでしまう。
2)手に入るかも知れないものではなく、失ってしまうかも知れないものほど、注目してしまう。
3)他の人が取引で、自分と同じ視点を持っていると勘違いしてしまう。

この3つの所有に関する意識の土台が、自分たちの選択や選定の視点を狂わせてしまいます。

手に入れることよりも、手放すことのほうが、苦痛が伴うし、自分が中古車を販売しようとしている時、相手方も味わい深いエンジン音に魅力に共感してくれると思っている・・(本当は、凹んだバンパーのほうが気になっているのに)。

厄介なことにこの所有意識というのは、モノだけによらないということです。ものごとに対する考え方や見方についても同じことが言えます。自分が信じているものごとを手放すことがなんと難しいことか・・感じてみることが大切でしょう。

その結果、残るものは何か。かたくなで柔軟性のないイデオロギーだ。

8章 高価な所有意識

所有から距離を取ることがキー!?

どうしたら、この「所有意識」によらない考え方やものごとの見立てができるようになるでしょうか。できることがあるとすれば、それは、ものを自分が所有している感覚を極力排除することです。どんな取引(とくに大きな取引において)でも、あえて自分と目的の品物のあいだにある程度の距離をとって、できるだけ自分が非所有者であるかのように考えるのです。

著者ダン・アリエリーさんは、禅の心が大切だと説きます。自分が托鉢僧になったように、喜んで捨てる(喜捨:きしゃ)心構えで、ものごとと向き合う時、かえって自分が得るものも多いのかも知れません。

「1すてれば、2手に入り、2すてれば、4手に入る」あるいは、そうして捨てるということ自体に価値を見出し、自由を得ることにつながるかも知れません。

残念な?ことにこの世界は、常にフィクションです。自分というフィルターを介在してしか捉えることのできないからこそ、フィクションであると言えます。であるとすれば、そのフィクションをどうしたらノンフィクションにしようかと頑張るのではなく、フィクションをフィクションとして認めながら、俯瞰して上手に付き合っていくほうが、無理なく楽しい人生を目指していくことができるかも知れません。

わたしたちはみんな、自分がなんの力で動かされているかほとんどわかっていないゲームの駒である、ということだろう。

15章 ビールと無料のランチ

現実と願望を入れ替えてはいけません。自分の自己認識でさえもフィクションであるため、そう信じることが、自分を作っていくことになっているだけなのです。

自分を制御できるのか!?

わたしたちは、目の錯覚に引っかかるのをどうすることもできないように、心が見せる「決断の錯覚」にころりとだまされてしまう。

15章 ビールと無料ランチ

自分の動き方や判断を制御することは難しい・・・でもなんとか深層心理にアクセスして、自分のマインドセットを高めて、自分を勘違いさせ続けることはできないものでしょうか。

問題は、視覚や決断の周囲にある状況が、目や耳や、嗅覚、触覚、さらにはその大元締めである脳によってフィルターをかけられている状態です。上述の通り、私たちは常にフィクションを生きているのです。いくら現実と同じものを見ようとしても、それを近くするには、自分の感覚と自分の認識を通してでしか、インプットすることができない、そうした曖昧な認識の風船に包まれた状態で、最後まで底から出ることなく、生涯を過ごします。

私たちは、自分というフィルターを唯一の入力方法としています。

要するに、わたしたちには自然から与えられた道具しかないため、自然にくだす決断はその道具の性能や精度の制限を受けるのだ。

15章 ビールと無料ランチ

不合理が当たり前であるからと言って、どうしようもない!ということではありません。それを知り、客観的になり、自分の意識を極力書き換えて、自分が目指したい姿を描き出すことによって、自分の行動の蓄積はコントロール可能です。自分が見たい景色を想像するだけで、私たちは、無意識に自分をそこに連れて行ってくれるようにできているのですから。

深く考えることができずに、行動する私たちを、なんとか制御する方法は、自分を信じることです。自分を信じて、未来に向けてどのような理想を描き出すのかを、意志に言葉を与えることなのです。

意志に言葉を与えて、それを手に取ることができた時、私たちの不合理な決断は、その意志に向かって動き出すことができる。そう信じて、私たちは、絶えずアップデートを重ねていくことが、豊かで幸せを感じられる人生を手に入れることにつながっていくと信じて。

こちらの1冊「【まず動くこと!?】考える前に動く習慣―――始める、進める、続ける 禅の活かし方|枡野俊明」もぜひあわせてご覧ください。ものごとの考え方っていろいろです。自分を見定めて、まず動き、「修正主義」で積み重ねていくことで、何かいい方向への道がひらけてきそうです。

予想どおり不合理であるのであれば、その不合理さを活用して、どこまでも道を切り開いていくことができるのだと信じたいですね。

まとめ

  • 私たちは何に惑わされているのか!?――何かを「所有できる」という幻想です。
  • 所有から距離を取ることがキー!?――もたない、こだわらない、結果、自由を得られます。
  • 自分を制御できるのか!?――自分が信じることを見つけられれば、その方向へと不合理に動きます。
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