【意味とはそもそもなんだろうか!?】人生に「意味」なんかいらない|池田清彦

人生に「意味」なんかいらない
  • どうしたら肩の力を抜いて、もっと自由に生きられるでしょうか。
  • 実は、意味について客観視してみることがポイントかも。
  • なぜなら、意味とは一義的に決められるものではないからです。
  • 本書は、意味について考える1冊です。
  • 本書を通じて、人生の当たり前を疑うことが可能になるでしょう。
池田清彦
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意味とはなんだろうか!?

子どもの言葉の成長を追ってみると、意味という概念の不思議に気づきます。最初は、「まま」や「いぬ」や「ねこ」のように対象物がハッキリとしたものを覚え始めます。その後、対象物が不確定な言葉、たとえば、「国家」や「幸福」や「人生」などといった言葉も覚え始めるでしょう。これらには明確な形がなく、本来人とその内容を共有することは難しい概念です。

しかし、人間は言葉を生み出し、それを代々受け継いできており、社会を構成してきているので、そうした言葉をあたかも全員が同じように了解した言葉として使っています。誰にとっても、ほぼ同じ意味を持つという幻想にとらわれているのかもしれません。

人生というのは、変化の連続です。人はそもそも変化をするのが苦手な生き物です。維持バイアスがかかるため、なるべく変化を避けて、(自分にとって)変化の少ない道を選ぼうとします。時に、冒険もすることがありますが、しかし、本能的には生存のために、変化を避けます。

だから、変化の多い人生に向かっていくため、自分で何らかの解釈をする必要があります。辛いことやきついことがあっても、そこに意味を見出せば、自分で解釈して頑張ることができる・・あるいは、その反対に、良いことや幸福なことがあっても、それの恩恵を解釈して、次の歩みにつなげることができる。

人生に意味を見いだすことは、人間が生きるために不可欠なようにも思えてしまいます。

ただし、著者である池田清彦さんは、この意味について、次のように警鐘をならします。

自分が信じた人生の価値を絶対的だと思い込んだ人の最大の欠点は、自分の思い込みに反する人をあたかも人類の敵のごとく攻撃することだ。

私が「人生に意味はない」と考えたわけ――まえがきに代えて

「人生」という言葉が、人それぞれの別々の概念であったのと同じように、それに紐づく、意味も異なるとも考えられます。なのに、あたかも私たちは、「人生」とは○○であるべきだという固定の概念を運用して、そしてそれを他者にも強いているように感じます。

ところが、コトバは何らかの対象を指し示すはずだと信じていると、指示対象が外部世界になくとも、「人生」はある同一性を孕んだ概念を意味するに違いないというドクサ(臆見)にとらわれてしまう。

私が「人生に意味はない」と考えたわけ――まえがきに代えて

厄介なのは、社会全体が共通認識を持っているように振る舞うことかもしれません。

役に立たないことは悪いことなのか!?

資本主義社会が台頭する中で、人生の意味は一義的に規定されるように、力が書けられているようです。それは、「役に立つこと=いいこと」という根底の考え方によるものです。

資本主義には、3つの役割が存在します。まず、資本を投じる資本。そして、資本を投じて生産を行う土地。さらに、その土地で資本家の元、労働を提供する労働者です。この3つがそれぞれの市場を形成して、相互にやりとりを発生させながら、社会全体に富をもたらしていきます。

この中で、資本主義における労働者の役割は非常に重要です。資本主義経済では、企業や雇用者が生産手段(工場、機械、土地など)を所有している一方で、労働者は自分の労働力を提供します。労働者は賃金を得るために労働力を提供し、企業はその労働力を使って商品やサービスを生産し、市場で販売します。

