- マインドフルネスがにわかに注目を浴びています。心を落ち着けたり、日常の忙しさから解放されたり、自分と向き合ったりを目的として、欧米からトレンドが始まり、しばしば、坐禅と混同されます。
- 実は、坐禅とマインドフルネスを混同しては、仏教の本質は見えてきません。
- なぜなら、坐禅は、もっと無為的にあるのが本当だからです。何事も目的とせず、ただそこに坐ることで感じる世界を観ることが仏教における坐ること坐禅です。
- 本書では、曹洞宗僧侶の藤田一照氏が、仏教が教える坐り方について詳しく語ってくださいます。
- 本書を読み終えると、煩いについてそれがどのようにたち現れるか、そして坐ることで、これらの問題にどのように向かっていけるかについて、考えに触れることができます。
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本書は3回に分けて取り上げています。今日は前回(「【どうしたら自信がわくか?】考えすぎない生き方2|藤田一照」)に続き最終回です。今日の投稿では、いよいよ「坐禅」について触れます。
マインドフルネスと、「坐禅」は、質的に異なるものと見立てましょう。
ある目的を意識的に目指し、なんらかの方法を遂行している自分が全面に出ている。そういう自力自調のマインドフルネスは、仏教的なマインドフルネスとまったく違うものです。これは、優劣ではなく質の違いの問題です。
第3章 ひと呼吸おく
マインドフルネスは、すっかり一般用語になりました。欧米から始まったトレンドは、日本でも受け入れられ、アプリやおおくのセッションが開催されていると聞きます。
しかし、著者は、いわゆるマインドフルネスと仏教のマインドフルネス(坐禅)は異なるといいます。
いわゆるマインドフルネスは、自分の心理的状況を良くしたいとか、自分を俯瞰したいとか、リラックスしたいとか、ニーズが自分に向かっています。自己満足のための賢明の精進は、結局は、欲望の渦のなかに巻き込まれる破滅の道です。
そうではなく、本当に必要なのは、そういった欲望を見つめること、その上で、すべてを受け入れる態度をとる考え方です。
坐禅=坐る+ゼロ!?
100%掛け値なしに、身と心を挙げて坐る。そこに何も足さない。呼吸を数えるとか、呼吸に伴う下腹部の膨らんだり縮んだりする動きに注意を注いだり、といった作為的なことはせずに、正しい法則に則って純粋に坐ることなんです。それは、私の身心を縁起というつながりのネットワーク、大自然の自ずらなる働きに投げ入れなきゃいけないということです。
第3章 ひと呼吸おく
前回の投稿「【どうしたら自信がわくか?】考えすぎない生き方2|藤田一照」でも、私たちは、全体に「溶けてつながっている存在」であると、仏教の根本思想の中にあり、これを縁起と呼ぶということについて触れました。
坐禅、もしくは、仏教における坐るということは、この縁起の中に身をおいている自分を感じるということです。単に坐ると、感じるもの(感じてしまうものがあります)、想像してしまうイメージが膨らみます、あるいは、邪念に襲われるかもしれません。日常生活の雑音の中で、たち現れることのなかったこうした気持ちの動きや、イメージなどと向き合うことが大切です。
自分が無意識のうちにつくり上げてしまっている主観的判断に触れて、それをよくよく観察してみましょう。それが坐るということになると思います。
五蓋を見つめるR.A.I.N.
この坐禅が坐禅になることを妨げる心の働き、坐禅の深まりを閉ざす壁おようなものを、仏教では「蓋」といい、五つのタイプに整理して「五蓋」と呼びます。
第4章 いきなり坐らない
この5つの蓋は以下です。
1)感覚的な快楽を貪ること
2)敵意・悪意
3)怠惰・無気力
4)興奮・思い煩い
5)疑い
これらが立ち現れてきた時、退けるのではなく、観ることが大切です。その時に、4つのステップを意識すると良いそうです。頭文字をとって、R.A.I.N.というそうです。アメリカのヴィパッサナー瞑想(南方仏教の瞑想法)の指導者のミシェル・マクドナルドさんの提唱してものです。
- Recognize・・起きていることをそれと認識する
- Allow・・今の体験をありのままに在らせておく
- Investigate・・好奇心と思いやりをもって探究する
- Non-identify・・経験と自分を同一視しない
著者の印象的な言葉に、「脳は区別できない。考えていることと実際に起きていること」というのがありました。
私たちは、日頃の生活の中でいかに、考え事をしているのかとふと思うときがあります。でもそれって、実は幻想であって、その幻想が膨らみ続けた先に、迷い、おそれ、苦しみがあるのだということを仏教は説いているのだと初めて気づきました。
こうしているうちにもアイデアや考えがつきません。こんなふうに何もしなくても自然と考えにとらわれてしまう自分があるのだ、ということに広い視点で向き合えるかどうかが、きっと大切なのですね。
まとめ
- マインドフルネスと、「坐禅」は、質的に異なるものと見立てましょう。――目的意識をもってするマインドフルネスと坐禅は全く異なるものです。坐禅は無為であるべきなのです。
- 坐禅=坐る+ゼロ!?――ただたんに坐り、そして縁起の中の自分をかんじましょう。
- 五蓋を見つめるR.A.I.N.――坐禅から遠ざけてくる5つのハードルを、RAINのステップで見つめながら坐り続けてみましょう。
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