【死にざまから見る哲学とは!?】生き物の死にざま|稲垣栄洋

生き物の死にざま
  • 生き物の死にざまを考えたことがあるでしょうか。
  • 実は、地球上にはさまざまな生き物がありますが、その生き物ならではの死にざまというものもあり、これを通じて哲学することも可能なのです。
  • なぜなら、多様な死にかたに向き合うことから、いかに生きるかという問いが浮かんでくるからです。
  • 本書では、静岡大学教授の農学博士である稲垣栄洋さんが、人間から見れば壮絶な、想像できかねる死にかたをするさまざまな生き物の生涯をどくとくな筆致で追いかけることができます。
  • 本書を読み終えると、死ぬとはなんなのか、ちょっと立ち止まって、反対のいかに生きるかについて、新しい角度で考えられるきっかけを得ることができるでしょう。

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稲垣栄洋
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本書には、数多くの生き物の死にざまが描かれます。その数、29。その中から、わたし的にインパクト大だった3つの生き物を取り上げてみたいと思います。

ハサミムシの死にざま

あろうことか、子どもたちは自分の母親の体を食べ始める。そして、子どもたちに襲われた母親は逃げるそぶりも見せない。むしろ子どもたちを慈しむかのように、腹のやわらかい部分を差し出すのだ。母親が意図して腹を差し出すのかどうかはわからない。しかし、ハサミムシにはよく観察される行動である。

2 子に身を捧ぐ生涯――ハサミムシ

これは衝撃的です。子がうじゃうじゃとよってたかってお母さんを食べちゃうんです!

これに対して著者の言葉がこれまた、深みがある・・・

遠ざかる意識の中で、彼女は何を思うのだろう。どんな思いで命を終えようとしているのだろうか。子育てをすることは、子どもを守ることのできる強い生き物だけに与えられた特権である。そして数ある昆虫の中でもハサミムシは、その特権を持っている幸せな生き物なのである。そんな幸せに包まれながらハサミムシは、果てていくのだろうか。

2 子に身を捧ぐ生涯――ハサミムシ

昆虫に、ここまでの意識があるのかどうかはわかりませんが、本当にどのような思いになるのでしょうか。この事態を人間であるから、異常だと捉えられるのですが、でもハサミムシにとっては生涯のあたりまえの終わり方なんですね。

不思議と死というものが、なんであるのかわからなくなります。

強い動物しか子育てする機会を与えられない・・そんな、強い昆虫であるハサミムシのお母さんの最後は、子どもの餌になること。強さとはなんであるのか、という考えにも思い至ります。

チョウチンアンコウの死にざま

チョウチンアンコウのオスの特性は有名な話かもしれませんね。巨大なメスに対して、数cmくらいしか体調のないオスは、深海でメスにあうと、その体にくらいついて、内蔵が溶けて一体化しちゃうんですよね。目もなくなって、すべてメス依存になる。最強のヒモ力です。

自我は残るのでしょうか・・。こんな生きざま・死にざまのあるのか、と初めて見聞きしたときは、同じオスとして不思議な気持ちになりました。

メスのひもとして、道具としてだけ生きたチョウチンアンコウのオスにとって、「生きる」とは、いったいどういうような意味を持つのだろうか。

8 メスに寄生し、放精五はメスに吸収されるオス――チョウチンアンコウ

そして著者のこのコメントです。

生きる意味って、不思議なもので、チョウチンアンコウ(オス)の人生というかチョウチンアンコウ生では、出会いこそが幸せな概念なのかもしれません。そもそも深海という過酷な環境で、生き抜き、子孫を残せるかどうかさえ、まったくわからないのですから・・。

死にざまがそれぞれであれば、幸せもまちまちかもしれません。

チョウチンアンコウに幸せという概念があれば、の話ですけど。

ハダカデバネズミの死にざま

ハダカデバネズミという奇妙な名前の生物は、老化するという生物の根源的な性質を退化させてしまったらしいのです。

もともと、細胞分裂を繰り返すだけの単細胞生物は「老いて死ぬ」ことはなかった。しかし単細胞生物が多細胞生物へと進化をしていく過程で、生命は「老いて死ぬ」という仕組みを作り出したのだ。

19 老化しない奇妙な生き物――ハダカデバネズミ

細胞の中の染色体には、テロメアという部分があって、細胞分裂をするたびにこのテロメアが短くなるそうです。そして、どんどん生物は老いていきます。でも、このハダカデバネズミは、この部分がないので、老いないのです。もちろん、不慮の自己や怪我などで死んでしまうのですが、彼らの人生、、というかハダカデバネズミ生は、死が前提になっていないのです。

老いないことは、幸せなのでしょうか・・これも、正直よくわかりません。近い将来、不老不死の医療が実現するのではないか、と言われていますが、本当にそんな人生が幸せであるのか・・考えようです。

だから、ハダカデバネズミにはもしかしたら宗教や信仰は必要ないのかもしれないですね。

そもそも、信仰は、死に由来するさまざまな苦しみに解釈を与えて、乗り越えるために発明されたものであるとも捉えられますから。

こうして、いろいろな生き物のさまざまな死にざまを見ていくと、死とはなんなのか、という哲学的な問いを否応がなしに意識してしまいます。死にざまに加えて、ハサミムシに見る母親像、チョウチンアンコウに見るオス像、なども含めて、人間だけの行き方が生物にとってのスタンダードじゃないんだという不思議な気持ちになります。

まとめ

  • ハサミムシの死にざま――必死に子育てした子どもに食べられてしまう母親の最期があります。
  • チョウチンアンコウの死にざま――メスに吸収されて一体化されてしまうというオスの最期があります。
  • ハダカデバネズミの死にざま――死なないという退化を経た動物があります。
  • これらの人間以外の死にざまを見ながら、死とは何かを改めて考えてみる機会を得られます。

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