労働者には、常に次のような機能を強います。

  1. 生産への貢献: 労働者は物理的、知的、技術的な労働を通じて、商品やサービスの生産に直接貢献します。
  2. 経済の動力: 労働者による生産活動は、経済成長の主要な動力です。彼らの労働によって生産された商品やサービスが経済を構成します。
  3. 消費者としての役割: 労働者は賃金を得ることで消費者となり、市場で商品やサービスを購入します。この消費活動が経済の需要を生み出し、経済サイクルを維持します。
  4. 市場の変化への適応: 資本主義経済では、市場の需要や技術の進展によって職種が変化します。労働者はこれらの変化に適応し、必要なスキルを習得することが求められます。

現代は、人間の人口の多くが労働者として働く世の中になっています。よって、労働者たる人々は、役に立つことを信じます。

「役に立つ=いいこと」という幻想を頭から取り払う必要がある。

「役に立つ=いいこと」は資本主義が生んだ幻想

現代は資本主義が世界中に行き渡った、グローバルキャピタリズムが展開され、一番価値があるのは、お金を稼ぐことになっています。お金を稼ぐ企業、できる道具が「役に立つ」ものであって、それができないのは「役に立たない」と評価されます。したがって、会社で一番重宝されるのは、安月給で一番会社に貢献する人ということになります。

現在の権力は資本主義にあるので、もし私たちが利己的に自分の幸せ、自分の楽しみ、自分の喜びだけのために、「ねこ」のように生きることを選ぶと、資本主義はそれをよくないものだ!と避難してきます。なぜなら「役に立たない」からです。

「利己主義」「利己的」という言葉を用い、資本主義は利潤の追求をさらに強化するために、「役に立たない」とする人を指摘し続けます。

資本主義については、こちらの1冊「【資本主義とはそもそも何か!?】面白くて眠れなくなる社会学|橋爪大三郎」もぜひご覧ください。資本主義とは何かについて、明快に説いてくれています。

池田清彦
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意味はどう使うか!?

本来、一人ひとりの人間が異なるように、人生にもそれぞれの意味があって良いはずです。人間は「個性」が異なるのですから、人生の意味だってそれぞれが決めるべきなのです。

いろいろな生き方があるなかから、自分が一番生きや類のはどういうものかを考えてみよう。

環境に適応できないなら逃げればいい

働かないで株の取引で食べていくのが一番いいという人もいるでしょう。なるべく若いうちに一生分を稼いで、アーリーリタイアしたい人だっているでしょう。組織に属して人と付き合って働き続けることを良しとする人もいるでしょう。

結局、自分の感性とか目的とか、関心相関性によってどんな生き方が望ましいかが決まってくるわけだ。

観葉に適応できないなら逃げればいい

そして、こういう判断やその判断の元になる、意味というのは、常々変わっていっても良いのではないでしょうか。たとえば、コロナ禍があげらるでしょう。コロナによってリモートワークが普及する中で、個人や組織の働き方も大幅に変更になりました。こうした中で、まえと同じ考え方で働き続けることは、やはり不都合のほうが大きいと多くの人が実感したのではないでしょうか。

人生の意味を固定的かつ一義的に、決め込むのではなく、柔軟にかつ個別的に考えて運用しても良いのではないでしょうか。

個人だけでなく、能動的適応という発想を組織や社会全体が持つことができるようになれば、私たちの生きているこの社会は、確実に変わっっていくはずだ。

環境に適応できないなら逃げればいい

資本主義が決めた、「役に立つこと=いいこと」から少し離れて、自分で自分の意味を見つけてみることが大切です。そして、決して価値があるとは、人によって決められることではなく、つねに自分の側にあることを意識し続けてみましょう。

次回の投稿では、生物の世界から意味について考えを巡らせてみましょう。

まとめ

  • 意味とはなんだろうか!?――意味とは一義的に決められると錯覚しがちなものです。
  • 役に立たないことは悪いことなのか!?――資本主義が決めたひとつの価値です。
  • 意味はどう使うか!?――意味は、自分のために使うもので、人に決められるものではありません。
池田清彦
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