- インバウンドの時代、日本文化のコンセプトを客観的に知ることも重要です。
- 実は、山・花・鳥・神・風・月などの言葉を丁寧に追うと、私たちの文化を知るきっかけを得られます。
- なぜなら、日本の風土に住む人々が、そこに投影してきた、プリミティブな世界観があるからです。
- 本書では、千夜千冊で知られる松岡正剛さんが、日本人の世界観について説きます。
- 本書を通じて、新たな日本人への見立てを得ることができるでしょう。
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むこう(there)とこちら(here)の認識とは!?
日本に住む人の価値観を捉える上で、重要なのは、「むこう」と「こちら」という、「対」です。それはなぜか?もともと「山」への畏怖から私たちの感性がスタートしているからだと、松岡正剛さんは説きます。
古代人にとって「山」というものはアナザーワールドです。山は別世界であり、「彼方」あるいは「行方」をさしている。
第十章 月
国土の多くが山の島国に住む人々にとって、その険しい環境がもたらすめぐみに感じた畏怖は、それは絶大なものだったでしょう。過去の投稿「【日本文化をカミから、客観視する!】日本人の神|大野晋」でもありましたが、日本の風土はイージーモードな環境です。食べ物に困らないから、沙漠の世界のようにデスゲームじゃないからこそ、四季折々の微妙な変化を愛で、歓迎する文化が育ちました。
日本に住む人々は、命を育む偉大なる象徴の「山」に母体を重ねていたといいます。ところが、時代が下るに従って、そこに分け入って暮らさない人も現れました。ここで、「むこう」と「こちら」という「対」が現れます。
「こちら」側では、母体に代わるよりどころを作り始めます。これが、古代国家に変容していきます。道ができ、辻ができて、人工的なよりどころは発達していきました。生きやすいかというとそうでもない。疫病が流行るし、天災も起きる。山の中で暮らしていた時とは、まったく異なる脅威を目の当たりにします。
人々は「むこう」側の力にすがろうと、神を想像し、呼び寄せます。そして、その気配のありがたみをかじるようになるのです。
「対」をつなぐ「概念」と「メディア」とは!?
神的なもののは、直接目に見たり、触れることができません。なぜなら、それは四季の移ろいのようなものだからです。だから、日本に住む人々は、その気配を知らせてくれる、鳥や風を求めました。まるで、情報媒体(メディア)のようです。
そもそも「神」の本質は見えない情報の動きにあります。それは山や海の彼方から「おとづれ」として影向し、またどこかえ送られて戻っていく。日本の神は送り迎えを必要とする神でした。
第十章 月
「アゴアシ付き」じゃないと神様は、来てくれない(しかも一定期間で去っていく)わけですが、いまでもお盆の風習を見てみると、そんな捉え方が端的に出ていますよね。日本に住む人々は、どうもこの「むこう」に対する恐れを持ちながらも、「こちら」で満たされることのない生活を送っている感覚を、心の奥底に持ち合わせているようなのです。
花鳥風月の動向を見ることは、もともと万葉時代の「季節の呼び寄せ」にはじまります。
第十章 月
些細な四季の変化を通して、めぐみを頂いていた私たちは、「ぶじに巡る」ことへの兆しを求め続けてきました。そして、細やかな自然の中で、小さな感謝を繰り返してきたのです。
私たちの世界観とは!?
「むこう」を希求し、「こちら」に住む、そんな私たちにとって、世界観はどのようなものでしょうか。
われわれはつねに「片方」を失った存在です。しかし、何の片方を失ったのか、それがよくわからない。その片方を求める旅はいつまでも続きかねません。
第十章 月
満ちてかける月に、そんな何かをなくした気持ちを投影してきたとも、松岡正剛さんは語ります。
ここで、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」(過去の投稿「【私たちが生きる意味とは?】愛するということ|エーリッヒ・フロム」)を思い出します。フロムは、人類の歴史とは、一体化に向けた試行錯誤だったと語ります。例えば、動物の崇拝、生贄を捧げた自然との一体化、軍隊による征服、贅沢にふけること、禁欲的にすべてを断念すること、仕事に熱中すること、芸術的な創作活動に打ち込むこと、これらは全て孤独を克服するための慰めというのです。
そして、ここから芸術活動=アートが生まれたと、フロムは語ります。
花鳥風月が、たしかに、私たちにとって儚く、美しさをまとった、ものごとのように暗に感じれられること、とつながったような気がします。
ところで、「セカイ系」という創作ジャンルがあります。セカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と説明されています。(サブカルチャーを論じる批評家として注目を集めていた東浩紀を中心に発刊された『波状言論 美少女ゲームの臨界点』編集部注より/Wikipedia)
代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作を挙げ、肯定的な評価を与えたとのことで、2004年くらいから盛んに活字媒体で登場したジャンルだそうです。
あまり安直に、時事に結びつけるのは良くないのかもしれないですが、2000年代初頭の日本は、長引くデフレ不況から出口が見えていない状況でした。今もですけど。もしかしたら、そんな「こちら」側を憂いた私たちにとっての、「あちら」を召喚する、あるいは、「対」を隔てる「境」を突破する夢の見られる、ある種の現代版花鳥風月の結実であった、のかもしれないと思いました。
まとめ
- むこう(there)とこちら(here)の認識とは!?――母体としての「山」への畏怖から始まった私たちは、やがて「山」から降りることで、「むこう」と「こちら」という「対」の概念を持ちました。
- 「対」をつなぐ「概念」と「メディア」とは!?――「むこう」の動向を知る手立てとして、さまざまな情報を頼りにしました。たとえば、鳥、風など。
- 私たちの世界観とは!?――「対」によって隔てられた「境」を感じる世界です。
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