【私たちが生きる意味とは?】愛するということ|エーリッヒ・フロム

愛するということ
  • 成長社会から、成熟社会への以降の中で、生きづらさを感じている人も少なくないと思います。これまで当たり前だった社会から生きる意味を与えられる時代から、自分で生きる意味を見出す時代。
  • 実は、50年代に「愛すること」を通して、人生を説いた人がエーリッヒ・フロムです。
  • 「愛」とは技術であり、成熟した人格者であれば身につけることができると言います。
  • 本書では、「愛するということ」の本質を知ることができます。
  • 本書を読み終えると、人と人が暮らしていく際に不可欠な他者との関係性を考えるヒントを得ることができるでしょう。
エーリッヒ・フロム
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人間の文化は孤独克服の歴史である。

どの時代のどんな社会においても、人間は同じひとつの問題の解決に迫られてきた。いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人の生活を超越して他者と一体化するか、という問題である。

1愛、それは人間の実存の問題にたいする答え

私たち人間の歴史は、孤独との戦いの歴史でもありました。人は元来、孤独を克服するためにさまざまな活動を行ってきました。

動物の崇拝、生贄を捧げた自然との一体化、軍隊による征服、贅沢にふけること、禁欲的にすべてを断念すること、仕事に熱中すること、芸術的な創作活動に打ち込むこと、これらは全て孤独を克服するための慰めです。

さまざまな解決策を用いても、いまだなお人間は孤独を解消することなく、何かと一体化したいという願いを成就しないでいます。

現代社会は、集団への同一化という誘いで多くの人々に孤独を紛らわせてきました。

大量生産大量消費社会の中で、いつかは多くのモノ(贅沢品)に囲まれていい生活がしたい!そのために今を頑張るというような生き方の思想や、組織の歯車となって効率的な経済活動を行うという労働感を通じて、社会との一体化をはかってきました。

こうした考えの利点は、断続的でなく、長続きするということです。

しかし、集団への同調による一体感は、強烈でも激烈でもなく、おだやかで惰性的です。孤立からくる不安を癒やすには不十分なのです。

さらに没個性的であり、自分の生き方を振り返る機会を与えられないので、社会システムが崩壊寸前の今、超孤独の試練に人は耐え、新たな道をひとりひとりが模索しなければならなくなっています。

孤独克服のための愛とは技術(ART)である。

生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ることである。

第一章 愛は技術か

孤独克服に、「愛すること」が有効です。自分以外の人間と融合したいというこの欲望こそが、人間のもっとも強い欲望であり、それを満たすのが「愛」であるからです。

同時に、「愛すること」は技術(ART)です。技術であるため、知力と努力で、獲得することができます。

技術であるから、理論を精通すること(知力)と、実践の結果(努力)を経て、自分なりの直感が得られるようになった時はじめて、技術を本質的に習得したと言えます。

愛することは、「愛されること・愛する者の対象の問題・恋のように落ちるもの」ではなく、能動的なものなのだという認識を持ちましょう。

さらに「愛する」ためには、自己が成熟していないと難しいのも事実です。

フロムは、成熟をこのように定義します。

成熟した人間とは、自分の力を生産的に発達させる人、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらない人、全知全能というナルシシズム的な夢を捨てた人、純粋に生産活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人のことである。

1愛、それは人間の実存の問題にたいする答え

人間的に成熟をし、そして、技術としての「愛すること」を身につけた人が、直感を通じて孤独を克服するきっかけを得るのです。

愛の技術は、配慮・責任・尊重・知によってもたらされる。

愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働は分かち難いものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである。

1愛、それは人間の実存の問題にたいする答え

フロムは、愛を2つの形で説明します。1つは「共棲的結合」と、もう1つが「成熟した愛」です。

「共棲的結合」は、胎児と母親、マゾ、サディスティックのように、自分の全体性と個性を失った状態で、どちらかに完全に依存している状態です。

一方の「成熟した愛」は、自分の全体性を保ったままの結合を成し遂げる姿であると説明します。

この結合は、与えることで達成されます。

何を与えるか?それは、自分にとって一番大切なもの「生命」だと言います。

生命を犠牲にするということではありません。自分の中に息づいているものを与えるということです。たとえば、自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみ、そうしたすべてを与えることです。

このことで、他人を豊かにして、自身を活気づけることで、他人を活気づける、この縁を広げていくことこそが、「愛すること」なのです。

配慮、責任、尊重、知はたがいに依存しあっている。

1愛、それは人間の実存の問題にたいする答え

愛と労働は分かち難いものであり、配慮と気づきが基本になりますが、同時に責任も問われます。

ここで言う責任とは、他者から押し付けられる責任ではなく、自発的な責任だということに注意しなければなりません。

自発的な責任とは、他者が口に出そうが出さまいが、何らかを求めてきた時に、応答する用意があるということです。

応答するには、自身が生産的である必要があり、成熟していなければ、責任を持つこともできません。

また、配慮や尊重をするには、知が不可欠だと言います。相手のことを知らなければ、当てずっぽうの配慮や尊重になってしまいます。

本書は、「【自分と本当に向き合えてる?】ジーニアスファインダー自分だけの才能の見つけ方|山口揚平」で、生きる意味を知る書籍として紹介されていました。こちらもおすすめです。

まとめ

  • 人間の文化は孤独克服の歴史である。――他者と合一したいという欲求を人は根源的に持っているのです。
  • 孤独克服のための愛とは技術(ART)である。――「愛すること」は技術です。なので知力と努力で身につけることができます。
  • 愛の技術は、配慮・責任・尊重・知によってもたらされる。――「愛すること」は自分の生命を相手に与えることで、与える際には、この4つの視点を忘れては、本質的に相手のためにならず、愛とは言えません

コンサルタントとして働く中で、正しい介入とは何かをしばしば考えます。相手のことを思って、あまりにも入り込みすぎると、本質的に相手のためにならないということが出てきてしまうからです。まさに、コンサルティングの現場こそ、「愛すること」でなければならないと思います。

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