【一生この会社でいいのかな?の時読む本】ナリワイをつくる|伊藤洋志

ナリワイをつくる
  • 一生この会社に勤めて終わるのかな?なんか、それって・・と、思ったことはありませんか。
  • 実は、その違和感、「ナリワイ」をつくるという発想がひとつのヒントになるかもしれません。
  • 「仕事といえば、就職」というのは、ここ数十年のトレンドに過ぎません。さらに、社会が大きく変わる今、大きな会社に所属しているからと言って安心かというとそうとも言い切れない時代になっています。
  • 本書では、会社・グローバル・分業が過度に進んだ経済の仕組みを尻目に、自身で身の回りの生活の工夫や楽しみを小さく売る「ナリワイ」を実践してきた著者が、これまでの経験を語ります。
  • 本書を読み終えると、漠然としたもやもやの正体を言葉にできるようになるだけでなく、仕事って一体なんだろう?というよき「問い」を改めて手元に引き寄せることができます。2012年に発刊された書籍ですが、今なお新鮮に拝読することができました。

「ナリワイ」とは・・?

個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。

はじめに

「仕事といえば、就職」が、あたりまえの世の中です。でも、これって、実はほんの数十年程度のトレンドなんです。

50年ちょっと前の1954年に始まった高度経済成長で、株式会社日本は徹底的な効率化の波を受け入れました。より多く、より早く、より安く、人にものとを届けるために、徹底的な分業で効率的なものづくりを行ってきました。

確かにモノやサービスの充足はもたらされたと思いますが、反対に、人は疲弊しています。ブラック企業、長時間労働、最近では、上司ガチャ・・、なぜか経済の手段でしかないはずの会社が圧倒的な力を持って、私たちの人生を奪っていくような感覚にとらわれる気分にることもあります。

そんな今こそ、「ナリワイ」という新しい仕事観の中で、自分の人生に一筋の光を指してみるのはいかがでしょうか。

「ナリワイ」とは、生活の充実から仕事を生み出す手法です。「ナリワイ」はまず生活コストの見直しから始まります。固定費をいかに下げて、外注していたコストをどうしたら内製できるか考える。

たとえば、住宅であれば、シェアハウスや空き家レンタル。空き家が傷んでいたら、板張りをやってみる。など。

こうして、浮いたお金があれば、そもそも過剰な売上(収入・給与)を目指さなくて良くなりますし、あるいは、板張りが得意なら、それを他者に売ることだってできます。

こんなふうにして、自分でできることを少しずつ増やしていけば、分散型の「ナリワイ」ポートフォリオで強くしなやかに生きていくことだったできる!というのが著者の主張です。

単に他者からお金(外貨)を稼ぐ複業をたくさんもつということではなく、これは生活の工夫であるというのが、非常に面白い視点です。

グローバル社会で、全世界を相手にした殴り合いの競争をして健康が実現できるのは、かなりのバトルタイプ(戦闘型)だけだ。本書で述べる「ナリワイ」の作戦は、そうではない。でかい仕事は、バトルタイプの戦場だ。

はじめに

仕事は就職ではなく、生活上の工夫から生まれるものだととらえたときに、お金から自由になり、結果的に時間から自由になれるのではないでしょうか。

「ナリワイ」は人間に分業を強いるような、でかい仕事ではなく、小さな仕事を組み合わせ生活を組みたてていく発想なのです。ここに資本家 vs 生活者の構造を見ます。

「ナリワイ」の10か条

ナリワイ実践者が会社に増えれば、上司はもちろん部下であっても、運営の大変さや特徴への理解度が上がっているはずなので、運営しやすい組織になっているはずである。

第1章

・やると自分の生活が充実する。
・お客さんをサービスに依存させない。
・自力で考え、生活をつくれる人を増やす。
・個人ではじめられる。
・家賃などの固定費に追われないほうがよい。
・提供する人、される人が仲良くなれる。
・専業じゃないことで、専業より本質的なことができる。
・実感が持てる。
・頑張って売上を増やさない。
・自分自身が熱望するものをつくる。

ここで、気がつくのは、著者の提唱する「ナリワイ」は、いわゆる仕事ではないということです。なぜなら、いわゆるおしごと10か条であれば、もっと、「与え手・受け手の授受が、1回1回カネで切れる」の構造について焦点が当たるはずだからです。

でも、著者はそれをしていない。むしろ、運動体として「ナリワイ」を提唱し、それに多くの人を巻き込んで関係性を構築ししていくことを想定しているように読めます。

「ナリワイ」の見つけ方・作り方は、演繹法と帰納法のアプローチで!

日本人が会社からお金と仕事をもらうのに慣れすぎてしまった結果、仕事というのは「カチッとしてミスが少なく、形式重視で、ノーミスであればなおいい」、という常識が生まれてしまった。

第3章

演繹法のアプローチは、まず未来を想像すること。

たとえば、「ふんどしが、はやる!」と見越した場合、「ふんどし」がどんな価値を生むのかを分けて考える、つくるであれば、役に立つものを制作して提供する、人が作れないようなデザインにするなど。このようにして、見つけたアクションを形にしていきます。

逆に、帰納法のアプローチは、「日常生活の違和感を見つける」ことをヒントに、「ナリワイ」を作ります。

これって、事業開発のアプローチそのものなんですよね。そのスケールと、対象が「ナリワイ」では大切である!ということだと私は捉えました。

反対に、演繹法でも帰納法でも大切なことは、生活での気づきです。いずれの方法も最初の着眼点がなければ、スタートすることができません。そして、その気づきは、いわゆる会社勤めなルーティンの毎日の中では、見つけられにくいでしょう。

自分の生活や仕事観の全体像を自分の頭で考えることが、「ナリワイ」のきっかけでもあるのかと、思います。

まとめ

  • 「ナリワイ」とは・・?――「ナリワイ」は、日常の生活の工夫の中で、見つけた小さなことで生きていくための人生の方法です。
  • 「ナリワイ」の10か条――「ナリワイ」は、縁を切りません、むしろ参加者を増やして拡大していく活動体です。
  • 「ナリワイ」の見つけ方・作り方は、演繹法と帰納法のアプローチで!――「ナリワイ」を作るためには、最初の着眼点が必要です。そのために、自分の人生を、自分で引き受けましょう。

「新しい資本主義」を政府が打ち立てました。ともすると、奴隷のように働き続けてきた人は、新しい生き方を模索しなければならない時代、あらためてこの「ナリワイ」をキーワードに働き方を見直してみたいものです。発刊から10年経ったいまでも、なお、先進的な考えを私たちに差し込んでくれます。「ナリワイ」というリスク分散型の生活が、現代の気分を象徴してくれているような気もします。

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